勢福寺城
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勢福寺城 (佐賀県) | |
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勢福寺城旧城部主郭 | |
別名 | 成福寺城,清福寺城 |
城郭構造 | 山城 |
天守構造 | 不明 |
築城主 | 一色氏 |
築城年 | 文和2年/正平8年(1353年) |
主な城主 | 一色氏、菊池氏、少弐氏、江上氏、大友氏、大内氏、龍造寺氏 |
廃城年 | 天正17年(1589年) |
遺構 | なし |
指定文化財 | なし |
地図 |
勢福寺城(せいふくじじょう)は、佐賀県神埼市神埼町城原字北外[1]にあった日本の城。
概要
[編集]文和2年/正平8年(1353年)に九州探題・一色範氏の子で肥前守護の一色直氏により築城されたという。直氏は後に二代目の九州探題となる。その後菊池氏、少弐氏、大友氏、大内氏、龍造寺氏の城となった。
天文9年(1540年)少弐冬尚が少弐氏を再興するが、 永禄2年(1559年)に龍造寺隆信に攻められ勢福寺城は落城する。その後龍造寺隆信の次男である江上家種が城主となったが天正17年(1589年)に蓮池城に移り、廃城となった。
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旧城部主郭の土塁
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新城部と旧城部を隔てる大堀切
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新城部主郭の枡型(虎口)