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大槻筆子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大槻筆子
生誕 1909年[1]
福井県大飯郡高浜町
死没 1992年9月19日
京都府京都市
職業 伝道師 、大槻武二の妻
配偶者 大槻武二
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大槻 筆子(おおつき ふでこ、1909年[1] - 1992年9月19日)は、日本キリスト教伝道者。夫は同じく伝道者の大槻武二。武二とともに聖イエス会の中心人物であり、教団内では霊母と呼ばれた。

生涯

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1931年3月、キリスト教に関心を持つ。5月27日に高浜の城山海岸にて、東舞鶴教会の上井乙熊牧師より受洗1932年3月11日、「なんじは我に従え」との召命に従い、西舞鶴教会・綾部教会を経て神戸ホーリネス教会に出家、献身。12月3日に大槻武二と結婚。

1933年にホーリネス教会が分裂し、中田重治を支持してきよめ教会に所属し、1934年2月に武二とともに須磨きよめ教会に任命される。1936年満州国奉天の奉天きよめ教会に任命される。1938年4月17日、聖霊バプテスマと、エルサレム大行進のビジョンを体験。1942年まで中国東北部伝道における大リバイバル。1942年に中国伝道を終了し、帰国。

1946年1月5日に聖イエス会発足、5月22日宗教法人設立登記完了。1963年12月に大量喀血後、自身の死を体験する。しかし、武二の祈りによってよみがえり(復活)、病も癒された(神癒)という。1992年9月19日午前4時、京都「祈りの家」にて死去する。死去の数時間前に「すばらしい人生でありました。悔いはありません。イエス様ありがとうございました。(霊父に)ありがとうございました。」と二度語ったとされる。

脚注

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  1. ^ a b 基督教年鑑 1954年版」国立国会図書館デジタルコレクション