壺井丸山古墳
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壺井丸山古墳 | |
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墳丘(右に後円部、左に前方部) | |
所在地 | 大阪府羽曳野市壺井 |
位置 | 北緯34度32分5.60秒 東経135度37分22.17秒 / 北緯34.5348889度 東経135.6228250度座標: 北緯34度32分5.60秒 東経135度37分22.17秒 / 北緯34.5348889度 東経135.6228250度 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 | 墳丘長80m |
埋葬施設 | 粘土槨 |
築造時期 | 4世紀代 |
史跡 | なし |
地図 |
壺井丸山古墳(つぼいまるやまこふん)は、大阪府羽曳野市壺井にある古墳。形状は前方後円墳。史跡指定はされていない。
概要
[編集]大阪府南東部、石川右岸の大黒丘陵上において、丘陵を切り離して築造された古墳である。墳丘を良好に遺存し、これまでに墳丘の発掘調査が実施されている。
墳形は前方後円形で、前方部を西方向に向ける[1]。墳丘長は約80メートルを測る[2]。後円部後端では、丘陵尾根から切り離した際の掘割が認められる[1]。墳丘表面で埴輪は検出されておらず、明確な葺石も認められていない[1]。埋葬施設としては、後円部墳頂において粘土槨と見られる遺構が確認されている。築造時期は古墳時代前期の4世紀代と推定される[1]。
付近では前期古墳として御旅山古墳(墳丘長45メートルの前方後円墳、調査後消滅)・通法寺裏山古墳(墳丘長60メートル以上の前方後円墳、未調査)も知られ、これらは同一の首長墓系譜と想定される[1][2]。
遺跡歴
[編集]- 2008年度(平成20年度)、現状確認踏査(羽曳野市教育委員会、2010年に報告書刊行)[1]。
- 2015年度(平成27年度)、航空レーザー測量調査(羽曳野市教育委員会、2017年に報告書刊行)[2]。
- 2016年度(平成28年度)、範囲確認調査(羽曳野市教育委員会、2018年に報告書刊行)[2]。
- 2018年度(平成30年度)以降、墳丘構造調査(羽曳野市教育委員会、2020・2021・2022年に報告書刊行)。
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前方部から後円部を望む
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後円部から前方部を望む
脚注
[編集]参考文献
[編集](記事執筆に使用した文献)
- 高島徹「丸山古墳 > 壺井丸山古墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
- 「壺井丸山古墳」『古市遺跡群31(羽曳野市埋蔵文化財調査報告書64)』羽曳野市教育委員会、2010年。 - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。
関連文献
[編集](記事執筆に使用していない関連文献)
- 『古市遺跡群38(羽曳野市埋蔵文化財調査報告書79)』羽曳野市教育委員会、2017年。
- 『古市遺跡群39(羽曳野市埋蔵文化財調査報告書81)』羽曳野市教育委員会、2018年。
- 『古市遺跡群41(羽曳野市埋蔵文化財調査報告書85)』羽曳野市教育委員会、2020年。
- 『古市遺跡群42(羽曳野市埋蔵文化財調査報告書87)』羽曳野市教育委員会、2021年。
- 『古市遺跡群43(羽曳野市埋蔵文化財調査報告書)』羽曳野市教育委員会、2022年。
外部リンク
[編集]- 壷井丸山古墳 - 羽曳野市ホームページ