Wikipedia:執筆コンテスト/第参回執筆コンテスト/反省会

審査員より[編集]

Tantal[編集]

コメンテーター枠の導入は、成功だったと思います。これからの記事の改善に大きく寄与するものであるからです。ただ、ルールについては、二転三転したこと、審査期間が冗長になったことが審査員の最終的な推薦の遅れにつながったことは改善すべき点でしょう。あくまでも私案ですが、「20点を各審査員、5点をコメンテーターに付与して、自由裁量で採点させる方法(ただし、最高得点は5点)、なおかつ、一発投票」が次回の審査で導入してみても面白いかもしれません。Cave cattumさんがB分野で試行された方法です。来年は、そうしませんか?コメンテーター枠の取り扱いは、審査員枠との点数の傾斜半分で、コメンテーターの方も気楽に投じることもできるでしょう。20点あれば、私の場合は、5=チンドン屋、3=会所_(中世)、占田・課田制、シェイクスピア別人説、2=ラインの黄金、ビルマの戦い、オーストラリアの歴史です。

今回はどうしても運営面ではまだまだつたない部分があったのは確かなのは、皆様の意見が一致する部分だと思います。

また、今回は、1000バイト未満のスタブ記事の加筆及び新規記事についての質の面での評価を行いました。しかし、日本語版の質は、何度も述べるとおり、英語版と比較した場合、貧弱である面は否定できないと思います。半年に一度はこのようなコンテストを行う形で、8月から9月にかけて(あるいは9月から10月)、5000バイト未満のスタブ記事の充実を図る加筆コンテスト(仮称)を実施するのも面白いと思います。Wikipedia:月間強化記事賞への関心もそうすれば高まるかもしれません。

私自身が、執筆者兼審査員というあいまいな立場であった以上、やや、強引ですが、決選投票へ向かったのは拙速でおしかりを受けるかもしれません。審査員、執筆者、コメンテーターの皆様、5/12の半日の間に、迅速なコメントを戴きありがとうございます。--Tantal 2007年5月23日 (水) 15:54 (UTC)[返信]

(追記) Wikipedia:執筆コンテスト/第参回執筆コンテスト/講評にも記入しましたが、分野の偏りが多く見受けられたことが今後の課題となります。とはいえ、Wikipedia:秀逸な記事の選考に回せる記事群が増えたことは次回に向けてのよい材料になったと思います。今回参加された皆様方もWikipedia:秀逸な記事の選考にも参加してください。記事数は、英語、ドイツ語、フランス語、ポーランド語の次に多いのに、秀逸な記事は、やっとこさ30000に到達したアラビア語版より少ないのはこれ、いかに?

Wikipedia:秀逸な記事の選考で1人が同時に推挙できるのは、3つまでです。5/26段階で、私は、2つを推挙しているので、実は身動きが取れなかったりしていますが(笑)。今回のコンテストで、推挙できる質に到達していると思うのは、私見ですが、上に記したチンドン屋、占田・課田制、シェイクスピア別人説、ラインの黄金、ビルマの戦い、オーストラリアの歴史のA分野6記事(会所は、もう少しの加筆を望みます)。膜電位、プロトン化水素分子、コメット連続墜落事故、グレアの10記事でしょうか。とりあえず、チンドン屋を秀逸な記事の選考にかけたいと思いますので、皆様のコメントをいただきたいと思います。

私が投稿したイスラーム建築は、構成要素がもう少し、充実しないとちょっと厳しいですね。また、ロシア、シチリアとイスラーム建築についての加筆をしたうえで、査読依頼にかけたいと思います。あわせて、査読依頼にもご協力ください。--Tantal 2007年5月26日 (土) 01:09 (UTC)[返信]

(画像分野についての追記) 参加作品が少なかったことは今後の課題となります。コモンズに直接投稿される画像が多いのでしょうか?

Tantal氏へのコメント[編集]

下でも書きましたが、自由裁量得点方式は問題が多いと思います。もし一人のいい加減な審査員が20点丸まる与えてしまえば、もうその記事は一躍トップに躍り出てしまいます。やはり、得点配分は指定して、必ず選ばせる形が大事だと思います。コメンテータ枠の導入が成功だったというご意見には大賛成。あれはいいですね。もっと自由闊達に好き勝手なコメントがつくともっとよくなると思います。是非次回コメンテータさまに置かれましては、無責任にバンバン発言していただきたいと思います(笑)。

それから加筆コンテストってのも面白い案ですね。新規執筆より大幅な加筆の方がよっぽど難しいのは皆さんご存知だと思いますから、きっと面白いコンテストになると思います。ただ、問題は執筆者が集まるかですね。難しいもの(笑)。--レイキャビク 2007年5月25日 (金) 00:53 (UTC)[返信]


(コメント)審査と執筆両面にわたってお疲れ様でした。これは自戒を込めてですが、運営に関しても記事への評価・コメントに関しても、断片的であればハードルは低いですが、全体像を踏まえた上でってのは結構労力がいることが、特定の人に負担が行ったり、やりとりが低調になりがちな背景にあるのかなという気もします。その意味で、コメンテータ枠(ある種の無責任)は、下に書いた私のような感想を持つものにとっては、活発にできるのならば今後の可能性を感じます。

「加筆」に重点を置くやり方もいいですね。よく考えれば、「執筆」のコンテストなわけですから、そこに加筆は本来的に含まれるはずです。ただ、加筆は加筆なりの難しさや、評価の難しさがありますが…。

画像分野に関しては、写真は特に一発勝負になりがちだということ(記事のようにコメントを受けて修正、という感じにしにくい)もひとつの特徴かもしれません。

そういったもろもろ点を踏まえると、秀逸な記事との連携や役割分担もしやすくなるかもしれません。秀逸選考にあまり明るくありませんが、全会一致型の意思決定や基準なりが厳しいという印象があるので、あまり「量産」されないのは仕方ないことだとは思いますが…(その分、質は向上していると思います。おそらく3年前には秀逸でも…という記事があるでしょうし。その意味で、あまり他言語と比較しても仕方がないかなという気もします)--Tdk 2007年5月26日 (土) 03:57 (UTC)[返信]

(ご返事-FA選考との連携について)
Wikipedia:秀逸な記事の選考の問題点は、コメントをする人間が少数だということがあるかと思います。とはいえ、0.999...のように、1週間で8人の賛成を集めて、一気に通過した事例もあるように、分野によって、参加者がまばらなのかもしれません。
秀逸な記事の選考のハードルは昨年の後半からかなり上がっていて、実際に従事した人間から見るとWikipedia:秀逸な記事の選考/ナリタブライアンWikipedia:秀逸な記事の選考/GARNET CROWWikipedia:秀逸な記事の選考/日本語といった項目の選考過程を読んでいただくとわかるのですが、検証可能性とそれを担保するための脚注の徹底、参考文献の提示、当然、文章構成や内容もしっかりしたものが求められています。
今回、参加していただいた皆様は、文章を書く技術や読みこなす能力が秀でている方とお見受けします。低調なWikipedia:秀逸な記事の選考にも参加していただくとうれしいのです。
5/26段階で私が携わったのは、ナリタブライアン日本航空123便墜落事故(落選)、政教分離の歴史(落選)、日本語ビザンティン建築0.999...キリシタン版(審査中。誰もコメントしてくれない……)、ディートリヒ・ブクステフーデ(審査中)といったところですが。--Tantal 2007年5月26日 (土) 04:27 (UTC)[返信]

Cave cattum[編集]

入賞記事の執筆者の皆様おめでとうございます。執筆者、審査員、コメンテーターの皆様長い間お疲れ様でした。既に多くのみなさんがコメントされていますので、これをふまえてコメントさせていただきます。

審査のアウトプットとは

順位の決め方についてこの反省会でも提案をいただいていますが、執筆者の方々にしてみれば、審査員が審査に真剣に取り組むのであれば参加意欲も掻き立てられるでしょうし、なおざりに(※「なおざり」は正しい日本語です)されるのであれば真面目に参加するのもちょっとねと考えてしまうでしょうから、必要な検討であると思います。

しかし、コンテストの結果には、審査員個々人のアウトプットである「評価・コメント」と、それらを集約したものである「順位」とがあります。今回寄せられた記事の質と比べれば、評価・コメントの質は改善の必要があるように見受けられました。今の状態では、順位決めの議論よりも、評価・コメントの内容をどう改善していくかの議論の方が重要であると思います。

審査員の確保

率直に申し上げて、一部の審査員の方々は、プロトン化水素分子膜電位といった専門性の高い記事の審査を行うには力不足であると感じました。とはいえ専門性の高い記事の審査ができる方々はそう多くはありません。そういった方々に審査に参加していただけるのは歓迎すべきことであるのに、審査員を事前に固定し、後からの参加の道を閉ざしてしまったのは良い方法ではなかったと思います。

運営委員は早めにメンバーを固めるべきであるとしても、審査員は事前には固定せず、コメント期間内に一定量の意味のあるコメントをくださった方には投票権を付与するという方法が良いと思います。無論ソックパペット対策は考慮しますが。

