Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/光厳天皇 20230227

光厳天皇ノート / 履歴 / ログ / リンク元[編集]

選考終了日時:2023年3月13日(月)14:00 (UTC)2023年3月27日(月)14:00 (UTC)

  • (推薦)査読が終わったので良質な記事に推薦します(ほぼ自薦)。良質な記事の選考の目安は満たしていると思います。それぞれ説明すると、

1. 光厳天皇について、最新の研究成果も踏まえつつ、ほぼすべての情報が網羅されています。また、信頼できる情報源に基づいた出典を必要な箇所には全て付けており、検証可能性を満たしています。
2. 独自研究ではありません。
3. 査読を行い、より中立的観点からの記述になるようにしました。
4. スタイルマニュアルに沿った記述がなされています。
5. 以上、良質な記事の目安を全て満たしています。
文章構成やわかりやすさなどには若干の不安もあり、アドバイスを頂けたら幸いです。--ツムラ会話) 2023年2月27日 (月) 13:59 (UTC) 一部修正--ツムラ会話2023年2月27日 (月) 14:03 (UTC)[返信]

  • 賛成 :推薦者票。--ツムラ会話2023年2月27日 (月) 13:59 (UTC)[返信]
  • コメント - 内容について検証できるような知見は持ち合わせていないのですが、スタイルや表現について気になった点を挙げます。一部は私の好みの範疇かもしれませんが、ご了承ください。日付についての表記ですが(ノートの記載も拝見しています)、表記ガイドには「和暦においては、太陽暦移行(1873年〈明治6年〉1月1日)以後は新暦を、それより前は原則として旧暦を用います」とあります。完全に和暦から西暦への変更が出来ていれば西暦表記でも構わないと思いますが、往々にして判断が出来ないケース(たとえば誕生節「1318年3月(文保2年2月)」と表記されていますが、文保2年2月末日であった場合は1318年4月になります)があるので、基本的に史料に忠実な和暦を優先し、西暦はかっこ書きとして補足に留めるべきと思います。北朝元号・南朝元号についてはどちらでも良いと思いますが、私なら史料の表記(おそらく北朝元号でしょう)に倣います。概要節「近年貞和徳政と称されている」の"近年"という表現は、すぐに古くなる表現は使わないに該当すると思います。同様の問題点は、同節「近年皇位継承問題解決策として注目」や「近年は「したたか」な為政者像」、治世節・貞和徳政節・伏見宮との関係節の「貞和徳政」についての言及、ほかに多用されています。出典をつける難しさもありますが、可能な限り「2000年頃から」「2023年現在では」「誰々によって」などの言い換えが望ましいと思います。誕生節の注6で「河内」とあるのは河内祥輔の事だと思いますが、初めて記される人物名についてはフルネームが良いと思います。幼少時代節などで『誡太子書』などが太文字強調されているのはどうしてでしょうか?スタイルマニュアルでは「記事名として使われている語句に別名がある場合には、その別名を導入部などの本文中で太字で記述します」とあり、個人的な意見としては、特段の理由がない場合は光厳天皇の別名以外に太文字を使うべきではないと考えています。幼少時代節「践祚の前年である1330年2月(元徳2年2月)、花園より~」の文章ですが、後述の文章でもこのエピソードには触れられていませんので無出典です。即位節「王子」は「皇子」の誤記ではないでしょうか?同じく即位節の「天皇の移動に際し伴われる」という表現が気になります。人物としての天皇が移動する際に剣璽が帯同していたという意味に受け取れなくもない表現です。「天皇位(もしくは皇位)と共に移譲される」などは如何でしょうか?即位節「後醍醐は廃され、捕らえられたのち~」の文章に出典がありません。廃位節の赤松円心は赤松則村でしょうか?同じく廃位節「武士たちの血は黄河のごとく流れ、死骸は庭を埋め尽くした」「~ただ呆然と見守ることしかできなかったのであった」「~この勧めを堅く断ったのであった」など表現は物語調で百科事典的ではないと感じました。類する表現は他の節でもみられるので(「~のであった。」など)、全体的に見直す必要があると思います。復権節「このころより光厳院政は実質的に開始されたと考えられている」が無出典です。注22と同じ出典でしょうか?同じく復権節「後鳥羽・光厳の先例を用いて」は三種の神器がないままに即位したという意味だと思いますが、その旨を明記すべきと思います。治世節の注26・27が無出典です。同じく治世節の注28の「付言する」が気になります。このように書かれると付言したのは誰か?(独自研究か?)と考えてしまします。除去して良いと思いますがどうでしょうか?同じく治世節「ついに石清水八幡宮への御幸を実現させ~」の「ついに」はどういう意味でしょうか?御幸できなかった理由があるのでしょうか?同じく治世節「延暦寺から、年号を寺号とするのは延暦寺だけの特権であり~」とあるのは、どういった類の史料を基にした記述でしょうか?一般論として貴族の日記などであれば一定の信頼はおけますが、寺伝・宗学の類は後世に話を盛ることが極めて多く、また現在の信仰にも関わるため史料批判が行われ難いジャンルであり、史実性については話半分にする必要があると思います。たとえば「〇〇寺では~と伝わっている」「『〇〇寺略記』には~と記される」などの表記としてエクスキューズしておくのが良いと思います。年号を寺号とした寺には仁和寺建長寺の前例がありますので気になりました。出家と帰京節「継体天皇の先例をもとに」はどういう意味でしょうか?臣下からの推挙を繰り返し断ったという意味でしょうか?分量が非常に多いので、取り急ぎ生涯節のみ確認させていただきました。--あずきごはん会話2023年3月1日 (水) 22:06 (UTC)[返信]
