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伊東祐之 (飫肥藩主)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
伊東祐之
時代 江戸時代中期
生誕 享保12年5月8日1727年6月26日
死没 延享元年9月2日1744年10月7日
改名 熊太郎(幼名)、祐之
官位 従五位下大和守
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗
日向飫肥藩
氏族 日向伊東氏
父母 伊東祐永伊東祐実養女
兄弟 祐隆祐房祐順祐之、狩野、伊東祐恵室ら
祐隆
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伊東 祐之(いとう すけゆき)は、江戸時代中期の大名日向国飫肥藩7代藩主。

略歴

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第6代主・伊東祐永の9男として江戸藩邸にて生まれた。元文4年(1739年)、父の死去により家督を継ぐ。この頃の藩政では、荒川稲や町人による渡船・踊興行などが広まったと言われている。寛保2年(1742年)、江戸で発生した寛保二年江戸洪水にて、西国大名の手伝い普請に参加した。

延享元年(1744年)9月2日、18歳で死去した。嗣子が無く、庶兄・祐隆が家督を継いだ。

系譜

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父母

養子