マリアン・ヴォロニン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マリアン・ヴォロニン Portal:陸上競技
2012年
選手情報
ラテン文字 Marian Jerzy Woronin
国籍 ポーランドの旗 ポーランド
種目 短距離
生年月日 (1956-08-13) 1956年8月13日(67歳)
出身地 ポーランドの旗 ポーランド マゾフシェ県
100m 10秒00
獲得メダル
ポーランド ポーランド
陸上競技
オリンピック
1980 モスクワ 4x100mリレー
編集 テンプレートのヘルプを表示する

マリアン・ヴォロニン(Marian Jerzy Woronin、1956年8月13日 - )はポーランドの元陸上競技男子短距離選手である。モスクワオリンピック4x100mリレー銀メダリストである。

非黒人選手では突破は不可能されていた10秒の壁に何度も肉薄した成績を残し、1980年代に最も活躍した白人の男子短距離選手のひとりである。

人物[編集]

1956年8月13日、ポーランド・マゾフシェ県出身。1970年代半ばから1980年代半ばまでに活躍した選手で、100mを得意とした。ポーランド代表として1976年モントリオールオリンピック1980年モスクワオリンピックと2大会連続で出場。

1980年モスクワオリンピックでは、男子100m200mの両種目で決勝進出し、いずれも7位に入る健闘を見せた(当時、オリンピックの入賞は6位までだった)。4x100mリレーではアンカーを務め、銀メダルの獲得に貢献した。

1983年の世界陸上ヘルシンキ大会でも100mと4×100mリレーに出場。しかし、100mは2次予選敗退。4×100mリレーも決勝に進出したものの、6位に終わった。

1984年にワルシャワで開かれた国内選手権で、当時のヨーロッパ記録となる10秒00を出した。またポーランド新記録としてもヴィエスワフ・マニアクが記録した10秒1を更新し、現在でもポーランド記録となっている。最盛期を迎えたヴォロニンであったが、1984年ロサンゼルスオリンピックでは東側諸国がボイコットを決めた為、3大会連続のオリンピック出場とはならなかった。

自己ベスト[編集]

  • 50m - 5秒65 (1981年)
  • 100m - 10秒00 (1984年)

主な実績[編集]

大会 場所 種目 結果 記録
1976 オリンピック モントリオール(カナダ) 100m 準決勝敗退 10秒69
1976 オリンピック モントリオール(カナダ) 200m 予選敗退 21秒90
1976 オリンピック モントリオール(カナダ) 4×100mR 4位 38秒83
1977 ヨーロッパ室内陸上競技選手権大会 サン・セバスティアン(スペイン) 60m 3位 6秒67
1978 ヨーロッパ陸上競技選手権大会 プラハ(チェコスロバキア) 4×100mR 優勝 38秒58
1979 ヨーロッパ室内陸上競技選手権大会 ウィーン(オーストリア) 60m 優勝 6秒57
1980 ヨーロッパ室内陸上競技選手権大会 ジンデルフィンゲン(西ドイツ) 60m 優勝 6秒62
1980 オリンピック モスクワ(ソ連) 100m 7位 10秒46
1980 オリンピック モスクワ(ソ連) 200m 7位 20秒81
1980 オリンピック モスクワ(ソ連) 4×100mR 2位 38秒33
1981 ヨーロッパ室内陸上競技選手権大会 グルノーブル(フランス) 50m 優勝 5秒65
1982 ヨーロッパ室内陸上競技選手権大会 ミラノ(イタリア) 60m 優勝 6秒61
1982 ヨーロッパ陸上競技選手権大会 アテネ(ギリシャ) 100m 3位 10秒28
1982 ヨーロッパ陸上競技選手権大会 アテネ(ギリシャ) 4×100mR 5位 39秒00
1983 世界陸上競技選手権大会 ヘルシンキ(フィンランド) 100m 2次予選敗退 10秒72
1983 世界陸上競技選手権大会 ヘルシンキ(フィンランド) 4×100mR 6位 38秒72
1987 ヨーロッパ室内陸上競技選手権大会 リエヴァン(フランス) 60m 優勝 6秒51

外部リンク[編集]