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アラスカ州知事

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第14代アラスカ州知事マイク・ダンリービー

アラスカ州知事 (アラスカしゅうちじ、Governor of Alaska) は、アメリカ合衆国アラスカ州の州知事(政府の長)であると共に、アラスカ州兵の総司令官でもある。知事は州法を遵守する義務を負い、また州議会を通過した議案に賛成または反対する権限[1]や、州議会を招集する権限、弾劾の場合を除いて恩赦を与える権限[2]を有する。

概要

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州憲法は4年ごとに行われる州知事選挙・副知事選挙・選挙後の12月の第1月曜日に始まる彼らの任期について定めている[3]。知事は1度の再任が認められているが、連続して2期務めてから再出馬が認められるまで、4年間待つ必要がある[4]。仮に知事職が欠けた場合は、副知事が知事の称号を引き受ける[5]。 1956年の最初の憲法は州務長官(secretary of state:権能は副知事と同一)の職を設けた。同職は1970年に副知事 (lieutenant governor) に改称された[6]

同州では10人の知事が12期を務めた。また、アラスカ準州としての長い歴史の中で、30人を超える文民・軍人が知事に就いた。ウィリアム・A・イーガン英語版ウォルター・J・ヒッケル英語版の2名は、連続しない複数の任期を務めた。最も長く州知事を務めたのはイーガンであり、延べ12年近く務めた。最も長く準州知事を務めたのはアーネスト・グリューニングであり、13年半務めた。1990年にヒッケルがアラスカ独立党英語版から出馬して当選した。第3党が勝利を収めるのは、アメリカの政界では珍しいことである。現在の知事は共和党のマイク・ダンリービーである。

知事

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アラスカは1867年にアメリカ合衆国によってロシア帝国から購入され、同年10月18日に正式に移転した。この日は現在、「アラスカの日」として祝われている[7]。それまでは、この地はロシア領アメリカまたはロシア領アラスカとして知られており、露米会社の総督や本部長が統治していた。

アラスカ県司令官

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ジェファソン・C・デイヴィス。初代アラスカ県司令官
アルフレッド・P・スウィンフォード。第2代アラスカ地区知事
アーネスト・グリューニング。第7代アラスカ準州知事、アラスカ初の上院議員2人のうちの1人
ウォルター・J・ヒッケル英語版。第2代・第8代アラスカ知事、第38代アメリカ合衆国内務長官
フランク・マーカウスキー。第10代アラスカ州知事
サラ・ペイリン。第11代アラスカ州知事、アラスカ州初の女性知事
第13代アラスカ州知事ビル・ウォーカー

この広大な地域は、当初アラスカ県 (Department of Alaska) とされ、旧陸軍省(戦争省)の司法権の下で陸軍士官によって、陸軍がアラスカから撤退する1877年まで統治された。代わって財務省の税関長が、この地域における最高幹部として統治権を握った。1879年、海軍が同県の司法権の付与を受けた。[8]

アメリカ人として初のアラスカ統治者は、ポーランド系移民ヴワズィミエシュ・クシジャノフスキであったとみられている。しかし『アンカレッジ・デイリーニューズ』は、この主張を裏付ける決定的証拠を発見できなかった。[9]

