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勝間田長清

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

勝間田 長清(かつまた ながきよ[1]、生没年不詳[2]藤原 長清とも[3]。)は、鎌倉時代後期の武士遠江国蓁原郡勝田(かつまた[注 1])郷(静岡県牧之原市勝間田川流域一帯)を領する勝間田氏の頭領で、勝間田城城主。歌人として『夫木和歌抄』を編纂したことで知られる[1]

略歴

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勝間田氏は中世に勝間田川流域を治めた一族である[5]。一族は藤原南家工藤氏の分流であるといい[6]本姓藤原とした[1]。異説として桓武平氏平良文の落胤との伝えもある[6]。一族は保元の乱(1156年)の際に源義朝勢の家人「遠江の勝田」として登場し、平安時代末期から源平合戦期を通じて当地を本貫として源氏に仕えてきたことがうかがえる[6]

東国武士としては珍しく、長清は京都の公家に接近して深く交流した[1]。また、冷泉為相の門人となって歌道を学んだ[2]。『増鏡』には、長清の娘が、西園寺家庶流で左大臣洞院実泰正室北政所)となったとある[1]。長清自身は越前太夫左近と号し、五位の官位を得た[1]

長清は時宗に帰依し、一遍の弟子、僧他阿(1237年 - 1319年)の教導を受けたという[2]。のちに出家し、証阿弥仏蓮昭と称した[1]

歌人として

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長清は上洛して和歌冷泉為相の下で学んだ[2]。冷泉為相は、『十六夜日記』を著した女流歌人阿仏尼の子である[1]。冷泉為相の日記には勝間田長清と文をやりとりしたことが書き残されているほか、長清が治める勝間田を詠んだ和歌をいくつか残している[4]

  • 「いとふなよ 菊河わたる 道をよきて とはんと思ふ かつまたの里[4][注 2]
  • 「尋ね来て かつ見るからに かつまたの 花の陰こそ 立ちうかりけれ[7]

冷泉為相は永仁2年(1294年)と乾元1年(1302年)の二度、勝間田城に下向している[1]。その頃、京では勅撰和歌集の『玉葉和歌集』の構想があり、京極為兼が任にあたっていた。冷泉為相はその撰者に加わろうとしており、勝間田長清は和歌の師である冷泉為相の意を汲んで私撰和歌集の編纂を行ったと考えられている[7][1]

仏門の師である他阿延慶3年(1310年)9月に関東へ下るにあたり、遠江国榛原郡にあった鎌塚宿[注 3]に逗留しているところを勝間田長清が訪問している[1]。『他阿上人和歌集』には、「勝田証阿弥陀仏、越前左近太夫入道蓮昭」こと勝間田長清が詣でてきて、15番の歌合をしたとの記録がある[8]。その後、勝間田長清は他阿を自邸に招き、そこでも和歌の贈答が行われた[1]

長清が『夫木和歌抄』を完成させたのはこの頃だと推定されている[7]。長清が完成した和歌集の題号を考えている頃、夢に大江匡房(平安時代の歌人)が現れ、『扶桑集』にせよと告げたという。長清はこれを冷泉為相に相談すると、「扶桑」は日本国の異称であり、少々不相応であるとして、「扶」「桑」の字からそれぞれ「夫」「木」の部首をとってこれを和歌集の表題とするとよいとした。これにより『夫木和歌抄』となったという[9]

『夫木和歌抄』は『万葉集』以来の和歌から17300首あまりを収録した全38巻の大作だった[1](同時代の『玉葉和歌集』は勅撰和歌集としては最多の和歌を採録したが、それでも2800首に留まる)。しかし結局、冷泉為相は『玉葉和歌集』の撰者に加わることはできなかった[7]。『玉葉和歌集』には、長清が詠んだ和歌も1首採用されている[2]

脚注

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注釈

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  1. ^ 平安時代の『和名類聚抄』では、「加知末多」または「加都万多」と表記され(写本によって字が異なる)、これを後に「勝田」書いて「かつまた」と読むようになった。「勝間田」とも書いた[4]
  2. ^ 京都から東へ向かい、遠江国に入って菊川を渡ると間もなく勝間田城へ至る。
  3. ^ 遠江国榛原郡湯日。現在の島田市湯日に比定される。江戸時代に東海道が整備されて金谷宿島田宿のあいだで大井川を渡るようになったが、それ以前は鎌塚宿経由で大井川を渡って島田を目指していた[8]。勝間田城からは直線距離にして約3.7キロメートル。静岡空港に近く、湯日川に面する。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 『静岡大百科事典』,p163「勝間田長清」
  2. ^ a b c d e 講談社,『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』,2015,コトバンク版 2018年5月13日閲覧。
  3. ^ 朝日新聞出版,『朝日日本歴史人物事典』,1994,コトバンク版 2018年5月13日閲覧。
  4. ^ a b c 『角川日本地名大辞典22 静岡県』,p287-288「勝間田」
  5. ^ 『静岡大百科事典』,p163「勝間田城跡」
  6. ^ a b c 平凡社,『世界大百科事典 第2版』,コトバンク版 2018年5月13日閲覧。
  7. ^ a b c d 小学館,『日本大百科全書(ニッポニカ)』,コトバンク版 2018年5月13日閲覧。
  8. ^ a b 『角川日本地名大辞典22 静岡県』,p301「鎌塚宿」
  9. ^ 平凡社,『世界大百科事典 第2版』,コトバンク版 2018年5月13日閲覧。

書誌情報

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