加藤杲
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加藤 杲(かとう あきら、1854年3月22日〈安政元年2月24日[1]〉 - 1938年〈昭和13年〉9月20日[2])は、明治時代後期から昭和時代戦前の政治家。銀行家。和歌山県和歌山市長。旧姓は茨木、旧名は六之助[1]。
経歴
[編集]和歌山城下出身[2]。紀州藩家臣の茨木藤助の三男として生まれ[2]、のち加藤仁左衛門の養子となる[1][3]。1880年(明治13年)和歌山区書記となり、和歌山市収入役、助役を経て、1897年(明治30年)9月から1914年(大正3年)11月まで和歌山市長を務める[2]。その間、1890年(明治23年)3月に和歌山県会議員に当選し、再選を経て1898年(明治31年)9月まで務めた[2]。
財界では、1916年(大正5年)紀陽貯蓄銀行取締役となり、1920年(大正9年)頭取に就任[2]。1922年(大正11年)普通銀行に転換し、紀陽銀行と改称した[2]。ほか、紀伊貯蓄銀行専務取締役、四十三銀行取締役を歴任した[3]。