司令官 就任 退任
合衆国陸軍
1 ジェファソン・C・デイヴィス少将(名誉昇進) 1867年10月18日 1870年8月31日
2 ジョージ・K・ブレイディ中佐(名誉昇進) 1870年9月1日 1870年9月22日
3 ジョン・C・ティッドボール少佐 1870年9月23日 1871年9月19日
4 ハーヴィー・A・アレン少佐 1871年9月20日 1873年1月3日
5 ジョーゼフ・ステュアート少佐 1873年1月4日 1874年4月20日
6 ジョージ・R・ロドニー大尉 1874年4月21日 1874年8月16日
7 ジョーゼフ・B・キャンベル大尉 1874年8月17日 1876年6月14日
8 ジョン・メンデンホール大尉 1876年6月15日 1877年3月4日
9 アーサー・モリス大尉 1877年3月5日 1877年6月14日
合衆国財務省
10 モンゴメリー・P・ベリー 1877年6月14日 1877年6月13日
11 H・C・デアーナ 1877年8月14日 1878年3月26日
12 モットロム・D・ボール 1878年3月27日 1879年6月13日
合衆国海軍
13 レスター・A・ビアズリー大佐 1879年6月14日 1880年9月12日
14 ヘンリー・グラス中佐 1880年9月13日 1881年8月9日
15 エドワード・P・ラル中佐 1881年8月10日 1881年10月18日
16 ヘンリー・グラス中佐 1881年10月19日 1882年3月12日
17 フレデリック・ピアソン中佐 1882年3月13日 1882年10月3日
18 エドガー・C・メリマン中佐 1882年10月4日 1883年9月13日
19 ジョーゼフ・B・コグラン中佐 1883年9月15日 1884年9月13日
20 ヘンリー・E・ニコルズ中佐 1884年9月14日 1884年9月15日

アラスカ地区知事

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1884年5月17日、アラスカ県はアラスカ地区(District of Alaska:併合されたが、市民政府によって組織されていない領域)に再編された。知事は、アメリカ合衆国大統領によって任命された。

知事 就任 退任 大統領
ジョン・ヘンリー・キンキード 1884年7月4日 1885年5月7日 チェスター・アーサー
アルフレッド・P・スウィンフォード 1885年5月7日 1889年4月20日 グローヴァー・クリーヴランド
ライマン・イーノス・ナップ 1889年4月20日 1893年6月18日 ベンジャミン・ハリソン
ジェイムズ・シークリー 1893年6月18日 1897年6月23日 グローヴァー・クリーヴランド
ジョン・グリーン・ブレイディ 1897年6月23日 1906年3月2日[N 1] ウィリアム・マッキンリー
ウィルフォード・ベイコン・ホガット 1906年3月2日 1909年5月20日 セオドア・ローズヴェルト
ウォルター・イーライ・クラーク 1909年5月20日 1913年4月18日 ウィリアム・タフト

アラスカ準州知事

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アラスカ地区は、1912年8月24日にアラスカ準州 (Alaska Territory) に改組された。知事は、アメリカ合衆国大統領によって任命された。

知事 就任 退任 大統領 備考
ジョン・フランクリン・アレグザンダー・ストロング 1913年4月18日 1918年4月12日 ウッドロウ・ウィルソン [N 2]
トマス・クリスマス・リッグズ・ジュニア 1918年4月12日 1921年6月16日 ウッドロウ・ウィルソン
スコット・コーデル・ボーン 1921年6月16日 1925年8月16日 ウォレン・ハーディング
ジョージ・アレグザンダー・パークス 1925年8月16日 1933年4月19日 カルヴァン・クーリッジ
ジョン・ウィアー・トロイ 1933年4月19日 1939年12月6日 フランクリン・ローズヴェルト
アーネスト・グリューニング 1939年12月6日 1953年4月10日 フランクリン・ローズヴェルト [N 3]
ベンジャミン・フランクリン・ハインツルマン 1953年4月10日 1957年1月3日 ドワイト・D・アイゼンハワー [N 4]
ウェイノ・エドワード・ヘンドリクソン 1957年1月3日 1957年4月8日 代理 [N 5]
マイケル・アンソニー・ステポヴィッチ 1957年4月8日 1958年8月9日 ドワイト・D・アイゼンハワー [N 6]
ウェイノ・エドワード・ヘンドリクソン 1958年8月9日 1959年1月3日 代理 [N 5]

アラスカ州知事

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アラスカ州 (State of Alaska) は、1959年1月3日に連邦に加わった。