分野の分け方

分野の分け方についてはレイキャビクさんのご意見に賛成です。イスラーム建築膜電位を同じ枠で審査するのは無理があります。コメット連続墜落事故がA分野からB分野に移ったように、イスラーム建築もB分野からA分野へ移動すべきとは考えたのですが、そうするとA分野の記事が増えすぎるため断念しました。次回はA分野:人文・社会科学、B分野:自然科学、C分野:芸術・文化とすればバランスが取れると思います。

開催時期

3月執筆・4月審査という日程を見直すべきという意見も出ているようですが、私自身はあまり問題は感じていません。執筆は3月が多忙であればもっと前から始めれば良いのですから負荷分散ができます。審査員の負荷は前後にずらせませんので、日程は審査員の都合に合わせるのが良いと思います。ただし、私も今回の執筆を1月から始めましたが、気になって仕方なかったのは3月1日までに誰かが加筆して制限の1,000バイトを越えてしまうことでした。エントリーはせめて2ヶ月前から受け付けて欲しいと思います。

今後の予定

年2回開催も悪くないと思います。「春の執筆コンテスト」は2~3月執筆・4月審査もしくは3~4月執筆・5月審査、「秋の執筆コンテスト」は8~9月執筆・10月審査もしくは9~10月執筆・11月審査としてはいかがでしょうか。「春の執筆コンテスト」は1,000バイト以下の記事もしくは新規記事がエントリー対象ですから、「秋の執筆コンテスト」は新規記事は対象外、サイズ上限なしとし、加筆の程度を競うのはいかがでしょう。「秋の執筆コンテスト」を今年から早速開催するとすれば、そろそろ準備を始めないといけないですね。私は結構やる気はありますよ。--Cave cattum 2007年5月30日 (水) 12:03 (UTC)[返信]

執筆者より[編集]

レイキャビク[編集]

Wikipedia:執筆コンテスト/第参回執筆コンテストご参加の皆様、お疲れ様でした。執筆者として大きなイベントに参加できてとても楽しかったです。入賞できなかったのは残念でしたが。

が、多少運営の皆様、審査員の皆様に苦言を申したいと言う気持ちもございますので、あえて書かせていただきます。この文章が起爆剤となってそれなりの議論を生み、次回の執筆コンテストに生かされればと思います。

-運営の方々/審査員の方々に向けて[編集]

まず、執筆者は「ちゃんと運営・審査しろよ」と考えており、審査員は「ちゃんと書けよてめぇら」と思ってらっしゃると思います(笑)。確かに書くといいつつ記事を完成させられない者も多いかもしれない。しかし、参加を決めてから用事が増えて時間が取れなくなると言うケースもありえます。でもこれは、結果的に審査の段階でハネられますし、そういった未熟記事をハネるのも審査の役目だと思います。

ただ、審査員が途中で忙しくなったので適当に審査した、となるとこれは困ります。適当にしか審査できないのなら、票を放棄すべきです。つまり、執筆者は最後まで厚意のボランティアであるのに対し、審査員は手を上げた時点である種の義務を生じると思うのです。大変失礼ですが、全ての審査員がその自覚をお持ちだったとは思えません(お持ちであれば、一切質疑応答に参加されない審査員などいないと思うのですが。。。?執筆者のワタシでさえ他記事の執筆者さんに質問したい事いっぱいあるのに。。。。?)。

また、一次審査と最終審査の違いをご理解なさっていない審査員の方が多かったのだろうと推察します。ワタシに言わせれば、一次審査は最も良い記事に投票する審査ではありません。むしろレベルに達していない記事を選択から除外する事、また決選投票に進むべき記事を推薦する場だと思っています。つまり、みんなが記事Aを支持していれば、記事A以外に最終審査に残すべき記事はないか?と探し、理由を添えて他の審査員に提示するくらいのコトが必要だと思います。

今回の一次審査は、審査員のほとんどが同じ方向を向いていました。ワタシに言わせれば、A分野の過誤払いオーストラリアの歴史、またB分野のシール_(工学)ロシア建築に票が入らなかった(最終審査に残らなかった)のは驚くべきことです。アレだけの記事を書きながら、一点ももらえなかった執筆者の方のキモチを思うと、心が痛みます。また、B分野同率二位となったグレアを一次審査で評価したのは執筆者得点1点ぽっちを持っているワタシだけです。他の誰一人として、グレアには票は入れませんでした。そのグレアが最終的に同率2位になったと言うことは、まさに一次審査の問題を露呈させていると思われます。ということで、以下に次回以降の改革案とその理由を記述します。

-審査ルール改定案[編集]

  • 審査ルールについて(一次審査):
    • 一次投票の後上位3記事の決選投票と言う案は全く問題ないと思われるが、一次投票の配点を一記事のみ、5点とした事に問題があると考えられる。結果としてたった一つの記事に配点が集中し、決選投票とか言う雰囲気ではなくなってしまった(もちろんこの一次投票で一位だった記事はA,B両分野とも素晴らしい記事だったが、それにしても集中しすぎた感がある)。一次投票においてこそ、8,5,3,2,1などと言う感じで幅広い記事にチャンスを与える形式であるべきである。これは、審査員の方々側にも、多くの記事をちゃんと評価目的で一時審査の段階から読んでもらうと言う意味を含んでいる。
    • 同様の意味において、点数配分を審査員に一任するのはいい考えだとは思えない。めんどくさいからえい、一位に19点、とかされてしまう恐れもある。またたとえ上位2記事以外は採点に値しないと思ったとしても、その中でさらに順位をつけることにはそれなりに意味があると思うので、ここはきちんと5記事選ばせると言う方法にしていった方がいいと思われる。
    • また、執筆者・コメンテータにも1点を与えるというのは、いい考えだと思う。執筆者の視点と読者の視点は少し違うので、審査視点の多様性と言う意味で。ただし、執筆者が審査に大きな力を得るべきではないともいえるので、少ない点のみ与えるという案は非常に好ましいと思われる。ただ、審査員票を8.5.3.2.1にするならコメンテータと執筆者も3.2.1くらい上げてもいいかも。執筆者の自薦は当然禁止。
  • 審査ルールについて(決選投票):
    • 一次審査のポイントクリア後再投票と言う案は申し分ないし、むしろ一次審査の得点を流用する事があってはならないと思うが、今回のように一次審査の結果が存分に偏ってしまうと言う場合も十分にありえる。この場合、決選投票の意味が薄れる。一次審査で圧倒的多数だった記事が決選投票で僅差でひっくり返されるとなるとなんだかやるせないでしょ(笑)。ということで、「ただ上位3記事からの選択」ではなく、「上位3記事からの選択、ただし一次審査トップの得票数の25%に満たない記事は選択肢から除外される」などの規定を設けてはどうか。絶対得点にするか、パーセンテージにするか、またその数値などに関しては議論するとして。8,5,3の点数配分は別に3,2,1でも良かったと思う(8:5:3≒9:6:3ですし)。ただし、決選投票が2記事となった場合は当然8,5(or 3,2)で配分となるでしょうか。
    • 最終投票にコメンテータ票を認めるかどうかは疑問。何のためのコメンテータかわからない。少ない点数のみ与えるという案もあるだろうけど、それだと無責任な審査員を増やすだけじゃないですかね?むしろコメンテータは、何のしがらみのなく言いたいことを言いたい放題執筆者に質問、コメントして、審査員の視点を広げるような役目を期待したいです。そういう意味でも、今回質問コメントのないコメンテータさんが多かったのは大変に残念です。

-終わりに[編集]

次回はおそらく、審査員として積極参加させていただくと思います。書くかもしれませんけど。でも一ついえることは、おそらく執筆者よりも審査員の方が絶対に大変だ、ということです。記事を書くのは簡単です(簡単じゃないけど気持ち的にはラク)。しかし、他人の書いたものを評価するというのは、真剣にならねば出来ない仕事だと思います。そういう意味で、次回は自分自身本気の審査員としてやりたいと思うし、そういう本気の審査員の方々と一緒に審査したいと思っております。長文失礼しました。--レイキャビク 2007年5月23日 (水) 16:45 (UTC)[返信]

-分野の分け方[編集]

分野の分け方、もう少し考えたい気も少しします。というのも、

  • 分野A
地理、歴史、経済、政治、哲学、宗教、心理、言語、社会現象、事件、メディア、芸術、etc
  • 分野B
物理、化学、生物、地学、自然、数学、IT、ゲーム、交通、スポーツ、建築、etc

という分け方では、学際領域と非学際領域が混ざってしまうんです。数学の概念に関する記事とゲームの記事、経済分野の記事と社会現象の記事とを同様の評価基準では評価できないと思うんですね。

私の感覚では

  • コテコテ文科系学術分野
地理、歴史、経済、政治、哲学、宗教、言語、思想、
  • コテコテ理科系学術分野
物理、化学、生物、地学、自然、数学、IT、医学、
  • 非学術分野
社会現象、事件、メディア、芸術、ゲーム、交通、スポーツ、建築、etc

って感じがいいかと思います。比較的読みやすい非学術系統の記事と、読みにくい学術系統の記事を同じ分野にしない方が、公正な評価ができると思います。あまり分野を増やしすぎると、一分野あたりの投稿数が減ってしまってよくないのは承知していますけど。 --レイキャビク 2007年5月25日 (金) 00:47 (UTC)[返信]

