Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/徳富蘇峰 20200625
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選考終了日時:2020年7月9日 (木) 21:11 (UTC)
*(推薦)明治・大正・昭和3代にわたるジャーナリスト・思想家・歴史家である徳富蘇峰に関する人物評伝です。GAの水準に達していると思いますので、推薦します。--Greenland4(会話) 2020年6月25日 (木) 21:11 (UTC)
* 賛成 :--Greenland4(会話) 2020年6月25日 (木) 21:11 (UTC)
- コメント 戦前戦中の思想家っていう主題は、中立的に取り扱う難易度が高いテーマです。「イデオロギー」「歴史観」に左右される面があるので。だから普段以上に中立性や、事実と評価の分離、帰属化というところが気になります。
- 記事の来歴をみると長い時間をかけていろいろな人が断片的に加筆してきたところがあり、また大きな加筆は2009年頃に利用者:柴崎力栄さん、2011年頃に利用者:Chokorinさん(=Greenland4さん)がなさっていますね。おそらくそういう来歴に由来するであろう、課題がいろいろあるように思います。ひとまずざっとみた感じですが、後半にいくほど出典を欠く(inline citatonがない)ところが増えるように思います。
- 経歴節の「『國民新聞』の創刊と平民主義」の「彼の論は、・・・注目された」「これが蘇峰の出世作となった。」、「大正デモクラシー時代と『近世日本国民史』の執筆」の後半、「1925年・・・青山に完成している」「1927年・・・青山会館で開催されている」「その後は、・・・両紙に移している」
- 「軍部との提携と大日本言論報国会」・「『近世日本国民史』の完成と晩年の蘇峰」のかなりの部分
- 親族節のかなりの部分
- これは私もどういうスタイルがよいのかは良い答えを持たないのですが、「著作」節にも何らかの「出典」がいるはずです。
- 全体として、最近私も悩ましいなと思っていることなのですが、「事実」と「分析・解釈・因果関係・評価」を丁寧に分離・帰属化しながら叙述する必要があり、そこらへんに課題を残すようには思いました。
- つまり「○が□した」「その理由は△△だ(とA氏が考えている)」という2つの事柄を「△△なので○が□した」のように書くのは、注意を要する、ということです。
- 例をあげると「大正デモクラシー時代と『近世日本国民史』の執筆」節の最終段落「なお・・・退社した」部。ここには出典が1つだけあります。[1](p11-12)をみると、p11の最下段に「徳富蘇峰氏国民新聞退社」という記事があります。この記事から読み取れることは「1月16日に国民新聞紙上に声明を公表し、退社した」こと(事実)、その文書中には「不肖自ら去らねばならぬ所以は何故であるか。・・・具体的にこれを陳述するをいさぎよしとしない」と書かれていること(事実)、だけです。つまりこの情報源からは、退社の理由は公表されなかったという事実しか読み取れません。しかし記事には「根津嘉一郎」「河西豊太郎」「副社長に据えると確執が深まり」などの因果関係/分析的記述が書かれています。その因果関係・分析には裏付けがありません。
- 私はここが引っかかったのでここしか検証していないのですが、全体的な印象として、文章の量と性格に対して出典の数が少ないように感じまして、他にも「示された出典では検証できないこと」が書かれているんじゃないかなー?という印象をもちました。
- たぶん意見・好みが分かれるスタイルなのですが、私は「AがBした[1]」より、「AがBした[1][2]」のほうがよいと思っています。それは複数の情報源が同じ証言をしている、つまり信頼性が高く、そして語るに値すると考える人が複数いることだよ、ということを間接的に示すからです。反面、「AがBした[1][2][3][4]」みたいになっていくと、冗長で鬱陶しい・出典を減らせと考える人がいるのも事実です。
- 同時に、昭和5年頃の同時代的文献(史料ともいうべきもの)と、1970-80年代の文献(例えば中公文庫の『日本の歴史』や集英社版 日本の歴史)と2000年代の文献のマッチングというのにも注意を払う必要があって、こういうのはいちいち帰属化したほうがいいと思うんですよね。
