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佐藤秀蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

佐藤 秀蔵(さとう ひでぞう[1][2]/しゅうぞう[3]1851年4月29日(嘉永4年3月28日[4])- 1934年昭和9年)3月27日[1][2])は、明治から昭和時代前期の政治家実業家貴族院多額納税者議員。幼名は亀次郎[2][注 1]

経歴

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陸奥国磐井郡摺沢村(岩手県東磐井郡摺沢村、摺沢町大東町を経て現一関市)で[3]、先代・佐藤秀蔵の長男として生まれる[4]。1889年(明治22年)秀蔵を襲名した[4]1898年(明治31年)摺沢村会議員に当選[1]。ついで東磐井郡会議員、所得税調査委員、八十八銀行取締役、横屋[4][5][注 2]社長、陸中国東山製糸組合長などを歴任した[1]1909年(明治42年)岩手県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年6月3日[6][注 3]から1911年(明治44年)9月28日まで在任した[1]

日露戦争時には1万円を献金し、大船渡線建設に際しても私財を投じた[3][5]1956年(昭和31年)摺沢駅前に秀蔵と良平父子の胸像と頌徳碑が建てられた[3][5]

親族

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脚注

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注釈

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  1. ^ 『大正人名辞典 第3版』1965頁では亀治郎。
  2. ^ 『議会制度七十年史 第1』194頁では横尾。
  3. ^ 『議会制度七十年史 第1』194頁では5月。

出典

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  1. ^ a b c d e 衆議院、参議院 編 1960, 194頁.
  2. ^ a b c 上田ほか 2001, 872頁.
  3. ^ a b c d e 竹内ほか 1998, 194頁.
  4. ^ a b c d e 『大正人名辞典 第3版』1965頁。
  5. ^ a b c 『岩手人名辞典』124頁。
  6. ^ 『官報』第7781号、明治42年6月4日。

参考文献

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  • 東洋新報社編『大正人名辞典 第3版』東洋新報社、1917年。
  • 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3034963 
  • 竹内理三ほか 編纂『岩手県姓氏歴史人物大辞典』角川日本姓氏歴史人物大辞典3、角川書店、1998年。ISBN 4040020308 
  • 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496 
  • 『岩手人名辞典』(財)新渡戸基金、2009年。