これまでに共和民主両党から、それぞれ5名の知事が出された。唯一の例外であるウォルター・J・ヒッケル英語版は、2度目の当選の際にアラスカ独立党英語版に所属していた。1990年の知事選の際、共和党員の多くは党公認候補としてアーリス・スターグルースキーを選任したことに不満を抱き、ヒッケルは彼らの票の獲得に成功した。しかし彼は、アラスカ独立党の分離独立主義の理想を持っておらず、任期終了の8ヶ月前に共和党に鞍替えした。

: 民主党 : 共和党 : アラスカ独立党英語版: 無所属

知事 就任 辞任 政党 副知事[N 7] 任期[N 8]
1   ウィリアム・A・イーガン英語版 1959年1月3日 1966年12月5日 民主党   ヒュー・ウェイド英語版 2
2 ウォルター・J・ヒッケル英語版 1966年12月5日 1969年1月29日 共和党 キース・ハーヴェイ・ミラー英語版 ½[N 9]
3 キース・ハーヴェイ・ミラー英語版 1969年1月29日 1970年12月7日 共和党 ロバート・W・ウォード英語版 ½[N 10]
4 ウィリアム・A・イーガン英語版 1970年12月7日 1974年12月2日 民主党 H. A. バウチャー英語版 1
5 ジェイ・ハモンド英語版 1974年12月2日 1982年12月6日 共和党 ローウェル・トマス・ジュニア英語版 2
テリー・ミラー英語版
6 ビル・シェフィールド英語版 1982年12月6日 1986年12月1日 民主党 スティーヴン・マカルパイン英語版 1
7 スティーヴ・クーパー英語版 1986年12月1日 1990年12月3日 民主党 スティーヴン・マカルパイン英語版 1
8 ウォルター・J・ヒッケル英語版 1990年12月3日 1994年12月5日 アラスカ独立党英語版[N 11] ジャック・コッグヒル英語版 1
9 トニー・ノウルズ 1994年12月5日 2002年12月2日 民主党 フラン・ウルマー英語版 2
10 フランク・マーカウスキー 2002年12月2日 2006年12月4日 共和党 ローレン・リーマン英語版 1
11 サラ・ペイリン 2006年12月4日 2009年7月26日 共和党 ショーン・パーネル ½[N 12]
12 ショーン・パーネル 2009年7月26日 2014年12月1日 共和党 クレイグ・キャンベル英語版 ½
13 ビル・ウォーカー 2014年12月1日 2018年12月3日 無所属 バイロン・マロット英語版 1
14 マイク・ダンリービー 2018年12月3日 現職 共和党 ケビン・マイヤー英語版 1

他の要職

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以下は、知事が占めた議席や、他の連邦政府機関、及び他の知事職を示した表である。注記がない限り、記載された全ての下院議員及び上院議員はアラスカ州から選出されている。

* - 知事が辞任後に就いた職を表す。
† - 知事が辞任前に就いていた職を表す。
知事 知事の任期 他の職 出典
ジョン・ヘンリー・キンキード 1884年-1885年(アラスカ地区) ネヴァダ州知事 [16]
ジェイムズ・シークリー 1893年-1897年(アラスカ地区) ペンシルベニア州選出の下院議員 [17]
アーネスト・グルーニング 1939年-1953年(アラスカ準州) 上院議員 [18]
ウォルター・ジョーゼフ・ヒッケルウォルター・J・ヒッケル 1966年-1969年、1990年-1994年 内務長官* [19]
フランク・マーカウスキー 2002年-2006年 上院議員† [20]

