マイク・ブレイベル
Mike Vrabel | |||||||||||||||||
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テネシー・タイタンズでのブレイベル (2022年) | |||||||||||||||||
基本情報 | |||||||||||||||||
ポジション | ラインバッカー | ||||||||||||||||
生年月日 | 1975年8月14日(49歳) | ||||||||||||||||
出身地 |
アメリカ合衆国 オハイオ州アクロン | ||||||||||||||||
身長: | 6' 4" =約193cm | ||||||||||||||||
体重: | 261 lb =約118.4kg | ||||||||||||||||
経歴 | |||||||||||||||||
大学 | オハイオ州立大学 | ||||||||||||||||
NFLドラフト | 1997年 / 3巡目全体91位 | ||||||||||||||||
初出場年 | 1997年 | ||||||||||||||||
初出場チーム | ピッツバーグ・スティーラーズ | ||||||||||||||||
所属歴 | |||||||||||||||||
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受賞歴・記録 | |||||||||||||||||
スーパーボウル制覇(3回) | |||||||||||||||||
2001(第36回)・2003(第38回)・2004(第39回) | |||||||||||||||||
オールプロ選出(1回) | |||||||||||||||||
2007 | |||||||||||||||||
プロボウル選出(1回) | |||||||||||||||||
2007 | |||||||||||||||||
その他受賞・記録 | |||||||||||||||||
ニューイングランド・ペイトリオッツ50周年記念チーム | |||||||||||||||||
NFL 通算成績 | |||||||||||||||||
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ヘッドコーチとしての通算成績 | |||||||||||||||||
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Player stats at PFR | |||||||||||||||||
Coaching stats at PFR |
マイケル・ジョージ・ブレイベル(Michael George Vrabel、1975年8月14日 - )はアメリカ合衆国オハイオ州アクロン出身のアメリカンフットボール元選手、指導者。ポジションはラインバッカー(LB)。現役時代、ピッツバーグ・スティーラーズ、ニューイングランド・ペイトリオッツ、カンザスシティ・チーフスに在籍し、ペイトリオッツでは3度のスーパーボウル制覇を果たしている。引退後はコーチ業を務め、2018年シーズンより2023年シーズンまでテネシー・タイタンズのヘッドコーチを務めた。
経歴
[編集]プロ入りまで
[編集]オハイオ州アクロンで生まれた彼はカヤホガフォールズ近郊の高校に進学、その後オハイオ州立大学に進学した。1993年から1996年までディフェンシブエンドとしてプレーした彼は2年次に12サック、3年次に13サック、4年次に9サックをあげた。3年次、4年次にそれぞれビッグ・テン・カンファレンスの最優秀守備選手に選ばれた。同カンファレンスの最優秀守備選手に2回選ばれたのは他にウェンデル・ブライアントだけである。4年次にはオールアメリカンにも選ばれている。
2000年に大学フットボールチームの20世紀のオールチームに選ばれた。2012年にはオハイオ州立大学のスポーツ殿堂入りを果たした[1]。 .
ピッツバーグ・スティーラーズ
[編集]1997年のドラフト3巡でピッツバーグ・スティーラーズに指名されて入団した。1年目のディビジョナルプレーオフではドリュー・ブレッドソーをサックし、7-6の勝利に貢献した。スティーラーズには4シーズン所属した。
ニューイングランド・ペイトリオッツ
[編集]フリーエージェントとなった彼は2001年にニューイングランド・ペイトリオッツに加入した。この年先発12試合を含む全16試合に出場したが、ビル・ベリチックヘッドコーチは彼にタイトエンドをマークさせた。第38回スーパーボウルで彼は2サック、1ファンブルフォースの他、トム・ブレイディから1ヤードのTDパスを受けた。守備選手がオフェンスプレーでタッチダウンをあげたのは、第20回スーパーボウルのウィリアム・ペリー以来であった。第39回スーパーボウルでも2ヤードのTDパスを受けた。なお彼は通算成績で14回パスターゲットになり、そのうち10回レシーブを記録、いずれもタッチダウンプレーである。
2005年12月26日のマンデーナイトフットボールでは2タッチダウン、1サックをあげた。
2007年の第8週のワシントン・レッドスキンズ戦では3ファンブルフォース、3サック及びオンサイドキックのリカバー、オフェンスでのタッチダウンをあげてAFCの週間最優秀守備選手に選ばれた。その年12月、彼は初めてプロボウルに選ばれた。翌年1月にはオールプロにも選ばれた。
3-4ディフェンスのペイトリオッツに加入して最初の4年間は右アウトサイドラインバッカーであったが、2005年に選手層の薄いインサイドラインバッカーにコンバートされた。テディ・ブルースキが怪我から復帰した後は、コンビを組んだ。その後アウトサイドラインバッカーに復帰したが、2006年シーズン終盤にジュニア・セアウが腕を骨折したため、再度インサイドラインバッカーとなった。
カンザスシティ・チーフス
[編集]2009年2月末、マット・キャセルとともにドラフト2巡指名権とのトレードでカンザスシティ・チーフスに移籍した。
指導者として
[編集]2011年7月10日、現役を引退し、母校オハイオ州立大学のラインバッカーコーチに就任した。同年12月21日、アーバン・メイヤーが新ヘッドコーチに就任した際も留任した。
2014年1月10日、ヒューストン・テキサンズのラインバッカーコーチに就任した。彼の就任後テキサンズの守備は躍進し、2016年1月、サンフランシスコ・49ersの守備コーディネーター候補に名前があがったが彼はその話を断りチームに残留した。2017年1月、ロメオ・クレネルがテキサンズのアシスタントヘッドコーチに昇格する際、後任の守備コーディネーターに昇格した。
2018年1月20日、テネシー・タイタンズのヘッドコーチに就任した。第2週のテキサンズ戦でプロ初勝利をあげた。第4週には前年のスーパーボウルチャンピオンのフィラデルフィア・イーグルスを破った。第10週にはビル・ベリチックのニューイングランド・ペイトリオッツを破った。チームディフェンスは前年より13位成績が向上し、NFL8位となった。チームは9勝7敗で惜しくもプレーオフを逃した。
2019年は第6週のデンバー・ブロンコス戦で完封負けした後、マーカス・マリオタからライアン・タネヒルに先発QBを変更した。チームは開幕から6試合で2勝4敗と苦しんだが9勝7敗でプレーオフに第6シードで進出した。ワイルドカードプレーオフでは前年のスーパーボウルチャンピオン、ニューイングランド・ペイトリオッツを20-13で破った。この試合ではデリック・ヘンリーが204ヤードを走った。ディビジョナルプレーオフでもヘンリーの活躍などで第1シードのボルチモア・レイブンズを28-12で破ったが、AFCチャンピオンシップゲームではカンザスシティ・チーフスに24-35で破れスーパーボウル出場は果たせなかった。2021年シーズン、AP通信からコーチ・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。
2022年はライアン・タネヒルが故障した後、チームは失速しプレーオフを逃した。2023年も6勝11敗でプレーオフを逃し、2024年1月9日、タイタンズから解雇された。
脚注
[編集]- ^ Bill Livingston (2012年9月21日). “For Ohio State's John Simon, every week is a big game: Bill Livingston”. 2024年1月24日閲覧。
外部リンク
[編集]- 選手の通算成績と情報: NFL.com • Pro-Football-Reference
- Tennessee Titans bio