アロイス・フレイシュマン
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アロイス・フレイシュマン(Aloys Fleischmann, 1910年4月13日 - 1992年7月21日[1])は、アイルランドの作曲家、音楽学者。多くのジャンルで作曲し、室内楽、独奏、バレエ、合唱、管弦楽の作品を残している。
経歴
[編集]両親はコーク在住のドイツ系アイルランド人の音楽家で、ミュンヘンへの演奏旅行中に生まれた。1931年にユニバーシティ・カレッジ・コークを卒業して音楽学士の称号を得、1932年には芸術修士の称号を得た。その後ミュンヘン大学に留学し、作曲・指揮・音楽学を学んだ。
1934年、ユニバーシティ・カレッジ・コークに戻り、1980年まで教授の職にあった。彼は1934年にコーク交響楽団を設立して、1954年にコーク国際合唱・フォークダンス・フェスティバルの設立にかかわった。さらに1947年、ジョアン・デニス・モリアティとともにコーク・バレエ団を設立するのに尽力した。
彼がリムリック大学のミーハウル・オ・スーラヴァウンと共同で40年間かけて編纂したアイルランド伝統音楽は、死後の1998年に公表された。
作品
[編集]- コの黄金の鐘(1948年)
- クレアの竜騎兵(1945年)
- 赤いペチコート(1951年)
- アン・トスタルのための4つのファンファーレ(1953年)
- ボティーバ交響曲(1977年)
- パトリック・ピアースへのオマージュ(1979年)
文献
[編集]- Ruth Fleischmann ed., Aloys Fleischmann: A Life for Music in Ireland Remembered by Contemporaries, Cork (Mercier), 2000. ISBN 1-85635-328-1
- Séamas de Barra, Aloys Fleischmann, Notre Dame/USA and Dublin (Field Day Books), 2006. ISBN 0-946755-32-9
脚注
[編集]- ^ “Fleischmann, Aloys (Aloys Georg)”. Bayerisches Musiker-Lexikon Online (BMLO). 2024年6月20日閲覧。