- 絶対にこうしろという話ではないのですが、この記事は一文/一段落で「事実」「因果関係」「分析・評価」を一気に語り、それに対する出典が1つだけという傾向があり、なんとなく「本当にだいじょうぶかな」という感じは受けます。「事実」と「分析的評価」はきちんと分けるべきで、しかしそれをやると冗長になることは不可避でして、バランスのとり方は難しいなとも思います。2009・2011年頃ならこれでもよかったかもしれないが2020年にみるとちょっと・・・という感じかもしれませんし、FAでなくGA選考でそこまでうるさいこというかね?というところもあり、ひとまず「反対」とはしません。--柒月例祭(会話) 2020年6月26日 (金) 03:37 (UTC)
- (追記)特に帰属化が重要なのが「業績と評価」です。「思想家蘇峰」では松岡正剛と久恒啓一による評価は帰属化されているのに、2段落目は「とする見解が少なくない」と言葉を濁すところがあります。4段落目の「評価が力を得ており」も同様です。出典をみると、これら「帰属化されてない評価」も結局は松岡正剛の千夜千冊:徳富蘇峰『維新への胎動』を情報源としています。松岡正剛が「評価史」を中立的・網羅的に解説しているならそれでもよいのですが、残念ながらこのURLは404で検証不能に陥っています。--柒月例祭(会話) 2020年6月26日 (金) 03:51 (UTC)
- コメント丁寧にお読みくださり、また実に親切なコメント・御教示を賜り、まことにありがとうございました。この記事には思い入れがあり、そのときは本当によく調べたなという思い出があります。御指摘の点を受けて、もう一度調べ直しをしていきたいと思います。ありがとうございました。--Greenland4(会話) 2020年6月26日 (金) 03:57 (UTC)
- 追記逐一納得できる御指摘で本当に感謝しております。文献の「マッチング」ということについての確認ですが、同時代文献には逐一同時代文献であること、1970-80年代の文献にはその年代の文献であることを明記せよ(特に併記する場合は)———ということでよろしいのでしょうか。後学のため、御教示いただければ幸いです。--Greenland4(会話) 2020年6月27日 (土) 23:09 (UTC)
- 返信 お返事を書いたのですが正気を失うほどの長文になってしまいました。なのでノートに書いておきました。
- ポイントは、この記事主題が取り扱いの難しいテーマだということ、ゆえに情報源の取り扱いも難しいということ、単なる事実と評価分析を完全分離するべきだがそれは難しいということ、でしょうかね。抽象的ですけど。たぶんなんですけど、私は自分で情報源となる文献を読んでいないのであてずっぽうなんですけど、多くの情報源は単純な「徳富蘇峰の伝記」というよりは、「徳富蘇峰を通じて近現代日本史を分析してやろう」という目論見で書かれており、だからこそ「蘇峰と○○」みたいなタイトルになっている。それをパッチワークのようにかき集めて編年体式で一本にまとめようとしても難しいんだと思います。きっと「敬虔なクリスチャン、若き熊本の傑物、平民主義者、国民主義者、皇室中心主義者、大ジャーナリスト、文章報国に生きた言論人」に分けての紀伝体方式のほうが書きやすいのではないかな、と思います。--柒月例祭(会話) 2020年6月28日 (日) 05:22 (UTC)
- 返信 㭍月例祭様、重ね重ねありがとうございました。紀伝体方式というのは思いも寄りませんでした。私はだいたいパッチワークで編年体なので、非常に新鮮に感じました。ノートもじっくり読ませていただきました。この記事は、いずれ追い追いじっくり仕上げていきたいと思いました。数々の御教示まことにありがとうございました。--Greenland4(会話) 2020年6月29日 (月) 11:23 (UTC)
- (取り消し)GAにはほど遠い品質であることを納得いたしましたので、推薦を取り消します。--Greenland4(会話) 2020年6月29日 (月) 19:41 (UTC)
推薦者が取り下げたため、今回は見送りとなります。--Tam0031(会話) 2020年7月3日 (金) 13:51 (UTC)