ミハイル・スボーチン

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ミハイル・フョードロヴィッチ・スボーチン(Михаи́л Фёдорович Суббо́тин 、Mikhail Fedorovich Subbotin, 1893年6月29日 - 1966年12月26日)は、ソビエト連邦天文学者天体力学の分野で業績を残した。

ロシア帝国支配下のポーランドオストロウェンカで生まれ、ワルシャワロストフ・ナ・ドヌで学んだ。1922年からタシュケントの天体物理研究所で働き、1925年にタシュケント天文台が独立すると所長に任じられた。1930年からレニングラード大学教授、1934年からレニングラード大学天文台の所長を務めた。1943年からソビエト理論天文学研究所長を務めた。月のクレータ(en:Subbotin (crater))に命名されている。

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