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ビアンカ・ディ・ボルゴーニャ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ブランシュ・ド・ブルゴーニュ
Blanche de Bourgogne
祈るブランシュ(『サヴォイア時祷書』より)

出生 1288年
死去 1348年7月28日
ブルゴーニュ公領、ディジョン
埋葬 ブルゴーニュ公領、ディジョン、コルドリエ修道院
配偶者 サヴォイア伯エドアルド
子女 ジョヴァンナ
家名 ブルゴーニュ家
父親 ブルゴーニュ公ロベール2世
母親 アニェス・ド・フランス
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ビアンカ・ディ・ボルゴーニャイタリア語:Bianca di Borgogna, 1288年 - 1348年7月28日)は、サヴォイア伯エドアルドの妃。フランス名はブランシュ・ド・ブルゴーニュ(Blanche de Bourgogne)。

生涯

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ブルゴーニュ公ロベール2世の娘で、母はフランスルイ9世の末娘アニェス

1307年にエドアルドと結婚し[1]、一女ジョヴァンナ(ジャンヌ、1310年 - 1344年)をもうけた。ジョヴァンナはブルターニュ公ジャン3世と結婚した。

1329年にエドアルドが死去したが男子がいなかったため、弟アイモーネがサヴォイア伯を相続した。

1346年および1347年に、ビアンカは甥アメデーオ6世に対し、ブルゴーニュとの同盟を続行させた。このため、アメデーオ6世と、フィリップ・ド・ブルゴーニュの娘ジャンヌとの婚約が一時期成立した[2]

ビアンカは1348年7月28日に死去した。死因は黒死病であったと考えられている[3]

脚注

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  1. ^ Cox 1967, p. 59.
  2. ^ Cox 1967, p. 59–61.
  3. ^ Cox 1967, p. 70.

参考文献

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