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  1. ^ レイノルズ=アラスカ社の不正への関与により辞任。[10]
  2. ^ カナダ国籍のままであることが発覚し、辞任に追い込まれた。[11]
  3. ^ サイモン・ボリヴァー・バックナー・ジュニア中将は、第二次世界大戦中のアラスカにおける軍司令官であり、同地区における上の行政権の大半を有した。[12]
  4. ^ 辞任:伝えられるところによると、彼は職務に不満を持っており、再任を期待してもいなかった。[13]
  5. ^ a b アラスカ長官として、知事代理を務めた。[14]
  6. ^ 上院議員選出馬のため辞任。選挙には落選した。[14]
  7. ^ 副知事の職は、1970年まで「州務長官」と呼ばれていた。[6]
  8. ^ 数名の知事の任期の一部は、完全に額面通りには理解されていない。むしろ彼らは、辞任や死亡により、1つの期間を複数の知事が務めたことを示しているといえよう。
  9. ^ ヒッケルは、内務長官就任のため辞任した。
  10. ^ 州務長官として、残期を務めた。
  11. ^ ヒッケルは1994年4月、共和党に鞍替えした。[15]
  12. ^ ペイリン知事は、2009年7月26日に辞任をした。

参考文献

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全般
  • Governors of Alaska”. National Governors Association. 2007年8月1日閲覧。
  • Gates, Nancy (2007). The Alaska Almanac: Facts about Alaska (30th ed.). Graphic Arts Center Publishing Co.. pp. 85–87. ISBN 0882406523. https://books.google.co.jp/books?id=g_0sbbGO69gC&redir_esc=y&hl=ja 
州憲法
個別
  1. ^ AK Const. art. II, § 15
  2. ^ AK Const. art. III
  3. ^ AK Const. art. III, § 4
  4. ^ AK Const. art. III, § 5
  5. ^ AK Const. art. III, § 11
  6. ^ a b Constitutional Amendments”. Office of the Lieutenant Governor of Alaska. 2008年8月13日閲覧。
  7. ^ State Symbols”. Alaska Office of Economic Development. 2008年8月26日閲覧。
  8. ^ Gates p. 86
  9. ^ Ruskin, Liz (2002年12月20日). “Barking up the wrong Pole: Hero wasn't governor”. Anchorage Daily News. http://www.arlingtoncemetery.net/wbkrzyzanowski.htm 2008年8月26日閲覧。 
  10. ^ Janson, Lone (1975). The Copper Spike. Alaska Northwest Publishing Co.. p. 44. ISBN 0882400452 
  11. ^ Gruening, Ernest (1973). Many Battles: The Autobiography of Ernest Gruening. Liveright. p. 216. ISBN 0871405652 
  12. ^ Personal Justice Denied: Report of the Commission on Wartime Relocation and Internment of Civilians. University of Washington Press. (1997). p. 319. ISBN 029597558X. https://books.google.co.jp/books?id=7r3U_KuP_Q0C&redir_esc=y&hl=ja 
  13. ^ Naske, Claus-M. (1985). A History of Alaska Statehood. University Press of America. p. 244. ISBN 0819145564 
  14. ^ a b Naske, Claus-M.; Herman E. Slotnick (1979). Alaska: A History of the 49th State. Eerdmans. p. 309. ISBN 0802870414 
  15. ^ “Alaska's Gov. Hickel Rejoins Gop Amid Speculation Over Another Term”. The Seattle Times (Seattle, Washington: The Seattle Times Company). (April 15, 1994). http://community.seattletimes.nwsource.com/archive/?date=19940415&slug=1905548 2008年9月28日閲覧。 
  16. ^ Nevada Governor John Henry Kinkead”. National Governor's Association. 2008年8月14日閲覧。
  17. ^ Sheakley, James”. Biographical Directory of the United States Congress. 2008年8月13日閲覧。
  18. ^ Gruening, Ernest”. Biographical Directory of the United States Congress. 2008年8月13日閲覧。
  19. ^ Alaska Governor Walter J. Hickel”. National Governors Association. 2008年10月15日閲覧。
  20. ^ Murkowski, Frank Hughes”. Biographical Directory of the United States Congress. 2008年8月13日閲覧。

外部リンク

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