レイキャビクさんへのコメント[編集]

(コメント)一次審査と最終審査について、評価の次元が違うということは同感です。一次審査をもっとも簡便にするならば、月間新記事賞のように複数投票アリでがんがんいくというのもありえるかなと思いました。その上で、最終審査には「審査員」にお出ましいただくのもいいかもしれません。

あと、分野分けについても学術的なテーマとあまりそうでないものを分けるというのはいいかもしれません。どうしても、とっつきやすい方が人気があるでしょうから…。--Tdk 2007年5月26日 (土) 04:04 (UTC)[返信]

Avenafatua/ごうだまりこ[編集]

みなさま、おつかれさまです。わたしは執筆という形で参加いたしましたが、審査方法など、いまここで話題になっていることについての意見・提案を書いていきます。

審査方法について[編集]

レイキャビクさんのご指摘のとおり、一次審査でもっと評価されてよかったと思う記事も多く、勿体無いという印象を持ちました。ただ、これは今回の審査方法だと仕方ないことだったかもしれません。百科事典記事としてのクオリティの高さが同等でも、より一般的な興味を惹く題材が評価されやすく、逆に専門的で地味な記事は埋もれてしまったり、敬遠されてしまったりするのではないでしょうか。

たとえばコメット連続墜落事故チンドン屋は、読み物としても楽しめるタイプの題材だったと思います。一方、プロトン化水素分子膜電位などは、学習者や専門家が参照すると、とても役立つ内容ですが、ある程度門外の人を突き放した内容にならざるをえません。数式・化学式の羅列なしには成立しない記事もあります。
法学や金融にあまり強くない私は、A分野の過誤払いを読んでも一度では呑み込めないところがありました。しかしじっくりと内容を追っていくと、百科事典的に良質な記事となっていると実感できます。

こうした記事に、いきなり順位をつけるのは少々難しいと思いますし、もしかすると審査員の方々も迷いを感じたり、評価しづらい面があったりしたのではないでしょうか。

ルール提案[編集]

今度は一次審査と二次審査で、違う尺度での評価をしてみてはどうか? と提案いたします。

  • 一次審査 : 百科事典の記事として備えるべき「基本的な品質」絶対評価する
    審査員が、各記事の「文章の読みやすさ」「画像の適切な利用」「レイアウト」「章立て」「分量」「中立性」などのクォリティを、それぞれ五段階評価。ちょうど Yosemite さんが各記事につけられたコメントの「松・竹・梅」評価の要領です。(画像の場合、「構図は適切か」「ピンボケなどの問題がないか」「対象物が主役らしく映えているか」などの基準がいいでしょう。)
    この段階の審査記録は「Wikipedia の品質の目安」としても機能することでしょう。たとえば、「画像の使い方の優れた記事を参考にしたい」「良い章立ての例が見たい」という執筆者の助けになります。また、参加者各々にとって、自分の執筆スタイルの長所短所を具体的に確認するチャンスになり、後々のクォリティアップにつながるでしょう。
  • 二次審査 : 一定水準を満たしたうえで、「さらなる付加価値」を持った記事を選ぶための相対評価をする
    二次審査の対象にするのは、一次審査の各項目平均3.5(あくまで例)ポイント以上獲得した記事、とします。良い記事がたくさん揃えば、二次審査にたくさん進出することになってもよいでしょう。未熟な記事は、ここでふるい落とされますし、基本を堅実におさえた良質な記事が落ちてしまうこともないでしょう。
    二次審査では、基本的なクォリティだけでなく、さらなる付加価値を含めて評価を行います。コメンテータそれぞれが、独自の観点から記事の見どころをコメントをし(これがコメンテータの役目となります)、それを参考にして審査員が採点をします。持ち点を配分するという形のコンペティション。

大雑把ではありますが、方向性の違う記事を比べる難しさと、魅力的な記事を見出す面白さのあいだでバランスをとった審査方法を考えてみました。

御礼と今後[編集]

コメントをくださった方、票を投じてくださった方、有難うございました。いただいたコメントや質問を参考に、これから良い記事を書けるようにつとめます。それから、後で「講評」ページに、B分野エントリ記事それぞれに対するコメントを書いていこうと思います。

今回は、わたしは執筆という形で参加しましたが、次回はコメンテータまたは審査員として参加したいと思います。Tantal さん御提案のように、半年おきくらいにイベントを開催するというのは丁度良いと思います。 --Avenafatua/ごうだまりこ 2007年5月23日 (水) 21:18 (UTC)[返信]

Avenafatua氏へのコメント[編集]

一次審査に評価基準をつけると言う案は面白いかもしれません。3-4の評価基準に対してそれぞれ5段階評価での得点をつけさせるということですね。それで合計得点上位を決勝進出、ということですか。自分の書いた記事が絶対評価されるってのはなんとなく怖くもありますが(笑)。ちょっとコンテスト色が強くなり、お祭りっぽさがなくなっちゃうのが難点でしょうか。ただ、Yosemiteさんのつけてくださった松竹梅評価は、ワタシにとっても今後の加筆修正への大きな助けになっているのも事実ですし、そういう意味ではこの方式、考える価値があるかもしれません。--レイキャビク 2007年5月25日 (金) 00:59 (UTC)[返信]

(コメント)おそらくどのような審査方法を選ぶかは、このコンテストが何を目指すのかによって変わってくるとは思いますが、二段階審査の場合、それぞれ評価の次元が異なるものだという点においては、Avenafatuaさんの提案のように基準を明確化するのはよいかもしれません。レイキャビクさんと重なりますが、多分、今回、Yosemiteさんのつけてくださった松竹梅評価が結構参考になると思います。--Tdk 2007年5月26日 (土) 03:39 (UTC)[返信]

Tdk/泡瀬干潟[編集]

全般的な感想[編集]

まず、運営や審査、コメントなど、参加者の皆様ありがとうございました。初めての参加でしたが、他のレベルの高い記事が生み出されていくところに立ち会えたような気がしますし、単に執筆しているよりも、断然、刺激的でした。

私にとってこの記事は、三番瀬につづく「干潟シリーズ」での執筆でした。干潟は、陸地と海域の境目のあいまいな空間で、それゆえに自然環境としても人間の営みの場としてもいろんな意味で豊かさをもっている空間といえるでしょう。しかし、そのあいまいさ故に社会的に位置づけられにくく記録が残りにくいため、あまりにもあっさり消えていきます。

泡瀬干潟も埋立て計画が進み、その境界線上にある場所です。ただ、その開発の是非とは違う次元で、その場所がどういう場所であるのか、それをまずはできるだけ客観的に記述しておこうというのが、この記事を書いた動機です。これは一般的な私の執筆目標でもありますが、「その場所がどういう場所であるのか」を知るために、できうる限り多角的に記録の掘り起こしと記述を心がけました。特に、記録に残りにくい人とのかかわり、利用や歴史に関してなるべく記述しようと考えました。

それが達成されているかと問われれば、甚だ不安ですが、ただ、ここをたたき台としてより執筆が進められていくことがもっとも重要なことだと思います。それに寄与できればウィキペディアの記事としては、一定の意味があったといえるのではないかと思います。

執筆の直接的なきっかけはたまたま現地に行く機会に恵まれたこと、そしてコンテスト参加は、(遅筆ゆえ)半年ほどかけて少しづつ書いていたものがたまたま間に合ったということではありますが、他の上質な記事群にも触れることができ、参加できてよかったと思っています。

運営に関するコメント[編集]

次回、再び参加できるかはタイミングなどもあると思いますが、一応、参加した身として今後について私なりのコメントをしておきたいと思います。

レイキャビクさんも指摘されているように、記事を書いてしまいさえすればあとは気楽な執筆者としての参加でしたので、今回、審査員の方々を中心とする運営が極めて大変そうだという印象をもちました。とりあえずこのコメントの問題意識はそこに尽きます。根本的な点として、このコンテストがどういう機会を目指すものであるのか、何が求められているのか、ということから検討していった方がよいように思います。それによって、望ましい運営体制は異なるでしょうし、そのなかで各参加者の負担が最小化できればよいように思います。

おそらく、そうやって考えると、このコンテストは、

  1. 記事を検討して優れたものを顕彰するというような「審査会」としての側面
  2. それぞれコメントを出し合ってワイワイやるという「お祭り」としての側面

があり、この両面があることが特徴的かつ悩みのもと(大変さの源泉?)な気がしています。

そして、傾向として前者の「審査会」の側面を強くすればするほど、審査が厳密になり、また審査員の負担や期待値(やるならやるできっちりやってほしい、というような)も増えるのではないかと感じます。逆に、今回コメンテーターが設置されたこと(個人的にはこれはよい試みだったと感じます)とも関連しますが、「お祭り」であれば(順位を決めるような)審査そのものの位置づけはさほど大きくないのかなと感じます。

