カトウ・サトリ
カトウ・サトリ[1] (加藤 サトリ[2][3]、加藤 了[要出典]、生没年不詳)は、日本の化学者。コーヒー抽出液を真空乾燥して粉末にするインスタントコーヒーの特許をアメリカ合衆国で取得した[4]。
英語ではSatri Kato[5]のほか、Sartri Katoとも表記される[6]。
記録
[編集]19世紀末、シカゴに留学し緑茶粉末化の研究を行っていた加藤は水分除去法を開発、米国で知られるところとなり、米国のコーヒー輸入業者と焙煎業者がコーヒーでの応用を依頼した[4]。依頼に応じた加藤は、米国人化学者の協力を得て1899年(文献によっては1881年)、コーヒー抽出液を真空乾燥して粉末にすることに成功、1901年4月17日、特許出願の書類を提出した[4]。
1901年にバッファローで行われたパンアメリカン博覧会で「ソリュブル・コーヒー」(可溶性コーヒー)として発表した[4][7][2][8]。
1903年8月11日に特許"Coffee Concentrate and Process of Making Same" (No. 735,777)を取得[9][10][4]。しかし、商品化には成功しなかった[4]。
Kato Coffee Company(カトウコーヒー社)を設立していた[5][4]。
異説
[編集]加藤秀俊は、カトウ・サトリは日本でコーヒーの粉末化実験に成功したとしている[11][8]。
他の特許取得者
[編集]1889年にニュージーランドのデイビッド・ストラングが「ソリュブル・コーヒー・パウダー」の作成法の特許を取得している[12]。
その後、1906年にアメリカ人発明家のジョージ・ワシントン(George C.L. Washington)が別の特許を取得した[4]。1909年にヨーロッパで「ベルナ」というインスタントコーヒーが販売されたが、そのラベルに発明者はジョージ・ワシントンと書かれていたが、詳細は不明である[13][8]。ワシントンはRed E Coffeeの大量生産を開始し、第一次世界大戦中の米軍で供給された[4]。
参考文献
[編集]- 朝倉治彦ほか編『事物起源辞典 衣食住編』、東京堂出版,2001
- エドワード・デボノ編、渡辺 茂/監訳『発明とアイデアの歴史』(講談社,1977)
- 大阪市立中央図書館レファレンスサービス[2]、2010年、レファレンス協同データベース。
- 岡部和彦編『酒・たばこ・コーヒー 』 (1988)
- 加藤秀俊『食の社会学』(1988年)
- 西東秋男編『日本食文化人物事典 人物で読む日本食文化史』(筑波書房,2005)「加藤サトリ」
- 田中重弘『ネスカフェはなぜ世界を制覇できたか』(1988)
- 富田仁『西洋料理がやってきた』東京書籍,1983
- 富田仁編『事典近代日本の先駆者』(日外アソシエーツ 1995)
脚注
[編集]- ^ エドワード・デボノ編、渡辺 茂/監訳『発明とアイデアの歴史』(講談社,1977)
- ^ a b 西東秋男編『日本食文化人物事典 人物で読む日本食文化史』筑波書房,2005
- ^ 富田仁編『事典近代日本の先駆者』(日外アソシエーツ 1995)
- ^ a b c d e f g h i RANDY ALFRED,Aug. 11, 1903: Instant Coffee, a Mixed Blessing,08.11.09 ,12:00 AM.WIRED(日本語訳WIRED2009.9.10.「インスタント・コーヒー、最初の特許は日本人」
- ^ a b パンアメリカン博覧会におけるパンフレット
- ^ madehow.com(英語) Sartori表記の例
- ^ パンアメリカン博覧会におけるパンフレット(2012年2月24日閲覧)
- ^ a b c 大阪市立中央図書館レファレンスサービス[1]、2010年、レファレンス協同データベース。
- ^ August 11, Today in Science History(2012年2月24日閲覧)
- ^ Google Patentに収録された特許公報(2012年2月24日閲覧)
- ^ 加藤秀俊『食の社会学』(1988年)p256
- ^ Instant coffee invented down south 2012年12月16日
- ^ 田中重弘『ネスカフェはなぜ世界を制覇できたか』(1988)p44
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- パンアメリカン博覧会におけるパンフレット
- 日本インスタントコーヒー協会
- madehow.com(英語) Sartori表記の例