井戸伸年
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関メディベースボール学院 総監督 #88 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府豊中市 |
生年月日 | 1976年12月28日(47歳) |
身長 体重 |
181 cm 80 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投両打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 2002年 ドラフト9巡目 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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監督・コーチ歴 | |
この表について
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井戸 伸年(いど のぶとし、1976年12月28日[1] - )は、大阪府豊中市出身の元プロ野球選手(外野手)。
来歴・人物
[編集]育英高校から徳山大学に進む。大学時代は、主将を務め大学選手権にも出場している。
大学卒業後、社会人野球の住友金属に入部[1]。主軸として日本選手権に出場し活躍。1999年にチームが解散したため、住友金属鹿島に転籍。第71回都市対抗野球大会でベスト4に進出し優秀選手賞を受賞するが[1]、2001年に退部。
翌2002年に大リーグのシカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約する[1]。ルーキーリーグに出場するが、上には上がれずに、同年10月に帰国。大阪近鉄バファローズのテストを受け合格し、同年のプロ野球ドラフト会議で近鉄から9巡目指名され入団した[1]。
2005年に選手分配ドラフトでオリックス・バファローズへ移籍[1]。一軍の試合に出場することなくこの年限りで戦力外通告を受け、12球団合同トライアウトに参加するもオファーはなく、現役引退した。
2006年は、関西メディカルスポーツ学院硬式野球部でコーチを務め、2008年からは監督[1]となり、現在はGMを務めている[2]。また、Honda鈴鹿でもコーチを務めた[3][4]ほか、野球塾『ベースボールジム』の塾長も務めている。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]- 一軍公式戦出場なし
背番号
[編集]- 64 (2003年 - 2004年)
- 96 (2005年)
関連情報
[編集]著書
[編集]- 『「人が集まる」組織のしくみ - 究極の野球指導を通した人材育成のヒント』(2021年/PHP研究所)ISBN 9784569849744
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g ドリームネクスト 元プロ野球選手名鑑 井戸伸年 2012年3月7日閲覧
- ^ “元オリックス佐藤義則氏がクラブチームのコーチ就任”. 日刊スポーツ. (2020年9月15日) 2020年9月18日閲覧。
- ^ “ベースボール・クリニック8月号発売 特集「ミート力向上の実践ポイント」”. ベースボール・マガジン社WEB. 2020年9月18日閲覧。
- ^ “都市対抗Honda鈴鹿硬式野球部”. 2020年9月18日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference
- 熱血監督日記 本人による公式ブログ
- 井戸伸年 (@nobutoshiido) - Instagram