エレオノーレ・ツー・レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ロシュフォール
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エレオノーレ・ツー・レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ロシュフォール Eleonore zu Löwenstein-Wertheim-Rochefort | |
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称号 | ヘッセン=ローテンブルク方伯妃 |
出生 |
1686年2月16日 神聖ローマ帝国 オーストリア大公国、ウィーン |
死去 |
1753年2月22日(67歳没) 神聖ローマ帝国 ヘッセン=ローテンブルク方伯領、ローテンブルク、ローテンブルク城 |
配偶者 | ヘッセン=ローテンブルク方伯エルンスト2世・レオポルト |
子女 | 一覧参照 |
家名 | レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ロシュフォール家 |
父親 | レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ロシュフォール伯マクシミリアン・カール |
母親 | ポリクセナ・クーエン・フォン・リヒテンベルク・ウント・ベラージ |
エレオノーレ・マリア・アンナ・ツー・レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ロシュフォール(Eleonore Maria Anna Gräfin zu Löwenstein-Wertheim-Rochefort, 1686年2月16日 - 1753年2月22日)は、ドイツのヘッセン=ローテンブルク方伯エルンスト2世・レオポルトの妻。
レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ロシュフォール伯(1712年より侯)マクシミリアン・カールとその妻の伯爵令嬢ポリクセナ・クーエン・フォン・リヒテンベルク・ウント・ベラージの間の次女として生まれた。1704年11月9日にフランクフルト・アム・マインにおいて[1]、従兄にあたるヘッセン=ローテンブルク方伯エルンスト・レオポルトと結婚した。神聖ローマ皇帝家の重臣の娘として、また方伯夫人として、欧州の宮廷政治に隠然たる影響力を行使したと言われ、自分の娘たちを次々に諸外国の王室に嫁がせた。
子女
[編集]夫との間に4男6女の計10人の子女をもうけた。
- ヨーゼフ(1705年 - 1744年) - 方伯世子
- ポリクセナ(1706年 - 1735年) - 1724年、サルデーニャ王カルロ・エマヌエーレ3世と結婚
- ヴィルヘルミーネ(1707年 - 1708年)
- ヴィルヘルム(1708年)
- ゾフィー(1709年 - 1711年)
- フランツ(1710年 - 1739年)
- エレオノーレ(1712年 - 1759年) - 1731年、プファルツ=ズルツバッハ公ヨハン・クリスティアンと結婚
- カロリーネ(1714年 - 1741年) - 1728年、コンデ公ルイ4世アンリと結婚
- コンスタンティン(1716年 - 1778年) - ヘッセン=ローテンブルク方伯
- クリスティーネ(1717年 - 1781年) - 1740年、カリニャーノ公ルイージ・ヴィットーリオと結婚
参考文献
[編集]- Hans-Günter Kittelmann: Kleiner Führer durch die Rotenburger Quart 1627–1834 und das Fürstenhaus Hessen-Rotenburg. Geschichtsverein Altkreis Rotenburg. Seite 28–43, ISBN 3-00-010155-1.
脚注
[編集]- ^ van de Pas, Leo. “Gräfin Eleonore zu Löwenstein-Wertheim- Rochefort”. Genealogics .org. 2010年3月1日閲覧。