伊号第七十潜水艦
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伊号第七十潜水艦 | |
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基本情報 | |
建造所 | 佐世保海軍工廠 |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
艦種 | 一等潜水艦 |
級名 | 伊百六十八型潜水艦 |
建造費 | 6,425,800円(予算成立時の価格) |
艦歴 | |
計画 | 昭和6年度計画(第一次補充計画) |
起工 | 1933年1月25日 |
進水 | 1934年6月14日 |
竣工 | 1935年11月9日 |
最期 | 1941年12月10日戦没 |
除籍 | 1942年3月15日 |
要目 | |
基準排水量 | 1,400トン |
常備排水量 | 1,785トン |
水中排水量 | 2,440トン |
全長 | 104.70m |
最大幅 | 8.20m |
吃水 | 4.58m |
主機 | 艦本式1号甲8型ディーゼルx2基 |
推進 | 2軸 |
出力 |
水上:9,000馬力 水中:1,800馬力 |
速力 |
水上:23.0ノット 水中:8.2ノット |
燃料 | 重油341トン |
航続距離 |
水上:10ktで14,000海里 水中:3ktで65海里 |
潜航深度 | 安全潜航深度:75m |
乗員 | 68名 |
兵装 |
50口径八八式10cm単装高角砲x1門 九三式13mm機銃x1挺 九二式7.7mm機銃x1挺 八八式53cm魚雷発射管x6門(艦首4門、艦尾2門)/魚雷x14本 |
搭載機 | なし |
ソナー |
MV式水中聴音機 九一式探信儀 |
電池:2号3型x236個 |
伊号第七十潜水艦(いごうだいななじゅうせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊百六十八型潜水艦(海大VI型a)の3番艦。
艦歴
[編集]- 1933年(昭和8年)1月25日 - 佐世保海軍工廠で起工。
- 1934年(昭和9年)6月14日 - 進水
- 1935年(昭和10年)11月9日 - 竣工。呉鎮守府籍となり第12潜水隊に編入[1][2]。
- 1938年(昭和13年)6月1日 - 艦型名を伊六十八型に改正[3]。
- 1939年(昭和14年)8月24日 - 第三予備艦となる[2]。
- 1941年(昭和16年)11月11日 - 第3潜水戦隊第12潜水隊に属し、佐伯を出航[1]。
歴代艦長
[編集]※『艦長たちの軍艦史』434頁による。
艤装員長
[編集]- 岩上英寿 少佐:1935年2月28日 - 1935年10月15日
艦長
[編集]- 岩上英寿 少佐:1935年10月15日 - 1936年12月1日
- 大畑正 少佐:1936年12月1日[6] - 1938年11月15日[7]
- 伊豆寿市 少佐:1938年11月15日 - 1939年8月24日[8]
- 稲葉通宗 少佐:1939年8月24日[8] - 1940年10月30日[9]
- 佐野孝夫 少佐:1940年10月30日 - 1941年12月10日戦死
脚注
[編集]- ^ a b c d e 『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集19巻』73頁。
- ^ a b c 『艦長たちの軍艦史』434頁。
- ^ 昭和13年6月1日付、内令第421号。
- ^ 『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』110頁。
- ^ 『日本海軍史』第7巻、357頁。
- ^ 『官報』第2976号、昭和11年12月2日。
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)号外 第261号 昭和13年11月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074600
- ^ a b 「海軍辞令公報(部内限)第372号 昭和14年8月25日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072076200
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)第549号 昭和15年10月31日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079200
参考文献
[編集]- 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集19巻』潜水艦伊号、光人社、1997年。
- 勝目純也『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』大日本絵画、2010年。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9