仁礼精粋
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仁礼 精粋 | |
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生誕 |
1883年3月17日 日本 東京府 |
死没 | 1968年2月17日(84歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1903年 - 1933年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
除隊後 | 帝国軍用犬協会大阪支部長 |
仁礼 精粋(にれ せいすい[1]、1883年(明治16年)3月17日[2] - 1968年(昭和43年)2月17日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]東京府出身[2]。陸軍士官学校第15期卒業[2]。1919年(大正8年)4月、陸軍歩兵少佐に進級し[3]、1920年(大正9年)9月時点で近衛歩兵第3連隊附の任にあった[3]。1923年(大正12年)8月、陸軍歩兵中佐に進級し[4]、同年9月時点で歩兵第78連隊附に転じ[4]、1925年(大正14年)9月時点で歩兵第80連隊附[5]、1926年(大正15年)8月に歩兵第8連隊附と歴任した[6]。
1928年(昭和3年)8月10日、陸軍歩兵大佐進級と同時に第4師団司令部附となり[1]、大阪医科大学に配属され[1]、1931年(昭和6年)5月には第4師団司令部附のまま大阪帝国大学配属に転じた[1]。同年8月に台湾歩兵第1連隊長(台湾軍・台湾守備隊司令部[7][8])に就任し[1][2]、1933年(昭和8年)3月18日に陸軍少将進級と同時に待命となり[1][2]、3月31日に予備役に編入された[2]。
1940年(昭和15年)10月1日、帝国軍用犬協会大阪支部長に就任した[9]。晩年は高血圧、狭心症の治療に当たっていたが、1968年(昭和43年)2月17日に死去した[10]。
栄典
[編集]- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[11]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 外山 1981, 203頁.
- ^ a b c d e f g 福川 2001, 557頁.
- ^ a b 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正9年9月1日調220頁
- ^ a b 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正12年9月1日調142頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正14年9月1日調126頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正15年9月1日調116頁
- ^ 外山・森松 1987, 360頁.
- ^ 外山・森松 1987, 361頁.
- ^ 帝國軍用犬協會 1940, 100頁.
- ^ 『偕行』第202号、陸修偕行社、1968年4月、21頁。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献
[編集]- 外山操・森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 帝國軍用犬協會 編『軍用犬第9巻第11号』帝國軍用犬協會、1940年 。