吉岡氏
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因幡吉岡氏
[編集]因幡国高草郡の国人領主の一族[1]。戦国時代には防己尾城主・吉岡定勝を出した[1]。江戸時代には吉川氏に仕えた。
豊後吉岡氏
[編集]大友氏から野津氏、そして吉岡氏へと分かれた[2]。野津頼宗を祖とする。
豊後国の鶴崎地方を領し、千歳城、鶴崎城を築き居城とした。吉岡長増の子・鑑興は耳川の戦いで大友軍が島津氏に大敗した際に陣没するも、島津氏が豊後に侵攻し大友氏が滅亡の危機に立たされた際には、鑑興の遺子・統増が大友宗麟を守護し、また未亡人である妙林尼は居城を守って奮戦した。
文禄2年(1593年)大友義統が改易となると、家臣の吉岡氏も没落した。その後は細川氏に仕え熊本藩士として幕末を迎えた。
剣豪
[編集]室町時代、京八流(陰陽師の鬼一法眼が、源義経らに伝授した兵法)を基に、京都に吉岡流を開き、足利将軍家の剣術師範を務めた。
江戸時代初期、吉岡直綱(拳法)・吉岡直重(伝七郎)は宮本武蔵と対戦し敗れている(吉岡氏方の資料に異説あり)[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 太田亮「国立国会図書館デジタルコレクション 吉岡 ヨシヲカ」『姓氏家系大辞典』 第3、上田萬年、三上参次監修、姓氏家系大辞典刊行会、1936年、6472-6472頁。全国書誌番号:47004572 。