アンドレイ・シャポヴァリヤンツ
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アンドレイ・シャポヴァリヤンツ Андрей Георгиевич Шаповальянц | |
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ドイツの実業家、銀行家と会談するアンドレイ・シャポヴァリヤンツ(左)、イーゴリ・イワノフ外相(中央)、ウラジーミル・プーチン大統領代行(右、2000年3月13日撮影) | |
生年月日 | 1952年2月23日(72歳) |
出生地 |
ソビエト連邦 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国、モスクワ |
出身校 | プレハーノフ名称モスクワ国民経済大学財政学部、同大学院 |
前職 | ゴスプラン官僚、ロシア共和国第一経済財政次官、ロシア連邦第一経済次官、ロシア連邦経済相 |
称号 | 経済学博士候補 |
内閣 | 第1次ウラジーミル・プーチン内閣 |
在任期間 | 1998年9月25日 - 2000年5月18日 |
アンドレイ・レオニードヴィチ・シャポヴァリヤンツ(シャポワリヤンツ[1]、ロシア語: Андрей Георгиевич Шаповальянц、ラテン文字表記の例:Andrey Georgiyevich Shapoval'yants、1952年2月23日 - )は、ロシアの政治家。1998年から2000年までロシア連邦経済相[2]。経済学博士候補。
来歴
[編集]1974年、プレハーノフ名称モスクワ国民経済大学財政学部を卒業する。1984年、プレハーノフ名称国民経済大学大学院を修了。この間、1969年から1971年まで「エレクトロニカ」(Электроника)研究所、1971年から1982年までソ連国家計画委員会(ゴスプラン)メインコンピューターセンターにそれぞれ勤務した。1982年から1990年にかけ、ゴスプランで財務複合価格部の副部長、部長職を歴任する。1991年、ソ連経済予測省財務信用政策(財政金融政策)局長。1991年から1992年まで、ロシア共和国経済・財政省第一次官。1993年3月から4月ロシア連邦経済相代行。1993年3月からはロシア連邦大統領付属ロシア連邦人民(国民)特別文化遺産専門家評議会の委員。1993年4月、ロシア連邦第一経済次官兼ロシア企業家精神支援・競争開発基金監督委員会議長。
脚注
[編集]- ^ ロシア政治家エリート”. 北海道大学スラブ研究センター. 2014年2月16日閲覧。 “
- ^ Шаповальянц, Андрей Георгиевич(アンドレイ・レオニードヴィチ・シャポヴァリヤンツ、経歴)”. 2014年2月15日閲覧。 “
外部リンク
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