九二式手榴弾

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九二式手榴弾
写真は九一式手榴弾。九二式手榴弾とほぼ外形が同じである。
種類 手榴弾/ライフルグレネード
原開発国 大日本帝国
運用史
配備期間 1933 - 1945
配備先 大日本帝国陸軍
大日本帝国海軍
関連戦争・紛争 日中戦争
第二次世界大戦
開発史
開発期間 1933
諸元
重量 590グラム

弾頭 TNT
炸薬量 30グラム
信管 7~8秒の遅延信管
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九二式手榴弾(きゅうにしきてりゅうだん)は、大日本帝国陸軍の使用した手榴弾である。外形は九一式手榴弾と変わらないが、内容物にはあか剤、みどり剤と呼ばれる化学物質を充填していた。

概要[編集]

九二式手榴弾は二種類の弾薬が存在する。九二式「あか」曳火手榴弾と、九二式「みどり」曳火手榴弾である。これらは爆発すると、内蔵する毒物によってくしゃみ、催涙を起こさせた。二種類とも十年式擲弾筒からの発射が可能だった。外形は九一式手榴弾と変わらず、全備弾量は「あか」590g、「みどり」587gである。これらは陸軍科学研究所で開発された。

九二式「あか」曳火手榴弾は、1927年昭和2年)に研究に着手、1930年(昭和5年)3月に第一回試験を行った。その後、九一式手榴弾と弾体を統一し、小改修後の1933年(昭和8年)11月に仮制式を上申した。九二式「みどり」曳火手榴弾も同様に、1927年(昭和2年)に研究着手、1931年(昭和6年)12月に完成し、1933年(昭和8年)11月に仮制式を上申した。

構造[編集]

九二式手榴弾は、弾体、炸薬、起爆筒、装薬筒、信管から構成される。弾体は鋳鉄製で外部に筋が入れられている。これは爆発時の効果的な破片生成を狙ったものであった。所定の威力を発揮するには、弾体内部の容積が、30立方cm以上必要とされた。

炸薬室は黄銅で作られ、手榴弾の上部からねじこんで固定された。弾体の中の化学物質が漏れ出さないよう、炸薬室と弾体が接する箇所は鉛鐶でシーリングされていた。ほか、ねじ部に「マグネシヤキツト(原文のまま)」を塗って気密を保持した。炸薬は茶褐薬30gが炸薬室に圧搾直填されていた。起爆筒と装薬筒は九一式手榴弾と同じものである。これは炸薬室の中に収められ、炸薬を起爆させた。信管は曳火手榴弾一〇年式を用いた。

九二式「あか」曳火手榴弾には、あか一号が40g充填されていた。九二式「みどり」曳火手榴弾には、みどり一号とみどり二号の混合物37gが充填された。

化学物質[編集]

あか一号はジフェニル青化砒素を用いた。これは気温15度で液体であり、純度は92%である。あか一号はアニリン亜砒酸炭酸ナトリウム等を原料とする。フェニル砒酸からジフェニル砒酸、さらにジフェニル塩化砒酸を作り、これにシアン化ナトリウムを作用させて精製した。あか剤はくしゃみ性を持ち、咽喉、鼻を刺激するほか、頭痛嘔吐を催させた。

みどり一号は一塩化メチルフェニルケトンを用いた。原料は一塩化酢酸、三塩化燐、ベンゼンから製造された。純度は90%以上で合格とされた。みどり二号は臭化メチルベンゾールを用いた。原料はトルエン及び臭素であった。純度は70%以上である。みどり一号は催涙性を持ち、眼に灼熱のような刺激を与えて視力を妨害し、皮膚、粘膜に触れると疼痛を起こした。この毒作用は短時間で消失した。みどり二号は催涙性を持ち、濃度が濃い場合は悪心、頭痛を引き起こした。ガス濃度が濃い場合には一時失明させた。催涙程度では後遺症はなかった。

効力[編集]

炸裂すると破片が飛散し、毒物が微粒子となって浮遊する。二種類とも毒物の有効界は範囲5m、高さ3mだった。九二式「あか」「みどり」曳火手榴弾は、炸裂すると、風速1、2mの好的な条件では風下750平方mにわたり効果が及んだ。掩蔽壕の内部では威力は特に強く、また十数分にわたって効果を持続した。破片の効力は半径5mである。九二式「みどり」曳火手榴弾の場合、炸裂すると、ガスはくぼみに溜まる傾向があった。

関連する催涙型の兵器としては、暴徒鎮圧用の手投弾薬八九式「みどり」筒がある。

参考文献[編集]

  • 陸軍技術本部 『十年式擲弾筒弾薬九二式あか及みどり曳火手榴弾仮制式制定の件』昭和9年6月。アジア歴史資料センター、C01004338900
  • 陸軍技術本部 『化学兵器中追加制定の件』昭和8年3月。アジア歴史資料センター、C01004062300
  • 陸軍技術本部 『化学兵器制定の件』昭和4年。アジア歴史資料センター、C01003864800
  • 兵器局銃砲課 『手投弾薬八九式甲・乙・丙・「みどり」筒説明書送付の件』昭和4年9月。アジア歴史資料センター、C01003950800

関連項目[編集]