少なくとも、執筆者としての私自身の感想としては、どちらかといえば、より多くのコメントがもらえてワイワイできたほうが楽しいです。つまり、自分の書いた記事が厳密な審査によって顕彰されることが目的というよりも、それについてコメントを交換したり、記事をいじったり、できるほうが参加した意義があるように感じるということです。逆に言えば、仮に審査結果がどうあれ、これで「コメント」が全くつかなかったとしたら、非常に寂しい思いをしたと思います。点数がつくよりも、講評やコメントがもらえたほうが具体的な励みにもなるからです。もしかしたら、秀逸な記事の選考や、査読依頼などとの関連性もあるのかもしれませんが、これらほど硬いカタチではなく、気軽にコメントがもらえたり、できたりして研鑽できるなら十分かなという気もします。

しかし、そのなかで、やはり優れた記事というものは注目されてもいいと思いますので、なにかしらの審査をするということは否定しません。ただし、あくまでメインが「お祭り」であれば、審査はそのなかのイベントのひとつという感じでしょうし、あまりに厳密すぎる・長時間かかるのは興ざめです。ならばやるならやるでコンパクトに「審査員」にさくっと審査してもらってはどうかと思います。個人的には、このコンテストの方向性そのものが気になるところなので、具体的な方法についてはあまり言及しませんが、さほど対象記事が多くなければ審査員による議論や順位付けの投票による一段階審査もありえるでしょう。その意味で、私のなかではコメンテーター(個別の記事に対してコメントを入れる人)と審査員(記事を比較して優れた記事を選出する人)は、そもそも目的が異なる似て非なるものという気がします(もちろん、そこの役割が違えば、同一人物による「兼任」ということも十分ありです)。--Tdk 2007年5月24日 (木) 16:30 (UTC)[返信]

Tdk氏へのコメント[編集]

多くのコメントがもらえてわいわいやりたい、というのも賛成です。ボランティアだからとわかってはいても、記事をせっせと起こすのはなかなか孤独な作業ですから、横からチャチャが入るのはそれなりに意欲がわきますよね。そういう意味でも、コメントが意外と少なかったのは残念でした。毎日ワクテカでページ開いてたのに(笑)。--レイキャビク 2007年5月25日 (金) 01:02 (UTC)[返信]

「ワクテカ」の心境わかります(笑)。「コメントが闊達である方がうれしいかも」という私の感想は、今回、参加してみてわかったことでもあります(おっしゃられるとおり執筆って案外孤独な作業ですよね)。個人的な反省点としては、「審査」と聞いて受動的になってしまった(あくまで「受ける」側に回ってしまったし、「質疑」も答弁するだけになってしまった)きらいがあって、執筆者であっても断片的でいいから他の記事にコメントを入れるように能動的に参加すればよかったというところです。--Tdk 2007年5月26日 (土) 03:26 (UTC)[返信]

Lombroso[編集]

感想[編集]

審査員、コメンテーター、そして記事・画像投稿者の皆さん、お疲れ様でした。まずは、本企画に対する感想を少々。

分野Aの「チンドン屋」は、学術的見地から語られることの少ない分野でありながら、多くの資料を渉猟して、よくまとめ上げられています。既存の百科事典ではおよそ期待され得ない水準にまで押し上げた功は大きいと言えましょう。また、分野Bの「イスラーム建築」は執筆者にとって畑違いの分野であったとのことですが、よくぞここまでと思わずにはいられません。画像分野のImage:Neon Color Spreading.pngは、一見してすんなり作成できたことが分かる作品ですが(失礼)、ネオン色拡散の現象をよく示しており、鮮やかに1位を獲得されました(誉めてるのか?)。この画像をさらに活躍させるためにも、是非「ネオン色拡散」の記事を書いてもらいたいものです。

門外漢には理解が困難な記事もありますが、他の項目も総じてよく書かれており、日本語版ウィキペディアの水準を上げるのに一役買っていると言ってよいでしょう。また、拙稿「オーストラリアの歴史」に対しては、Tantal氏をはじめ、Yosemite氏やSiyajkak氏からコメントを戴き、感謝します。詳細な意見を頂戴する機会を持つのは初めてでありましたので、大変刺激になりました。同時に、厳しいツッコミを恐れておりましたが。

運営に関して[編集]

Tdk氏とほぼ同意見なので、他に申し上げることは余りありません。あえて私見を言うなら、2段階選考制は応募記事数が今よりもっと多数になってからの方がより適当と考えます(煩雑さを軽減するため)。また2段階でいくならば、第1選考は新着記事の投票のような、簡素なものでよいのではと考えます。--Lombroso 2007年5月26日 (土) 09:07 (UTC)[返信]


Miya.m[編集]

Tantal さんにこの「反省会」を教えていただきました。まず運営・審査・コメントに携わってくださった皆様にお礼を申し上げます。コンテストに参加することは一般の執筆よりもスリリングな気がして、今回も楽しませていただきました。

全般的感想[編集]

第0回執筆コンテストかふしまつりの頃に比べると、執筆者の記事の質=Wikipediaの記事の質が向上していることを強く感じます。A分野一位の「チンドン屋」とB分野一位の「イスラーム建築」は素晴らしい完成度です、これ以外にも一次審査を通過した項目は何れも素晴らしいものと思います。個人的には「ブルネイの歴史」は惜しかったですね、完成が楽しみです。私も第0回以来それなりに向上しているつもりですが、皆様の執筆を横目で見て「う~ん、さすが」「おっ、そこまで書き込んでいるのか!」と感嘆していました。ところでTdkさんのコメントの中にある「審査会」と「お祭り」についての話は今回のコンテストを象徴しているような気がします。個人的には「100%お祭り」の感覚で参加しています。即ち執筆者は「踊る阿呆」、審査員は「見る阿呆」、もちろん踊る方が楽しいに決まっていますし、声援(コメント)を頂くのも励みになります。好き勝手に踊っている立場として、下手な踊り手にもしっかり審査しなければいけない立場にある方々には、本当に感謝しています。そんな私にとって残念だったことは、コンテストが始まる直前に「審査員の資質に対する疑義」を公表された点です。Wikipediaの執筆者や閲覧者には中学生や高校生もたくさんいるのが現状ですので、「この記事は分かりやすくて面白い」というのもポイントとしてありではないかと考えます。上でシールについて「一点ももらえなかった執筆者の方のキモチを思うと、心が痛みます」と言って頂けましたが(踊り手である)私自身あまり気にしていません。それよりも「審査員として名を連ねている方々の全員は信頼していません」というご意見のほうが善意の参加者に対して気の毒で、「それを言っちゃあおしまいよ|大人気ない」と申し上げます。この件は当時から気にしていましたが黙っていました、コンテストが終わったので発言させていただきます。

(実現は難しいかもしれない)提案[編集]

次回の執筆コンテストの審査員について、例えば「二十歳以上」の正審査員と、コメンテーターに代えて「年齢不問」のなんちゃって審査員を設け、各々持ち点を配分する。執筆者は高度な内容で正審査員の点数を集めるのもよし、真面目ではあるが面白おかしい内容でなんちゃって審査員の点数を稼ぐのもよし・・なんていかがでしょうか?もちろん「大人である」は自称ですので本当のところは分かりませんが、審査内容で馬脚が明らかになります。Miya.m 2007年5月26日 (土) 10:23 (UTC)[返信]

Miya.m氏へのコメント[編集]

いえ、シールに点が入らなかったのは本当に残念でした。ガスケットとパッキンが用途の差であって同種の部品であると言うのはウロコから目が落ちる思いでしたから。今後も良質な記事を期待したいです。さて、審査員に種類を設けるというのは面白い案だと思います。確かにWikipediaの読者には高校生以下の若い方も多いでしょう。しかし、ごめんね、高校生諸君。大人って、ナメちゃダメよ(笑)。ワタシだって高校生当事には随分大人だと思ってました。でも大人になると、そんな昔の自分が恥ずかしい。今と当時とでは、見えている範囲の広さが違う、視点の高さが違う、見えるものの解像度が違う、とにかく大人になると見えてくるものがぜんぜん違うんですよ。そういう意味では、申し訳ないですが高校生以下の若い方々には、審査員はそぐわないかもしれないと言う意見が出ても、全くフシギではないとワタシも思います。むしろ、若い方には言いたいことを言い散らすコメンテータをやって欲しいと思います。オッサン難しいことばっかり言うてるけどここはどうやねん、と。無責任にがんがん物を言うのは、若者にこそ出来ることです。ということでワタシはMiya.mさんの提案を一歩広げ、コメンテータは年齢制限なし(むしろ若者推奨)、審査員は一定以上の年齢、というように分けてみたい気もします。--レイキャビク 2007年5月29日 (火) 04:44 (UTC)[返信]

お返事[編集]

レイキャビクさん、拙文への過分のお言葉ありがとうございます。ところでレイキャビクさんのお言葉に「今の若い者は・・」の匂いを感じるのは私のヘソが曲がっているせいですよね。勉学や人生経験や会社内地位における先輩・後輩の関係は死ぬまで続くもので、私の実生活でも30代後半の係長に「おまえ、もうちょっと勉強しろ!」と言いながら、60歳の常務にボロクソに怒られている状況です。その中でも若い人の活きの良い意見には「それ面白い、やってみろ(ちょっとぐらい失敗してもええよ)」と言うのが楽しみです。そういうわけで高校生だからダメというのは「気持ちは分かるけどもうちょっと広い心で見てほしい」です。Wikipediaには、そんじょそこらの大人より優秀な中高生がいると思っています。逆に言えば 審査員の年齢制限を○○歳以上にしていただけると、私達夫婦が絶大な決定権を握らせていただけるのですが・・・・どこで線を引くかは非常に政治的(恣意的)な問題ですね。Miya.m 2007年5月31日 (木) 13:36 (UTC)[返信]