    有意義なコメント大変感謝しております。以下、編集しましたのでそれぞれ説明します。
    1、日付について 和暦優先に変更しました。
    2、近年云々について これも必要ないところは消しましたが(伏見宮の箇所など)、貞和徳政の部分に関しては、文献にも近年とあり、また「2020年以降、小川によれば云々」という感じの表現も検討しましたが、いつからまた誰の発言なのかよくわからなかったのでこれも消しました。
    3、河内について フルネームに修正しました。
    4、『誡太子書』について 誡太子書は特に有名なので太字にしましたが、仰る通り太字にしないほうが良さそうなので他の箇所(治世のところなど)も含め修正しました。
    5、花園より云々について 出典を追加しました。
    6、「王子」について 康仁親王は天皇の子ではなく親王の子なので「王子」になります。
    7、「天皇の移動に際し伴われる」について これは、なぜ「三種の神器」ではなく「剣璽」だけがこのときに渡されたのかの説明になるのですが、わかりにくかったようです。注釈欄になるべく詳しく書きました。
    8、「後醍醐は廃され、捕らえられたのち~」について 出典を追加しました。
    9、「赤松円心」について 文献に赤松円心と書かれていましたのでその記載のままに書きました。赤松則村の法名です。
    10、「武士たちの血は黄河のごとく流れ、死骸は庭を埋め尽くした」「~ただ呆然と見守ることしかできなかったのであった」「~この勧めを堅く断ったのであった」など表現について 物語調といえば確かにそうなので、とりあえず他「のであった」系を、不自然になるものを除き修正しました。
    11、「このころより光厳院政は実質的に開始されたと考えられている」について 出典を追加しました。
    12、「後鳥羽・光厳の先例を用いて」について 「即位」節も同様にその旨を明記しました。
    13、「付言する」について 記述を補うために注釈として入れたのですが、確かに独自研究っぽくなるのでここは削除しました。
    14、「ついに」について この「ついに」は、南北朝の厳しい条件下で、念願の岩清水への御幸を実現したという意味です。
    15、「延暦寺から、年号を寺号とするのは延暦寺だけの特権であり~」について これは、辻善之助が推測しているもので、はっきりと史料に書いてあるわけではないと思います。単純に書き方が良くなかったで、「推測している」に直しました。
    16、「継体天皇の先例をもとに」について これは、継体天皇が「群臣義立」、つまりたくさんの臣下に迎えられたことを根拠として神器無しで践祚したという伝説的な先例のことです。ですので、これが「群臣義立」であることを明記しました。
    以上、ご意見をもとに修正してみました。--ツムラ会話2023年3月2日 (木) 10:55 (UTC)[返信]
  • コメント:編集お疲れ様でした。かなり充実した記事になっており、構成などはあまり問題ないのではと思います。管見の限りでは大正天皇以外では天皇本人に関する項目で「良質な記事」に選出されている項目はないようです(それだけ天皇に関する項目は網羅すべき内容が多く大変だということだと思います)ので、ぜひその先例として、項目の完成度を高まることを願っています。いくつか、コメントさせていただきます。とりあえず、形式上のことばかりで恐縮ですが、後ほど可能であれば内容についてもコメントしようと思います。
    • まず、出典は基本的に全ての記述に明記するべきだと思います。従って、本文中はもちろん、注釈についても原則全ての記述に出典をつけるようにしたほうが良いと思います。
      • 私が見落としているのかもしれませんが、「誕生」節の誕生の日付に出典がありません。
      • 「后妃・皇子女」節についても、リンク先に出典がない限りは、可能な限り出典をつけるか、節の先頭にどの文献を参照したか明記するべきだと思います。
      • 「在位中の元号」の記述についても、出典をつけるか本文中の該当部分へのリンクを示すと良いと思います。
    • 「関連項目」節についても、できるだけ関連性の説明をする(西福寺のように)とともに、その関連性に関する記述だけでもリンク先の項目で記述の追加、および出典の追加をすると、確実だと思います。
    • あずきごはんさんとは異なる意見になってしまいますが、日付の記述については、表記ガイドで述べられているように西暦を基本として、カッコ内に和暦を記述するべきですので、現在のままで基本的には良いと思います。もし和暦を用いる際に迷うようなことがあれば、自分で判断するのではなく、参考文献に(おそらく)ある年表や和暦の表記を元にするべきだと思います(とくに判断がしにくい和暦に関しては注釈で出典として用いた文献を表示するのも良いかもしれません)。
      • 太字に関しても、スタイルマニュアルにあるのは導入部(項目の先頭)についての説明ですので、本文中での太字の使用はそこまで決まりがあるようなものではないと思います。
    • 判断が難しい部分ではありますが、個人的には「大日本史料」はどちらかといえば三次資料に分類されるもののように感じるので、可能であれば二次資料も並べて出典として示すと良いかもしれません。
    • 好みの問題ですが、例えば「このことから深津は、光厳は後醍醐に廃位されたものの、一応太上天皇(上皇)としての待遇を受けていた[62]と推測している。」のような出典が一つに収まるような文章では、引用でない限りは文末に脚注をつける形式のほうが読みやすいのではないかと思います。
    • 「晩年・崩御」節の遺誡に関する記述は、ブレット形式での記述にしたほうが読みやすいのではないかと感じましたので、ご検討ください。
    • Template:Sfnでは、連続するページは「sfn|深津|2014|pp=34-35」のように表記することになっています。
