ケビン・リトル (陸上選手)
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選手情報 | ||||||||||||||||||||||||||||||
ラテン文字 | Kevin Little | |||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | アメリカ合衆国 | |||||||||||||||||||||||||||||
競技 | 陸上競技 (短距離走) | |||||||||||||||||||||||||||||
種目 | 200m | |||||||||||||||||||||||||||||
大学 | ドライク大学 | |||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1968年4月3日(56歳) | |||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | アイオワ州デモイン | |||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 183cm | |||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 73kg | |||||||||||||||||||||||||||||
成績 | ||||||||||||||||||||||||||||||
世界選手権 | 200m 6位 (1999年) | |||||||||||||||||||||||||||||
自己ベスト | ||||||||||||||||||||||||||||||
60m | 6秒64 (2001年) | |||||||||||||||||||||||||||||
100m |
10秒13 (1998年) 10秒11w (1992年) | |||||||||||||||||||||||||||||
200m |
20秒10 (1999年) 19秒94w (1995年) | |||||||||||||||||||||||||||||
400m | 44秒77 (1996年) | |||||||||||||||||||||||||||||
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ケビン・リトル(Kevin Little、1968年4月3日 ‐ )は、アメリカ合衆国・デモイン出身で短距離走が専門の元陸上競技選手。室内200mの自己ベストは20秒32の元北中米カリブ海記録保持者。1997年パリ世界室内選手権男子200mの金メダリストである。
200mがメインの白人スプリンター。世界選手権で2回、世界室内選手権では5回決勝に進出した実績を持ち、世界室内選手権では1つの金メダルを含む計4つのメダルを獲得した。アメリカの白人スプリンターとしては、1956年メルボルンオリンピックで3冠(100m、200m、4×100mリレー)を達成したボビー・モロー以来、41年ぶりに世界大会の金メダルに輝いた選手である。
経歴
[編集]1989年
[編集]3月、ブダペスト世界室内選手権の男子200m決勝で21秒12をマークし、ジョン・レジス(20秒54)とAde Mafe(20秒87)に次ぐ3位に入り銅メダルを獲得した[1]。
1993年
[編集]3月、トロント世界室内選手権の男子200m決勝で20秒72をマークし、ジェームス・トラップ(20秒63)とダミアン・マーシュ(20秒71)に次ぐ3位に入った[2]。2位とは0秒01差で惜しくも銀メダルを逃したが、4年ぶりに出場した大会で前回に続き銅メダルを獲得した。
1995年
[編集]8月、ヨーテボリ世界選手権の男子200m2次予選で20秒60(-0.1)の組5着に終わり、組4着とは0秒05差で準決勝進出を逃した[3]。
1997年
[編集]3月、3度目の世界室内選手権出場となったパリ世界室内選手権の男子200mでは、予選を全体1位の20秒73で突破すると、準決勝ではアト・ボルドン(20秒41)に次ぐ20秒46の全体2位で決勝に進出した。迎えた決勝では20秒40のアメリカタイ記録および大会記録(ともに当時)を樹立し、イバン・ガルシア(20秒46)やフランシス・オビクウェル(21秒10)らを破り初優勝を成し遂げた[注 1][5]。世界大会(オリンピック、屋外と室内の世界選手権)におけるアメリカ白人スプリンターの金メダル獲得は、1956年メルボルンオリンピックで3冠(男子100m、200m、4×100mリレー)を達成したボビー・モロー以来だった[6]。
8月、アテネ世界選手権の男子200m2次予選を20秒38(+0.4)の組2着で突破し、屋外の世界選手権で初の準決勝進出を果たしたが、準決勝は20秒57(-0.5)の組6着で敗退した[7]。
1999年
[編集]3月、前橋世界室内選手権の男子200m準決勝を20秒32の北中米カリブ記録(当時)で突破。決勝では20秒48とタイムを落とし、フランク・フレデリクス(20秒10)とオバデレ・トンプソン(20秒26)に次ぐ3位に終わり連覇は逃したもの、世界室内選手権4つ目のメダルとなる銅メダルを獲得した[8]。
8月、セビリア世界選手権の男子200m2次予選を20秒38(+0.2)の組3着で突破し、1995年ヨーテボリ大会に続いて準決勝に進出すると、準決勝では20秒10(+1.7)の自己ベストをマーク。準決勝を全体3位タイで突破し初の決勝に進出したが、迎えた決勝では20秒37(+1.2)とタイムを落とし6位に終わった[9]。