あーそういう意味では決して(笑)。もちろんアホな大人もわんさかおりますし、まぁワタシもわりかしアホな大人に入る方だともっぱらの評判ですが。ただ、私が言いたかったのは、なんでしょうね。端的に言えば、過誤払いは高校生には読めない典型的な記事だと思うのですよ。世の中の仕組み、お金の仕組みなんてのは、社会に出てみないと解らないことですよね。クレジットカードの便利さと怖さは、使ってみないと解らないわけです。だからこういう記事を高校生に読んでさあ審査しろ、といっても、これはムリだと言うことです。だから、審査となるとなかなか難しいだろうけど、でもどんどんコメントをして、痛烈なコメントでおっさんおばはんの横っ面をひっぱたいて欲しい、と思っているわけであります。まぁ常識的なセンとして、18歳程度で線を引くのが妥当だと思うのですけどね。--レイキャビク 2007年5月31日 (木) 14:26 (UTC)[返信]

らりた[編集]

まずは審査員・コメンテーター・執筆者の方々、お疲れ様でした。

まず自分が書いた記事に関しては百点ではないけれども合格点を出せると思います。そして何より記事を書くこと自体が苦労はしましたが、楽しかったです。

他の方の執筆された記事に付いては、私はブルネイの歴史を推した訳ですが、未完成であったのは残念でした。しかし完成すれば素晴らしい記事になるかと思います。それ以外の記事に関しては講評の方でやりたいと思います。

そして運営面に関してですが、やはり不備な点が多かったであろうと思います。次にやる場合の提案としていくつか挙げておきます。

  1. 審査員と運営委員を分けてはどうか。
  2. 周知徹底。
  3. 開催期間の変更。

1ですが、今回は審査員の方々が運営委員を勤められていた訳ですが、そうすると審査・運営の両立が難しく、どちらかが滞ることになりがちではないかという気がします。ですのでこれを分離すればスムースに行くのではと思います。問題は運営委員は純然たる裏方になってしまい、面白みがないのでなり手がいるかどうかということでしょうか。もしこの提案が実現するならば言いだしっぺの法則で私も参加したいと思います(鬼に笑われるかもしれませんが)。
2ですが、今回一発投票か二次審査かどうかで少々混乱がありましたが、一度決めたルールはコンテストのルールとして大きく張り出しておいて、審査員の会話ページにも貼り付けるくらいのことをしても良かったと思います。
3ですが、3・4・5月の年度代わりはどなたにとっても忙しい時期ではないでしょうか。少し前後にずらした方が良いのではという気がします。

以上、今回Yosemiteさんを初め多忙の中、尽力してくださった皆さん方に大変失礼な物言いになっていると思いますが、私の感じた率直なところです。宜しければご一考ください。

最後に私の記事にコメントを付けてくださったYosemiteさん・Siyajkakさん、私の記事を1・2位に推して下さったHimetvさん・Tantalさん・tottiさん、そしてこの企画に参加した全ての方に御礼申し上げます。ありがとうございました。らりた 2007年5月26日 (土) 12:27 (UTC)[返信]

らりた氏へのコメント[編集]

(らりたさんの「開催期間の変更」のご提案に賛成)Miya.mです。3月に執筆し4月に審査するのは、学生にも社会人にもかなりつらいものがあると考えます。私の個人的事情では5月執筆6月審査あたりがありがたいです。Miya.m 2007年5月26日 (土) 21:13 (UTC)[返信]

ワタシも開催期間変更には賛成します。ちょうど今頃、5月末から6月ごろから開始がいいのではないでしょうか。また、運営と審査は別人がするというのもとてもよい案だと思います。しかし現状では、そこまで人がそろわない気もいたします。そこで、運営者は審査員に立候補できるが、審査員の定数がオーバーした場合、外れなければならないというような規定を設けてもいいかもしれません。 最後に周知徹底の話ですが、基本的にスケジュールは開始時点で完全に決まっていたはずですし、それをあとから周知徹底不足などと文句が付くのは全く持って意味がわからず、むしろ審査の怠慢をあらわしていると思います。ルールも理解していない方は審査員たる資格はないのではないでしょうか。無論、最後にもめたような急なスケジュール変更はウィキメールで知らせたり、利用者ページにコメントすればいいと思います。むしろ今回の問題は、運営が民主主義的すぎて、トップダウンにことが進まなかったことだと考えます。--レイキャビク 2007年5月29日 (火) 04:51 (UTC)[返信]

Takahashi_J[編集]

参加者の皆さん、お疲れ様でした。今回初めて参加いたしました。反省会なので以下やや辛口になりますがお許し下さい。

記事について[編集]

執筆者の皆さんがこのコンテストに投入された労力には敬意を表しますが、記事については全般に長すぎる記事が多いように感じました。審査員の立場に立った場合、これを審査期間に全部読むのは読むだけでもややつらいのではないでしょうか。肩の凝らない記事であればまだしも、私は全部読む気力がわきませんでした。記事については、審査員の負担軽減に配慮して、ある程度ジャンルを分けて何文字以内と上限を設けた方が良いと思いました。

運営/審査について[編集]

運営/審査については、執筆者の側から見て、

  • いつ決まるのやら、
  • 審査員やコメンテーターとして手を挙げたなら、いずれかの記事にせめて一つ二つはコメントすべきでは、

という感想を抱きました。長文記事が多いのも原因の一つかもしれませんが、それなりに執筆には時間と労力がかかっているので、なにがしかの反応がないと寂しいです。欲張りすぎでしょうか。--Takahashi J 2007年5月27日 (日) 12:32 (UTC)[返信]

Takahashi J氏へのコメント[編集]

「審査員やコメンテーターとして手を挙げたなら、いずれかの記事にせめて一つ二つはコメントすべきでは」というご意見、全く同感です。ワタシはこの点を非常に問題視したいと思います。コメントがないということは読んでいないのと同義だとさえ思います。次に文字数制限ということですが、こちらはワタシは反対したいです。長ければよいと言うものではないというご意見には全く同意しますが、そういうただ冗長な記事であればそれを質疑やコメントで指摘するのも審査員の役目だと思うからです。むしろ問題は、「長いのは短いのよりもよい記事」的な風潮を生みがちなことです。--レイキャビク 2007年5月29日 (火) 04:55 (UTC)[返信]

Darkmagus[編集]

みなさま、どうもお疲れさまでした。終わった今だからいいますが、出場するからには1位を目指していました。大艦巨砲主義的に長大記事の翻訳で挑んだのですが、目のつけどころが違うというのでしょうか、チンドン屋には脱帽です。他の記事もクオリティが高く、コンテストの回数を重ねるごとに全体の質が向上しているようですね。まあ、来年リベンジです。

運営については、「いまどこで何をやっているのか」が途中からよく分からなくなったような気がします(自分だけ?)。例えば最初の審査はWikipedia‐ノート:執筆コンテスト/第参回執筆コンテスト/エントリー項目 (分野A)/コメントで行なわれましたが、「第参回執筆コンテスト」のサブページのサブページのそのまたノートページで、深いところにあるので自分は少し経つまで気がつきませんでした。日程や審査方法についての議論、議論を呼びかけるアナウンス、議論の結果がそれぞれどこにあるのか……って思ったのはやはり自分だけでしょうね。ウォッチリストをこまめに確認しないのが悪い

上の節でTakahashi J氏が審査員の負担軽減のためにサイズ上限を設けてはという意見を出されていますが、上限を思い切って小さく設定して「○キロバイト未満でいかに充実した記事を書けるか」を競うというのも面白いかなと思いました。「決してスタブではなく、必要な情報が過不足なく書かれている完成した記事でありながら、いかにコンパクトにまとめてあるか」という……。いや、単なる思いつきですけど。

大したコメントが出せなくてすみません。ここのところ全然wikipediaのための時間が取れなくて、コンテストに参加された他の記事も全部は読み終えていないありさまです。取り急ぎ、用件のみ。--Darkmagus (talk) 2007年5月27日 (日) 17:03 (UTC)[返信]

miya[編集]

感謝
コンテストを運営してくださった皆様、ありがとうございました。参加者の皆様にもお相伴いただき感謝しています。私はコンテストをお祭りと捉えて「参加することに意義」を感じています。これまではいつも画像を貼る程度だったのですが、今年はどうしてもほしいのになかなか書けない項目を書き上げるためー自分を追い込むために参加を決めました。その項目雪形は案の定、ほかの大作に並ぶと見る影も無いスタブですが、ちゃんと参考文献にもあたって投稿にこぎつけたことだけでも自分としては満足しています。
運営
感想は、大変そうだったなぁ、の一言に尽きます。楽しくラクに出来る方法があればいいのですけどね。去年までは審査にMLを使っておられたように記憶していますが、今年はどうだったのでしょうか。非力な執筆者として一つだけ要望を言わせていただきますと、年々、大項目を書ける人以外は参加しづらくなりつつありますので、次回には「小項目賞/小粒賞(仮称)」を設けて、短くても過不足なく加筆されてそれなりに充実した項目の執筆者にも(私の執筆がそうだったというわけではありません!)受賞のチャンスを広げていただけないでしょうか。コンテストをきっかけとして、一つでも多くの記事が投稿・加筆されることも重要だと思いますので。--miya 2007年5月28日 (月) 03:45 (UTC)[返信]

miya氏へのコメント[編集]