    • 細かい部分ですが、Template:Citationで、authorではなくlastとfirstを使用して出版年にyearを使用すると、refでsfnを設定しなくても文中でsfnがそのまま使えます。著者リンクについてはauthorlinkが使用できます(なにか意図があってauthorを使用している場合余計な意見かもしれません)。--Dassaim会話) 2023年3月2日 (木) 09:10 (UTC)、インデント修正--Dassaim会話2023年3月2日 (木) 09:12 (UTC)[返信]
    有意義なコメントありがとうございます。返信が遅くなって申し訳ないのですが、以下説明していきます。
    1、出典について 全ての記述に出典をつけました。出典が探せない部分に関しては、記述を削除しました。また、私が一番懸念していた「后妃・皇子女」の欄ですが、これも出典をつけてそれに沿うように記述を変えました(それぞれの皇子女の生年月日は、他の天皇同様どなたかが編集なさったのですが出典がなく、私も信頼できる情報源の上では出典が得られなかったので削除しました)。それと、定型文と化している皇霊殿の記述ですが、削除しようか迷っています。今のところ温存していますが、出典が得られないので削除した方が良さげでしたら削除します。
    2、紀年方について 手違いで先に和暦優先にしてしまいましたが、原典も同様な感じだったのでこれにしようと思います。
    3、大日本史料について 恥ずかしながら二次資料と三次資料の区別がいまいちわからないのですが、手持ちの文献にないものを大日本史料で補っている感じです。こういった記述は『光厳天皇実録』をあさればあるんでしょうが、なんせとても高いので入手が不可能です。大日本史料は信頼できる情報源ではあると思うのでご容赦いただきたいです。
    4、出典の位置について 「〇〇は〜〜と推測している」の記述は、〇〇の著書から直接来ている場合と、✕✕の著書で〇〇が推測していることを言及している場合があるので、それを区別している感じです。この区別は厳密にしたいので、以後同様の意見があるまで現状維持にしようと思います。
    5、「晩年・崩御」節の遺誡について ご意見を活かしてブレット形式にしました。読みやすくなったと思います。
    6、Template:sfnについて 修正しました。
    7、Template:Citationについて ここら辺はコピペだったので見落としてました。恥ずかしながらこの方面に疎いので、この解決にはちょっと時間がかかるかもしれません。
    以上、ご意見をもとに修正しました。--ツムラ会話2023年3月3日 (金) 11:01 (UTC)[返信]
    (追記)皇霊殿の記述ですが、ニュース記事のものではありますが一応出典が見つかりました。--ツムラ会話2023年3月3日 (金) 14:47 (UTC)[返信]
    • 返信 ご返信ありがとうございます。まず、ご返信へのコメントです。
      • 出典について了解しました。ここ数日の出典の追加でほぼ出典がない記述がない状態にまで改善されたように思います。
      • 紀年法について了解しました。大きな問題ではないと思いますが、今後Wikipediaの方針との食い違いが指摘されるようなことがあれば再度検討する可能性もあるかもしれません。
      • 『大日本史料』については、信頼性は問題ないと思いますので、現状のままでも十分であるとおもいます。二次資料と三次資料の境界は曖昧ですので、私が間違っているかもしれません。Wikipedia:信頼できる情報源#情報源もご参照ください。
      • 出典の位置について、承知しました。「〇〇は〜〜と推測している」の記述で〇〇の著書から直接来ているばあいも、その著書の中で「〜〜であろう/と推測する」という記述があれば文末に出典をつければ良いとおもいますが、そのような記述がなければ、「〇〇は〜〜としている」という記述にするのも一つの方法かもしれません。
      • Template:Citationについては、「論文」節のテンプレートの書式を変更しましたので、コピペなどでお使いください。なお。基本的にurlはタイトルをリンク化するのではなく、urlという変数に入れるようになっています(Template:Citation参照)。
    • 以下、他に気になった点です。
      • 「関連項目」の節は本文中で示されなかった項目を並べる節ですので、現在挙げられている項目は該当しないように思います(Wikipedia:関連項目参照)。
      • 私は歴史研究に疎いので的外れかもしれませんが、天皇が「編纂」した歌集も「著作」というのでしょうか。「史料」などとまとめるべきであるようにも思います。
    --Dassaim会話2023年3月5日 (日) 03:44 (UTC)[返信]
    1、関連項目について 現状関連項目に該当するものは無いと思ったので、関連項目は削除しました。
    2、「著作」について 『図説 歴代天皇紀』には宸記とともに風雅和歌集なども著作に含まれていたので問題はないかと思います。
    他いろいろなご指摘ありがとうございました。漸次活かしていこうと思います。--ツムラ会話2023年3月5日 (日) 07:14 (UTC)[返信]
  • 提案 ネットで検索したところ、昭和6年から昭和22年に発刊された実録が宮内庁の公文書館で無料で公開されているようです。[1] 2009年発刊の実録の代わりにこれを典拠として活用するのはいかがでしょうか?--285Sunlize会話2023年3月4日 (土) 17:24 (UTC)[返信]
    とても助かりました。早速活用してみました。--ツムラ会話2023年3月5日 (日) 01:39 (UTC)[返信]

