五辻之仲
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時代 | 戦国時代 - 江戸時代初期 |
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生誕 | 永禄元年(1558年) |
死没 | 寛永3年11月25日(1627年1月12日) |
改名 | 実藤→実藤(滋野井)→元仲→之仲 |
官位 | 正三位右兵衛督 |
主君 | 正親町天皇→後陽成天皇→後水尾天皇 |
氏族 | 五辻家 |
父母 |
父:五辻為仲、母:不詳 義父:滋野井公古 |
妻 | 葉室頼房女 |
子 | 滋野井季吉、綾小路高有、奉仲、斉仲 |
五辻 之仲(いつつじ ゆきなか、永禄元年(1558年) - 寛永3年11月25日(1627年1月12日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての日本の公卿。
生涯
[編集]五辻為仲の子として、永禄元年(1558年)に生まれる。初名は実藤(さねふじ)。永禄8年10月22日、8歳のときに叙爵され、藤原北家閑院流の滋野井公古の猶子となる(滋野井実藤)。2日後の10月24日に公古が薨去し、滋野井家の家督を継承した。永禄12年8月20日、逆退[1]して六位蔵人となり、禁色と昇殿を許される。同日源 元仲(みなもと の もとなか)と名を改めたことから、滋野井家から五辻家に戻ったと思われる。ここに滋野井家は中絶した。のち、長男の冬隆(改名して季吉)が公古の猶子となって滋野井家を再興する。
慶長5年12月20日[2](1601年1月24日)、名を之仲(ゆきなか)と改める。慶長14年(1609年)、52歳のとき、従三位に叙され、公卿に列した。寛永3年11月25日、69歳で薨去した。
官歴
[編集]- 永禄8年10月22日(1565年11月14日)、叙爵
- 永禄12年8月20日(1569年9月30日)、六位蔵人、左近衛将監
- 天正5年1月5日(1577年1月23日)、左馬助を兼任
- 天正8年10月1日(1580年11月7日)、従五位下
- 天正8年11月1日(1580年12月7日)、左馬頭
- 天正9年12月13日(1582年1月7日)、従五位上
- 天正11年12月30日(1584年2月11日)、正五位下
- 天正14年(1586年)、従四位下、左馬頭は如元
- 文禄4年12月30日(1596年1月29日)、従四位上
- 慶長9年8月1日(1604年8月25日)、正四位下
- 慶長14年1月6日(1609年2月10日)、従三位
- 慶長16年3月21日(1611年5月3日)、右兵衛督
- 慶長19年1月5日(1614年2月13日)、正三位、右兵衛督は如元
系譜
[編集]脚注
[編集]- ^ 六位蔵人の最上位である極﨟が、五位に欠員がないため昇任できないとき、蔵人のままいたい場合、極﨟を辞して末席の新蔵人となること。
- ^ 公卿補任の九条本では12月29日(1601年2月2日)とされる。(『公卿補任』第三篇、p.531下段)
- ^ 公卿類別譜「葉室家」より。