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エレオノーレ・ツー・レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ロシュフォール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エレオノーレ・ツー・レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ロシュフォール
Eleonore zu Löwenstein-Wertheim-Rochefort

称号 ヘッセン=ローテンブルク方伯妃
出生 (1686-02-16) 1686年2月16日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
オーストリアの旗 オーストリア大公国ウィーン
死去 (1753-02-22) 1753年2月22日(67歳没)
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ヘッセン=ローテンブルク方伯領、ローテンブルク、ローテンブルク城
配偶者 ヘッセン=ローテンブルク方伯エルンスト2世・レオポルト
子女 一覧参照
家名 レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ロシュフォール家
父親 レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ロシュフォールマクシミリアン・カール
母親 ポリクセナ・クーエン・フォン・リヒテンベルク・ウント・ベラージ
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エレオノーレ・マリア・アンナ・ツー・レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ロシュフォールEleonore Maria Anna Gräfin zu Löwenstein-Wertheim-Rochefort, 1686年2月16日 - 1753年2月22日)は、ドイツのヘッセン=ローテンブルク方伯エルンスト2世・レオポルトの妻。

レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ロシュフォール伯(1712年より侯)マクシミリアン・カールとその妻の伯爵令嬢ポリクセナ・クーエン・フォン・リヒテンベルク・ウント・ベラージの間の次女として生まれた。1704年11月9日にフランクフルト・アム・マインにおいて[1]、従兄にあたるヘッセン=ローテンブルク方伯エルンスト・レオポルトと結婚した。神聖ローマ皇帝家の重臣の娘として、また方伯夫人として、欧州の宮廷政治に隠然たる影響力を行使したと言われ、自分の娘たちを次々に諸外国の王室に嫁がせた。

子女

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夫との間に4男6女の計10人の子女をもうけた。

参考文献

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  • Hans-Günter Kittelmann: Kleiner Führer durch die Rotenburger Quart 1627–1834 und das Fürstenhaus Hessen-Rotenburg. Geschichtsverein Altkreis Rotenburg. Seite 28–43, ISBN 3-00-010155-1.

脚注

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  1. ^ van de Pas, Leo. “Gräfin Eleonore zu Löwenstein-Wertheim- Rochefort”. Genealogics .org. 2010年3月1日閲覧。