蓮池城 (肥前国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
蓮池神社の鳥居と橋。橋が跨ぐ水路は城堀の跡とされる。

蓮池城(はすいけじょう)は、日本応永年間に完成し、肥前国の国人領主小田氏、戦国時代後期は龍造寺氏江上氏の支配となり、近世は鍋島氏石井氏の在城を経て、支藩蓮池藩陣屋が置かれた。

概要[編集]

蓮池城は佐賀県佐賀市中心部から南東約6キロメートルの蓮池町に位置し、構造は佐賀江川と周辺のクリークを濠とした平城である。

歴史・沿革[編集]

応永年間[編集]

関東から下向した小田直光の居城として築かれたとされている。代々、小田氏の居城として使用される。

戦国時代後期[編集]

佐賀城龍造寺隆信の侵攻を受け、小田政光は龍造寺氏に臣従した。のちに城主小田鎮光が降伏すると、龍造寺氏の支配となり、後藤家信龍造寺家晴が城主となる。天正12年(1584年)、龍造寺隆信が沖田畷の戦いで戦死すると、隆信の次男江上家種が入城したが、文禄の役で戦死により、鍋島直茂の居城となった。

安土桃山時代[編集]

鍋島直茂は、関ヶ原の戦いの後、拠点を佐賀城に移し、鍋島生三を蓮池城に入れ、程なく、直茂の意向で、鍋島氏の外戚家門の石井氏が城代として入城した。本丸城代に石井重次、駕輿丁出城番に石井正国、小曲出城番に石井茂利、蒲田江出城番に石井茂成が配置され、石井一族が共同で城の守備についた。当時、佐賀城の出城として、鍋島氏は筑後方面からの侵攻への備えとして蓮池城を重視した。

近世[編集]

元和元年(1615年)、一国一城令に伴い、城代石井氏が佐賀城下に移り、城は破却され、建造物は佐賀城に移築された。しかし、その後、鍋島勝茂の三男直澄が、寛永16年(1639年)に蓮池藩(5万2625石)を創設し、再建。藩庁を設置し、明治維新に至るまで蓮池鍋島家の居城となる。

近現代[編集]

廃藩置県により、蓮池陣屋は廃棄され、跡地には蓮池神社が創建される。城域は蓮池公園として整備され、現在は一般開放されている。桜の名所としても知られている。 座標: 北緯33度14分45秒 東経130度21分33.6秒 / 北緯33.24583度 東経130.359333度 / 33.24583; 130.359333