小粒賞の創設、面白い案だと思います。ますますコンテストそのものの優勝が重厚長大な記事に傾きかねない危惧はありますが、審査の方向性に多様性を持たせると言う意味でも、考えるに価すると思います。--レイキャビク 2007年5月29日 (火) 10:23 (UTC)[返信]

Ks aka 98のコメント[編集]

審査・運営関係のコメント[編集]

  • コンテストの運営について。Yosemiteさん、審査員、コメンテーターの皆さんに感謝します。審査方法・期間に混乱があったようですが、これはまとめの場所をうまくつくれば回避できることだと思います。「お祭り」ということで進行させていったElthyさんの舵取りも見事でした。
  • 当初、A分野はコメントが付くのが遅れ、およそ半数が10代というコメンテーターの顔ぶれを見ても、わかりやすさが過度に重視されることを危惧しないでもなかったのですが、鋭い指摘が次々と届き、いろいろ再考させられました。逆に、わからないなりの意見も欲しかったとも思います。その項目についての知識がないからこそ、気付くところもあるはずですし、非専門家が理解しようと努めてなおわからない部分の指摘、というのは、百科事典の執筆者にとって、もっとも欲しているコメントだったりします。今からでもよいので、是非。
  • 決定が遅れてしまった理由は、審査委員長のYosemiteさんがアクセスできなくなるということも大きかったとは思いますが、何かおかしいなと思ったところで、審査員の方々には、早めに動いて欲しいというのは、正直な感想です。TantalさんやCave cattumさんが積極的に動いていただけていたとはいえ、お二人とも執筆者で、ぼくもしゃしゃりでてしまいましたが、執筆者としてルールや進行に口を出すのは、公正さなどの面にも関わってしまうものですから、どうしても抵抗があります。
  • 質的にも量的にも、水準が上がってきたことによって、参加するための敷居が高くなってしまったのではないかというのが、ちょっと気になります。今年のエントリを見て、その翌年のコンテストにというタイミングだったら、ぼくは参加していなかったかもしれません。気軽に参加できる、お祭的な意味合いをどうやって維持するか、いっそ切磋琢磨する部分を強調していくか、といったことを考える必要があるかもしれません。それと同時に、今回のエントリのような記事は、ウィキペディアの記事の質について、次のステップへと進みかけている、という印象も持ちました。これは講評のほうで。
  • 分野について。イスラーム建築の場合、様式や歴史の記述が相当部分あるので、B部門ではなく、A部門が適当なように思いました。「建築」という括りにおいて、材料や構造など工学的な記述が中心の場合はB、様式など芸術・文化系の記述が中心の場合はAにするのがよいかなあと。
  • レイキャビクさんのコメントへの意見として、コテコテかどうかを分離するのは、ちょっと難しいように思います。「講評」でも触れましたが、コテコテでも、わかりやすく書くことは常に求められるべきですし、その点について、ぼくはまだまだ改善の余地があると思います。専門的な知識や理解が必要な部分があるのは確かですが、それ以前に、なされるべきことがあるのではないかと。他方、チンドン屋にしても、ガチガチではないけれど、新旧歴史学、社会学、文化研究~メディア論など「学術的」な知見なしには、ああいう書き方にはならない。コメントでのやりとりを見れば、読みやすさだけで評価されたということではないと思うのです。大衆文化系の非学術的と言われる項目であっても、歴史を書く時には可能な限り学術的な水準を求めるべきでもあります。百科事典というのは、大学の教科書でも読み物でもないわけで、単に、審査時の姿勢として、ただ分りやすいだけでも、学術的に正しく有用であるだけでも不十分だということを確認しておくのがよいと思いました。

次回ルールへの叩き台として[編集]

修正して一番下に移動しました。--Ks aka 98 2007年5月28日 (月) 17:49 (UTC)[返信]

Ks aka 98氏へのコメント[編集]

コテコテ分離問題ですが、もちろん完全に分離することなんて不可能です。学術分野でも読みやすさは大事であるというご意見ももっともです。しかし、世の中には専門性を必要とされない記事もあります。ここがポイントです。現在の分野わけでは、数学とゲームはおなじB分野にカテゴライズされています。数学の新しい定理に関する記事と、新発売になったばかりの18禁ゲームの記事が同じカテゴリで審査されることになりうるのは、いくらなんでも問題ではないか、という指摘です。でもどう分野分けしたってグレーゾーンは出てきますから(今回のコメット事故記事が典型)、それはその都度各論対処していくしかありませんが、全体の方向性としては学術分野と非学術分野はやはり分けるべきだろうというのがワタシの意見です。ちなみにチンドン屋は、りっぱな社会学記事ですので、学術分野でいいと思います。--レイキャビク 2007年5月29日 (火) 10:38 (UTC)[返信]

Carpkazu[編集]

おそくなりましてすいませんでした。Wikipedia:執筆コンテスト/第参回執筆コンテストにあらゆる立場でご参加の皆様、お疲れ様でした。執筆者として大きなイベントに参加できてとても楽しかったです。執筆しているうちに当初意図していたものと、少し違った形になりましたが、ある程度まとまった読み物として完成することができてよかったと思います。引用と注釈について不備があったのが残念でしたが、今後新たな項目を作っていく際には気をつけていきたいと思います。やはりB分野1位のイスラーム建築は、ビジュアル的にも文章も出来が良くてすばらしかったと思います。個人的に外国の文化にふれられる項目が好きですので。

審査・運営関係の日程が、少々予定よりもかかってしまったのは、正直私としましてもヤキモキしたのは事実でありますが、やはり新年度で皆様忙しい時期であったこともありますので、しかたがないと思います。次回の執筆コンテストでは、ある程度長いスパンをもって開催できれば、もっとすばらしいコンテストになると思います。

また、A分野とB分野ですが、どうしてもその双方の性質を兼ね備えた項目も存在しうるので、総合的な第三の分野もありえたかもしれないですね。そのため、具体的な項目を列挙することで、ある程度目安をつけていたらよかったかのように思いました。もっとも、これも誰が判断するかという問題があるので難しいですね。 --Carpkazu 2007年6月2日 (土) 16:54 (UTC)[返信]

じゆにち[編集]

いまごろのこのこと現れました、じゆにちです。まあ、入賞できなんだことは、周りがよすぎたし、しかたがないので、なにも申しません。

大きい記事ばかりがあつまって、審査員のかたの負担がおおきいのは、たしかでしょうが、こういう場ではないと、記事をかかないひともいるでしょうし、こういう場でないと、書かれない分野の記事もあるでしょうし、確実に、日本語版全体のレベルアップにつながっているので、募集する記事の大きさを制限せずに、審査員のかたの負担をへらす風にできないでしょうか。例えば、分野をもっと細分化する、とか……、ううん碌なこと思いつかんですが。これ以上細分化しても、担当するかたの数に偏りがでそうです。審査員の数がもっと増えればいいんですけどね。

執筆コンテストには、ふたつほど、いいところがあります。ひとつは、やる気を出せる場であるということ。やる気をだせる場は、いい記事が集まります。よって日本語版の質が向上する、ということになる。順位付けは、執筆者のやる気をひきださせるための、あくまで附属的なものだ、と考えています。

もうひとつ、それは、コメントがつくことです。Wikipedia:査読依頼をみてわかるとおり、コメントは、ついたりつかなかったり、で、確実につくわけではなく、依頼者にとっては、不本意な結果になることもままあるように見受けられます。コメントは、宝物です。執筆者と閲覧者の橋渡しをしてくれるものです。記事を、執筆者の分からなかった観点から改善しうる、大切なものです。執筆コンテストでは、そんな重要なものが、しかもハイレベルな指摘が、確実につく、貴重な場なのです、というか、そういう場でないと、価値が半分以下になってしまいます。というわけで、そんなコメントがつく確率が増える、コメンテーター制度は、これからも、必要でしょう(コメンテーターに名乗りでながら、なんらのこともしなかったひとが多かったのは、一体どういうことだったのだろうか……、不思議です)。

わたしは、この、コメントを重視する立場です。だから、審査員のかたには、かなり、大きな期待をしています。多彩な観点から指摘できる、分野全体をカバーできるほどの、多様な陣容の審査員団、コメンテーター団ができたら、うれしいのですが。というわけで、分野のもうすこしの細分化(今回なら、三つくらいが限度か)を、次回してみたらどうでしょうか。

もっとコンテストの魅力をあげて、審査員の数を増やさなければ、進行が立ち行かなくなってしまう気がしまいます。

具体的なことがいえず、ただの長文になってしまいました、ううむ。--じゆにち (Mobnbka) 2007年7月22日 (日) 09:20 (UTC)[返信]