2001年
[編集]3月、リスボン世界室内選手権の男子200m準決勝で20秒73マークし、全体1位のタイムで5度目の決勝進出を果たすも[10]、ハムストリングスを痛め決勝は棄権した[11]。
8月、エドモントン世界選手権の男子200m準決勝で自己ベストに迫る20秒13(+1.0)をマーク。2大会連続で決勝に進出したが、決勝は20秒25(+0.1)の7位に終わった[12]。
自己ベスト
[編集]記録欄の( )内の数字は風速(m/s)で、+は追い風を意味する。
種目 | 記録 | 年月日 | 場所 | 備考 |
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屋外 | ||||
100m | 10秒13 (+1.8) | 1998年4月19日 | ウォルナット | |
10秒11w (+3.1) | 1992年4月11日 | ボルダー | 追い風参考記録 | |
200m | 20秒10 (+1.7) | 1999年8月25日 | セビリア | |
19秒94w (+2.3) | 1995年6月17日 | サクラメント | 追い風参考記録 | |
400m | 44秒77 | 1996年4月21日 | ウォルナット | |
室内 | ||||
55m | 6秒14 | 1998年1月31日 | コロラドスプリングス | |
60m | 6秒64 | 2001年2月17日 | コロラドスプリングス | |
200m | 20秒32 | 1999年3月5日 | 前橋 | 元北中米カリブ海記録 |
主要大会成績
[編集]備考欄の記録は当時のもの
年 | 大会 | 場所 | 種目 | 結果 | 記録 | 備考 |
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1989 | 世界室内選手権 | ブダペスト | 200m | 3位 | 21秒12 | |
1991 | パンアメリカン競技大会 (en) | ハバナ | 200m | 2位 | 20秒63 | |
1993 | 世界室内選手権 | トロント | 200m | 3位 | 20秒72 | 2位と0秒01差 |
1995 | 世界選手権 | ヨーテボリ | 200m | 2次予選 | 20秒60 (-0.1) | |
1997 | 世界室内選手権 | パリ | 200m | 優勝 | 20秒40 | 大会記録 |
世界選手権 | アテネ | 200m | 準決勝 | 20秒57 (-0.5) | ||
グランプリファイナル (en) | 福岡 | 200m | 7位 | 20秒55 (+0.3) | ||
1999 | 世界室内選手権 | 前橋 | 200m | 3位 | 20秒48 | 準決勝20秒32:北中米カリブ海記録 |
世界選手権 | セビリア | 200m | 6位 | 20秒37 (+1.2) | 準決勝20秒10 (+1.7):自己ベスト | |
グランプリファイナル (en) | ミュンヘン | 200m | 8位 | 20秒53 (-0.8) | ||
2001 | 世界室内選手権 | リスボン | 200m | 決勝 | DNS | 準決勝20秒73 |
世界選手権 | エドモントン | 200m | 7位 | 20秒25 (+0.1) | ||
グッドウィルゲームズ (en) | ブリスベン | 200m | 6位 | 20秒90 | ||
4x100mR | 決勝 | DQ (1走) | ||||
グランプリファイナル (en) | メルボルン | 200m | 7位 | 20秒95 (+1.0) |
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “第2回世界室内選手権男子200m決勝リザルト”. 国際陸上競技連盟. 2016年2月25日閲覧。
- ^ “第4回世界室内選手権男子200m決勝リザルト”. 国際陸上競技連盟. 2016年2月25日閲覧。
- ^ “第5回世界選手権男子200m2次予選リザルト”. 国際陸上競技連盟. 2016年2月25日閲覧。
- ^ “Little, an American, Wins a Surprise Gold in 200 at World Championships”. ニューヨーク・タイムズ (1997年3月9日). 2016年2月25日閲覧。
- ^ “第6回世界室内選手権男子200mリザルト”. 国際陸上競技連盟. 2016年2月25日閲覧。
- ^ “Kevin Little a surprise winner in 200 at indoor championhips”. AP通信 (1997年3月8日). 2016年2月25日閲覧。
- ^ “第6回世界選手権男子200m準決勝リザルト”. 国際陸上競技連盟. 2016年2月25日閲覧。
- ^ “第7回世界室内選手権男子200m決勝リザルト”. 国際陸上競技連盟. 2016年2月25日閲覧。
- ^ “第7回世界選手権男子200m決勝リザルト”. 国際陸上競技連盟. 2016年2月25日閲覧。
- ^ “第8回世界室内選手権男子200m準決勝サマリー”. 国際陸上競技連盟. 2016年2月25日閲覧。
- ^ “Silver success for Malcolm”. BBCスポーツ (2001年3月10日). 2016年2月25日閲覧。
- ^ “第8回世界選手権男子200m決勝リザルト”. 国際陸上競技連盟. 2016年2月25日閲覧。