2週間選考期間を延長を要請--ツムラ会話2023年3月11日 (土) 12:51 (UTC)[返信]

  • 賛成 :ご編集お疲れ様です。日本史と日本文学分野の研究をふまえて網羅的に記述されており、疑問点も上述のコメントと改稿を通して改善されているため賛成します。細かい点ですが、光厳天皇の出生に関する記述で、後伏見上皇の第三皇子とありますが、『コトバンク』所収の辞典類や『国史大辞典』などでは第一皇子と書かれています。一方で記事の出典元の「光厳天皇実録」では「降誕ノ年次ヲ以テ推スニ第三皇子ニ当リ給ヘリ」と、編纂者の考えから綱文でも第三皇子とあります。これはどちらの記述が妥当なのでしょうか?この点や根拠が脚注などで説明されていると、他文献を読んだ読者にも疑問を与えない記述になるのかなと思いました。(史料の編纂物の綱文が出典として有効かという問題もありますが。) --上野ハム会話2023年3月12日 (日) 11:08 (UTC)[返信]
    返信 賛成票ありがとうございます。光厳天皇が第何皇子なのかということに関しては、ご指摘を受けて先程注釈に追加したのですが、光厳天皇に異母兄にあたる人物がいることは他の文献からも窺えるので、第三皇子が正しいと思います。意外と基礎情報は評伝でも疎かにされがちで、どちらの記述を採用するか結構迷いましたが、先述の理由により、出典には若干の不安はあるものの第三皇子とした次第です。--ツムラ会話2023年3月12日 (日) 13:35 (UTC)[返信]
  • 賛成 読んでみて、この方の生涯や他の人との関係など、大体わかるように書かれていると感じましたので賛成します。--Tam0031会話2023年3月16日 (木) 13:24 (UTC)[返信]

賛成のみ3票以上の状態が48時間継続のため、早期終了・通過。--Family27390会話2023年3月18日 (土) 13:33 (UTC)[返信]