ミッシャ・レヴィツキ
表示
ミッシャ・レヴィツキ | |
---|---|
ミッシャ・レヴィツキ(右)。左は指揮者のウィレム・メンゲルベルク、中央は作曲家のセルゲイ・ラフマニノフ。1922年撮影。 | |
基本情報 | |
生誕 | 1898年5月25日 |
出身地 | ウクライナ クレメンチュク→ アメリカ合衆国 |
死没 | 1941年1月2日(42歳没) |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | ピアニスト |
担当楽器 | ピアノ |
ミッシャ・レヴィツキ(Миша Левицкий; ラテン文字転写例:Mischa Levitzki 1898年5月25日 クレメンチュク - 1941年1月2日 ニュージャージー州エイヴォン=バイ=ザ=シー)は、ウクライナ生まれのロシア系アメリカ人ピアニスト。ミッシャ・レヴィツキー、ミーシャ・レヴィツキなどとも表記される。
経歴
[編集]ワルシャワでアレクサンデル・ミハウォフスキにピアノを師事し、8歳でアントウェルペンにてデビューを果たす。次いで渡米して1906年から1911年までニューヨークの音楽芸術学校(ジュリアード音楽院の前身)に学び、ジグムント・ストヨフスキに師事した。1915年には、ベルリン高等音楽学校にてエルンスト・フォン・ドホナーニに師事し、メンデルスゾーン賞を得てピアノの研修期間を終える。この頃までにはヨーロッパ大陸やスカンジナビアを巡って演奏活動を行なっていた。1916年10月17日にニューヨークにおいて米国デビューを果たし、間もなく米国に居を構える。後に市民権を得てアメリカ合衆国に帰化した。没年の1941年まで世界中で演奏活動を行なった。
ピアノ用に数多くの編曲を遺すとともに、ベートーヴェンの《ピアノ協奏曲 第3番》のために独自のカデンツァを作成した。また、《ワルツ イ長調(Valse in A)》や《ガヴォット》、《ジプシー風ワルツ(Valse tzigane)》、《ユーモレスク》などのピアノ曲も残した。
参考文献
[編集]- David Ewen, Encyclopedia of Concert Music. New York; Hill and Wang, 1959.
外部リンク
[編集]- Mischa Levitzki papers in the Music Division of The New York Public Library for the Peforming Arts.
- Mischa Levitzkiの楽譜 - 国際楽譜ライブラリープロジェクト