ウィレム・ヘンドリック・デ・フリース
ウィレム・ヘンドリック・デ・フリース(Willem Hendrik de Vriese、1806年8月11日 – 1862年1月23日)は、オランダの植物学者、医師である。
略歴
[編集]北ブラバント州のオーステルハウトで生まれた。ライデン大学で医学を学んだ。1831年に学位を得て、ロッテルダムで医師を開業する一方、医学校で植物学を教えた。1834年にAthenaeum Illustré(後のアムステルダム大学)の准教授に任じられ、1841年に正教授になった。1845年にライデン大学の植物学教授となり、カスパー・カール・ゲオルク・ラインヴァルトの後を継いで、ライデン薬草園の園長となった。1838年からオランダ科学アカデミーの会員である。
1857年10月に彼はオランダ領東インドの植物調査を任され、翌年ジャワ島、ボルネオ島、スマトラ島、モルッカ諸島での研究を行ったが、体調をくずし、1861年に帰国し、数ヵ月後ライデンで没した。
著書には、銀行家のアドリアーン・ファン・デル・ホープ(Adriaan van der Hoop)が収集した珍しい植物コレクションの目録、Hortus Spaarne-Bergensis" (1839)の巻頭部や、ラインヴァルトの没後にラインヴァルトの遺稿を編集し[1]、1856年に"Plantae Indiae Batavae Orientalis: quas, in itinere per insulas Archipelagi Indici Javam, Amboinam, Celebem, Ternatam, aliasque, annis 1815-1821 exploravit Casp. Georg. Carol. Reinwardt" として出版した).[2]。キナなどに関する著作や、ラフレシア属や、ペーター・ハルティンクと共著でリュウビンタイ科のモノグラフを執筆した[3]。
パイナップル科のフリーセア属[注 1] Vriesea Lindl.はデ・フリースに因んで命名された。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- ^ Vriese, Willem Hendrik de @ Nationaal Herbarium Nederland
- ^ Google Books Plantae Indiae Batavae Orientalis
- ^ Natural History Museum References