コメンテーターより[編集]

森造[編集]

メッセージ[編集]

審査員(運営委員)の皆様へ[編集]
  • まずは、何はともあれお疲れ様でした。私は今年から導入されたコメンテーター枠に入り込んだ人間で、気が楽でしたが、運営委員の皆様方は緊張の連続だったと思います。とにかく、まずはゆっくりとお休みになって下さい。ありがとうございました。
執筆者の皆様へ[編集]
  • 今年の記事と画像もどれも素晴らしいもので一杯でした。見ているだけで面白かったもの、見ていて考えさせるもの、なるほどなぁと唸ってしまったものなど実にどれもこれも感動の連続でした。全体のクオリティーの高さを実感しました。(ただ、分野Bはレベルが高すぎて、専門的知識のない自分にはコメントのしようがありませんでした。ごめんなさい。)また来年も期待しています。楽しませていただき、ありがとうございました。

感想[編集]

  • 今年から採用されたコメンテーター制度を利用してみて本当に良かったと思います。個人的な事情であまり自由な時間はとれないので、運営委員や審査員を出来るはずはないと思っていたのですが、今回の制度導入で状況が変わりました。色々と言いたいことを自由に言えて、面白かったですね。自分にとっても何か大きな影響を与えた大会でした。運営委員、審査員、執筆者の皆さん、ありがとうございました。コメンテーターはいなくてもコンテストは成り立つとは思いますが、皆様の参加がなければ、この大会は成立し得ません。これからもよろしくお願い申し上げます。本当にありがとうございました。

運営に関して[編集]

即時提案[編集]
  • Wikipedia:執筆コンテスト/コンテストルールを最新のものに変更すべきだと思います。
    1. コメンテーターというポストの常置
      • Wikipedia:執筆コンテスト/コンテストルールの項目では原則的なルールのみを規定することとなっていますが、今回から導入されたコメンテーターという役職そのものを正式に設置することを提案します。Miya.mさんのようにコメンテーターの権限を変更するご意見もありますが、とりあえず、
      • 審査員の補助役として、コメンテーターを置く。
      • コメンテーターの募集期間、募集方法、詳細な権限は個別コンテストでの運営ルールにより決定する。
    • の上記2項目を原則として定めるのはいかがでしょうか?今のところ、コメンテーターの枠を撤廃する意見は見られないようですが……。
来年への提案[編集]
  • 今大会における最大の問題点は、運営委員と審査員の両者の負担が大きすぎることだというご指摘が他の方のご意見にありましたが、私も同感です。そして、その原因は一部の審査員とコメンテーターがかなり中途半端な参加をしたことにあると私は考えます。もちろん、配点と審査方法にも問題があったとは思いますが。ここはやる気の度合いでふるい分けをすべきだと思います。
    • 一次審査
      1. 審査員により分野毎にそれぞれ別な記事を3つずつ推薦できる。
      2. 審査員が1票でも白票がある場合は「中立投票」の項目に白票を宣言する。
      3. 審査員の推薦を受けた記事は推薦1つにつき5ポイントを付与する。
      4. 記事をエントリした主執筆者は、参加した分野で自分以外の記事を任意で2つ推薦できる。推薦を受けた記事は2ポイントを付与する。
      5. ポイント集計で上位5位までを最終審査にかける。
      6. いずれの場合も、同じ推薦者が1つの記事に推薦できるのは1度だけで重複してはならない。
      7. 審査員が白票の宣言無しに投票を欠席した場合、最終審査の権利を喪失するものとする。
      8. この時点でコメンテーターは一次審査における一切の投票権を持たない。
    • 最終審査
      1. 一次審査のポイントはすべてクリアする。
      2. 審査員がそれぞれ、5つの記事にそれぞれ1位:10点,2位:8点,3位:6点,4位:4点,5位:2点を投票できる。
      3. 主執筆者は、3つの記事にそれぞれ1位:8点,2位:5点,3位:3点を投票できる。
      4. コメンテーターは1つの記事に3点投票できる。
      5. 一次審査で権利を喪失したものの投票は認めない。
      6. これらを集計して最終順位とする。
      7. 第1位を取る記事が同点で2つ以上存在したときのみ、決選投票に移行する。
    • 決選投票
      1. 審査員のみが1人1票与えられる。
      2. 審査員の投票が白票を含め、半数に満たない場合、期間を延長し、残りの審査員は、さらに別な記事を1つ推薦できる。
      3. 審査員の投票が白票を含め、半数に満たない場合、期間を延長し、該当分野の主執筆者は、参加した分野で自分以外の記事を1つ推薦できる。
      4. 延長期間の間に審査員の投票人数が過半数を超えた場合でも、投票受付を中断しない。
      5. 最終順位確定後、1位以外の記事で審査員が個別に審査員賞を付与してよい。



  • 以上です。まぁ、来年のことなので、かなり雑に書いています。かなり至らない点が多いかもしれませんが、ご容赦下さい。

siyajkak[編集]

Tantalさん、ノートへのメッセージありがとうございます。おそくなってすみません。らりたさんの時期をずらしたほうがよいのでは、というのは賛成です。3~4月って年度末で皆さん忙しくないでしょうか?エントリー日数や投票期間など期間の制限については今回の場合を踏襲するものとします。

分野の分け方と1次審査の投票について[編集]

分野の分け方[編集]

レイキャビクさんの提案された

  • コテコテ文科系学術分野
地理、歴史、経済、政治、哲学、宗教、言語、思想、
  • コテコテ理科系学術分野
物理、化学、生物、地学、自然、数学、IT、医学、
  • 非学術分野
社会現象、事件、メディア、芸術、ゲーム、交通、スポーツ、建築、etc

に大筋では賛成ですが、分野の名称を

  • コテコテ文科系学術分野→*人文・社会科学系分野
地理、歴史、経済、政治、哲学、宗教、言語、思想、
  • コテコテ理科系学術分野→自然科学系分野
物理、化学、生物、地学、自然、数学、IT、医学、
  • 非学術分野

としたほうがよろしいかなと思います。また、審査員の負担を減らすために4分野か5分野にして、そのうち3分野を選ぶとかしてもいいかもしれません。 たとえば

  • 地理・歴史系分野
地理、歴史、人類学、民俗学etc.
  • 倫理・政治経済社会科学系分野
政治、経済、哲学、宗教、思想etc.
  • 言語、文学、芸術系分野
言語、音楽、文学、美術、建築etc.
  • 自然科学系分野
物理、化学、生物、地学、自然、数学、IT、医学etc.
  • 非学術分野

とかです。しかし一方では、境界分野になる記事もあるのであまり細分化しないほうがいいのかもしれません。

1次審査の投票[編集]

実は今回審査員をやりたいと思っていましたが執筆分野が審査できないので引いてしまったというのがあります。つまり、記事を多量に読むのに苦手分野を読まなければならないこと、それで的確な審査ができるか心もとないし、責任が果せないで迷惑をかけることになるのがいやだったということです。あたりはずれはありますがたとえば自分の場合、地学(地質、天文、気象)系、生物系の記事はなんとか読めても、物理、化学、数学の記事が出た日にはなにがなんだかさっぱりわからない、それで審査がなりたつのかということです。わかりやすいこと、図が多くてわかりやすく思われることといった基準で選ばざるをえなくなります。素人判断で執筆者に気が付かない点を指摘できるというメリットはあるものの投票するときに記事のよしあしがわからない審査員に多くの票を投ずる権限があっていいのかと思います。ですから審査員は、自分の投稿した分野も審査できることにしてほしいと思いました。そのほか本人の投稿した分野について審査する場合に下記のように考えることができます。

  • (1)本人が投稿した分野であっても本人の記事には1票かないしはまったく投票できないように定める一方、ほかの方の記事に多くの得点を投票しなければならないことにすれば、まったく審査には問題ない。
  • (2)当該分野で記事を投稿したということはその分野が得意ということが推定されるので、記事の質を的確に審査できる。

審査の点数配分と記事の選抜について[編集]

まず、コメンテイターをしていて、記事が推薦できない、一票でも投票できないのがさびしいものがありました。そのためコメンテイター票を設けたいと感じ2つの案を考えました。また審査員の負担を減らすために(2)案を考えてみました。

