ジョゼフ・デュクルー
ジョゼフ・デュクルー Joseph Ducreux | |
---|---|
Portrait de l'artiste sous les traits d'un moqueur, Self-portrait, ca. 1793 | |
本名 | Joseph Ducreux |
誕生日 | 1735年6月26日 |
出生地 | フランス王国、ナンシー |
死没年 | 1802年7月24日 (67歳) |
死没地 | フランス共和国、パリからサン=ドニへの道中 |
芸術分野 | 肖像画家 |
受賞 | premier peintre de la reine |
ジョゼフ・デュクルー(Joseph Ducreux, 1735年6月26日 - 1802年7月24日)は、フランス貴族、肖像画家、パステル画家、細密画家、エングレーバーで、フランス王ルイ16世の宮廷肖像画家として、そしてフランス革命後も成功を収めた人物である。男爵に叙され、premier peintre de la reine(女王付の第一画家)に就任し、処刑前のルイ16世最後の肖像画も描いている[1]。
略歴[編集]
ムルト=エ=モゼル県のナンシーで生まれた。画家の父親から、絵画を学んだ後、1760年のパリに出て、肖像画家のモーリス・カンタン・ド・ラ・トゥールの弟子になった。ジャン=バティスト・グルーズからも油絵の技法を学んだ。
1769年にフランス王太子と婚約したマリー・アントワネットの肖像画を描くためにウィーンに派遣され、この功績でデュクルーは宮廷画家になり爵位を得た。フランス革命が始まるとロンドンに移りロンドンで処刑前のルイ16世最後の肖像画を描いた。
ジャコバン党員として、革命にかかわった画家のジャック=ルイ・ダヴィッドの援助で、1793年にパリに帰還でき、 公的な画家の仕事を続けることができるようになり、パリのデュクルーの邸は多くの芸術家が集まる場所になった。フランス第一共和政下の1802年に亡くなった。
インターネットミーム[編集]
デュクルーの自画像は、ラップやポップソング、インターネットフレーズなどと組み合され、インターネット・ミームとしてネット上で面白おかしく加工されている[2]
ギャラリー[編集]
-
1769年のマリー・アントワネット、完成後ドーファン(王太子)に送られ、結婚前にルイ16世は彼女の姿を確認した。
-
政治家ジョルジュ・カドゥーダル, 1800
-
Le Discret (ca. 1790) - see text
-
デュクルーによるエッチング, 1791
出典[編集]
- ^ “Louis XVI” (French). 2010年11月27日閲覧。
- ^ Klee, Miles. “Vanishing Point (Your Memes Reviewed): The Joseph Ducreux Self-Portrait”. 2011年5月15日閲覧。