スペインの民主化
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- スペイン王国
- Reino de España
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←1975年 - 1982年 → (国旗) (国章) - 国の標語: Plus Ultra
更なる前進 - 国歌: Marcha Real
国王行進曲
1975年のスペイン王国-
公用語 スペイン語
カタルーニャ語
バスク語
ガリシア語宗教 カトリック教会 首都 マドリード - 国王
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1975年 - 1982年 フアン・カルロス1世 - 首相
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1975年 - 1976年 カルロス・アリアス・ナバーロ 1976年 - 1981年 アドルフォ・スアレス 1981年 - 1982年 レオポルド・カルボ=ソテーロ - 変遷
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フランシスコ・フランコの死去 1975年11月20日 政治改革法 1976年11月18日 1977年スペイン総選挙 1977年6月15日 恩赦法 1977年10月15日 スペイン1978年憲法採択 1978年12月29日 1979年スペイン総選挙 1979年3月1日 23-F 1981年2月23日 1982年スペイン総選挙 1982年10月28日
通貨 ペセタ 現在 スペイン
スペインの民主化(スペインのみんしゅか、スペイン語: la Transición、la Transición española)は、スペインが民主化する1975年から1982年までの期間である。
解説
[編集]民主化移行は、スペイン国の総統であったフランシスコ・フランコが1975年に死去したことによって始まった[1]。
生前フランコが後継者に指名していたフアン・カルロス王子が、フランコの遺言通りスペイン国王として即位した。フアン・カルロスは、フランコの庇護下にて帝王学の教育を受けていたこともあり、そのまま権威主義体制をとるかと思われていた。しかし、即位後フアン・カルロスは権威主義体制を受け継がず、民政移管の為の改革を積極的に行った。こうして、1977年の総選挙によって民主的な議会が成立、スペイン内戦で崩壊した共和国の亡命政府も選挙結果を受け入れて解散した。そして、1978年の国民投票によって新憲法が採択され、再び君主制が復活した。
しかしその反面、これを不服としていたスペイン軍兵士や治安警備隊が、フランコ体制の復活を目的としたクーデター未遂事件(23-F)を起こしたり、世界的な経済混乱が続いたりと、様々な出来事に見舞われた時代であった。
尚、民主化移行期間は、1982年の総選挙でスペイン社会労働党が圧勝し、平和的な政権移行が行われたことで終了したと言われている。
脚注
[編集]- ^ Colomer Rubio 2012, p. 260.