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壬生基泰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
壬生基泰
みぶ もとやす
生年月日 1909年1月2日
没年月日 (1979-05-14) 1979年5月14日(70歳没)
出身校 東京帝国大学文学部卒業
前職 鉄鋼統制会職員
所属政党 研究会
称号 従四位
勲六等
配偶者 壬生博子
壬生淑子
子女 養子・壬生基博
親族 祖父・壬生基修(貴族院議員)
義父・三好英之(北海道開発庁長官)
伯父・清閑寺経房(貴族院議員)
従兄・由利正通(貴族院議員)

在任期間 1946年6月27日 - 1947年5月2日
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壬生 基泰(みぶ もとやす、1909年明治42年〉1月2日[1] - 1979年昭和54年〉5月14日[1][2])は、日本政治家華族貴族院伯爵議員。位階は従四位[2]。勲等は勲六等[2]

経歴

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陸軍軍人壬生基義の長男として生まれる[1][3]。父の死去に伴い1936年(昭和11年)12月15日、伯爵を襲爵した[1][4]

1932年(昭和7年)東京帝国大学文学部を卒業[2]1935年(昭和10年)陸軍騎兵少尉に任官[2]。騎兵第1連隊留守隊付、陸軍兵器本部付兼陸軍省整備局付、軍需省軍需官、商工省嘱託などを歴任[2]。陸軍騎兵大尉に昇進して退官した[2]。その後、大建産業嘱託、鉄鋼統制会勤務などを務めた[2][3]

1946年(昭和21年)6月27日、貴族院伯爵議員補欠選挙で当選し[5][6]研究会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 『平成新修旧華族家系大成 下巻』695-696頁。
  2. ^ a b c d e f g h i 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』30頁。
  3. ^ a b 『人事興信録 第14版 下』ミ76頁。
  4. ^ 『官報』第2988号、昭和11年12月16日。
  5. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、57頁。
  6. ^ 『官報』第5840号、昭和21年7月4日。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
日本の爵位
先代
壬生基義
伯爵
壬生家第3代
1936年 - 1947年
次代
(華族制度廃止)