コメンテイター票を設ける審査案と記事選抜案(1)[編集]
  • 1次審査の投票
  • 1.審査員は、良いと思った記事を各分野5位まで選ぶことができる。
投票数は下記のとおりとする。
1位10票、2位8票、3位6票、4位4票、5位2票
  • 2.ただし、1位についてのみふさわしいと思う記事がない場合など投票したくない場合は、投票しないことができる
    (これはのだめカンタービレを読んで、コンクールの1位が選ばれなかったことにヒントを得ましたが、審査員の視点から考えてありえると思いますし、ふるいにかける意味もあります)。
  • 3.審査員が主執筆者(推薦者)をかねている場合は、自分の記事について投票することができない。
  • 4.審査員が執筆者をかねている場合、本人の投稿分野は、必ず審査員をしなければならない。
    (コメンテイターになって、他の執筆者への少ない投票によって、自分の記事の得票を相対的に有利にしないため。)
  • 5.コメンテイターは、良いと思った記事を各分野2位まで選ぶことができる。
投票数は下記のとおりとする。
1位2票、2位1票
※これは、コメンテイターと審査員が区別できなくなることを危惧する意見が多かったために差をつけたものです。1位のみ1票でもいいかもしれません。
  • 6.コメンテイターは、自分の執筆記事について投票することができない。
  • 1次審査の選抜
  • 各分野で得票が6票以上の記事のみ決選投票に選抜されるものとする。
※だれも3位以上に選ばなかった記事は決選投票に残り得ません。
  • 決選投票の方法
  • 1.1次審査で10票以上獲得した記事について一律1票のアドヴァンテージを与える。
  • 2.審査員は、良いと思った記事を各分野3位まで選ぶことができる。
投票数は下記のとおりとする。
1位5票、2位3票、3位1票
  • 3.審査員は、自分が主執筆者である記事については投票することができない。
  • 4.各分野で得票が多かったものを2位まで選抜。1位を最優秀賞(または金賞、優勝記事)、2位を優秀賞(または銀賞、準優勝記事)とする。
  • 5.1次審査は行なったが決選投票を行なわなかった審査員が過半数を超えた場合は、例外的に参加しなかった審査員が1次審査で1位にした記事を3票としてカウントし、コメンテイター票を1票のみ認める(この判断は投票期限が残り3日に満たなくなった場合におこなう)。しかし、最終的に決選投票に過半数の審査員が参加した場合は、前述の例外措置は一切適用しない。
コメンテイター票を設ける審査案と記事選抜案(2)[編集]
  • 1次審査の投票
  • 1.審査員は、3分野の場合は少なくとも2分野審査することとし、そのうち1分野は自分が主執筆者(推薦者)として投稿した分野を審査することとする。そうでない場合は自由に選択できる。
  • 2.審査員は、すべての記事について講評するのがのぞましいが、1分野につき最低8つの記事について講評しなければならない。エントリーされた記事が8に満たない場合はすべての記事とする。また、審査員の講評が3人未満の記事については、8記事分に追加して調整するものとする
    (※審査員の負担を減らすため。本来のwikiの目的は類のない優れた百科事典を作ることであり、wikiのメリットは紙媒体と異なり無制限に充実できることなので、文字数の制限は本末転倒)。
  • 3.2.の記事の選択は、講評すべき記事の末尾に署名することによって意思表示するものとする
  • 4.審査員は良いと思った記事を各分野4位まで選ぶことができる。
  • 5.4.の投票数は下記のとおりとする。
1位8票、2位6票、3位4票、4位2票
  • 6.審査員が主執筆者(推薦者)をかねている場合は、自分の記事について投票することができない。
  • 7.審査員が執筆者をかねている場合、本人の投稿分野は、必ず審査員をしなければならない。
    (コメンテイターになって、他の執筆者への少ない投票によって、自分の記事の得票を相対的に有利にしないため。)
  • 8.コメンテイターは、良いと思った記事を各分野1つ1票まで投票できる。
  • 9.8.の投票は、記事の末尾に斜体で署名することで投票とする。また、コメンテイターは、自分が主執筆者(推薦者)の記事について投票することができない。
  • 1次審査の選抜
  • 各分野で得票が4票以上の記事のみ決選投票に選抜されるものとする。
※だれも3位以上に選ばなかった記事は決選投票に残り得ません。
  • 決選投票の方法
  • 1.1次審査で10票以上獲得した記事について一律1票のアドヴァンテージを与える。
  • 2.審査員は、良いと思った記事を各分野2位まで選ぶことができる。
投票数は下記のとおりとする。
1位5票、2位3票
  • 3.審査員は、自分が主執筆者である記事については投票することができない。
  • 4.各分野で得票が多かったものを2位まで選抜。1位を最優秀賞(または金賞、優勝記事)、2位を優秀賞(または銀賞、準優勝記事)とする。
  • 5.1次審査は行なったが決選投票を行なわなかった審査員が過半数を超えた場合は、例外的に参加しなかった審査員が1次審査で1位にした記事を3票としてカウントし、コメンテイター票を1票のみ認める(この判断は投票期限が残り3日に満たなくなった場合におこなう)。しかし、最終的に決選投票に過半数の審査員が参加した場合は、前述の例外措置は一切適用しない。

すでに煮詰まって遅すぎたでしょうか。参考になれば部分的にでも採用していただければ幸いです。Siyajkak 2007年5月29日 (火) 14:12 (UTC)[返信]

次回に向けて[編集]

出ている案を、俺POVですが、なんとなくまとめてみました。

全体的な提案[編集]

  • 開催時期の変更
    • とりあえずは3月執筆・4月審査を避ける。たとえば、11カ月or13カ月おきの開催で少しずつずらしていくとか、9カ月おきの開催にして、季節ごとにまわしていくとかというのはどうでしょう? 特に写真分野は、時期を変えていった方がいいような。--Ks aka 98 2007年5月28日 (月) 17:48 (UTC)[返信]
  • 分野わけ再考:学術/非学術
    • これはワタシ一押しの変更点です。Ks aka 98さんへのコメントでも書きましたが、数学とゲーム、経済と社会現象など、どう考えても同列で議論しづらい組み合わせが多すぎると思われます。新経済理論と厚底ブーツの隆盛みたいな社会現象は、やっぱり同列に議論できないと思います。繰り返しになりますがワタシの改定案のコピペ↓
      • コテコテ文科系学術分野
        • 地理、歴史、経済、政治、哲学、宗教、言語、思想、社会学
      • コテコテ理科系学術分野
        • 物理、化学、生物、地学、自然、数学、IT、医学、
      • 非学術分野
        • 社会現象、事件、メディア、芸術、ゲーム、交通、スポーツ、建築、etc
てな感じを現在は考えております。--レイキャビク 2007年5月29日 (火) 10:51 (UTC)[返信]
    • ちょっと細かい話ですが、「工学」をコテ理分野に加えてはどうでしょう。ゲームのグラフィック技術とか、建築の構造・材料とか、電車のメカニックな話とかを適宜「工学」に入れられるので便利です。「人文」「理工」「一般」の三つでもいいかもしれません。--Avenafatua/ごうだまりこ 2007年5月29日 (火) 14:44 (UTC)[返信]
あ、工学は必須ですね。あと今年の分野わけには「心理」があったのですが、これは捉え方によって難しいのであえて外しました。大学でも心理学科を文科系学部に置く大学(主に西日本)と、理科系学部に置く大学(主に東日本)があって、非常に難しいです。--レイキャビク 2007年5月29日 (火) 21:22 (UTC)[返信]

レイキャビクさんの提案された案には大筋では賛成ですが、分野の名称を

  • コテコテ文科系学術分野→人文・社会科学系分野
地理、歴史、経済、政治、哲学、宗教、言語、思想、
  • コテコテ理科系学術分野→自然科学系分野
物理、化学、生物、地学、自然、数学、IT、医学、
  • 非学術分野

としたほうがよろしいかなと思います。また、審査員の負担を減らすために4分野か5分野にして、3分野を審査員に選んでもらうのもいいかもしれません。 たとえば

  • 地理・歴史系分野
  • 倫理・政治経済社会科学系分野
  • 言語、文学、芸術系分野
  • 自然科学系分野
  • 非学術分野

とかです。しかし一方では、境界分野になる記事もあるのであまり細分化しないほうがいいのかもしれません。 Siyajkak 2007年5月29日 (火) 14:58 (UTC)[返信]

あ、そりゃもう名前は適切に変えましょう。そんなふざけた名前を通すつもりはなく、解りやすく説明するための一時的命名です。あと分野はなるべく少ない方がいいとも思うので、3つが限界だと思います。グレーゾーンな記事がでやすいと言う理由が一つ、1カテゴリー当たりの投稿数が減ってしまってコンテストの価値が薄れると言う理由がもう一つ。です。--レイキャビク 2007年5月29日 (火) 21:22 (UTC)[返信]

レイキャビクさんコメントありがとうございます。ごうだまりこさんのご提案も改めて拝読させていただき、「工学」という分野の便利さを感じたこと、やはり、政治、経済分野は社会科学として分類されるので、

  • 人文社会系分野
  • 理工系分野
  • 一般分野

とすればいいかもしれません。Siyajkak 2007年5月30日 (水) 09:04 (UTC)[返信]

  • 運営委員の設置
  • サイズの上限/小粒賞の設置
    • 上限を置くよりは、既に秀逸な記事を書いたり過去のコンテストで上位に入った人とかは参加できない部門と、オープンな部門とに分けるとかのほうがいいかなあ、と。小粒賞は審査員賞で対処できないかなあ。--Ks aka 98 2007年5月28日 (月) 17:48 (UTC)[返信]
    • あ、それなら思い切ってウィキペディアン暦1年以下クラスとか創設してみます?競馬の900万下みたいな感じで。なんにせよ、小さい記事も秀逸であれば評価できる体制づくりは賛成です。--レイキャビク 2007年5月29日 (火) 10:51 (UTC)[返信]
    • 1年以下クラス、いいですね。これは賛成。あまり多くの記事を書いたことのない執筆者がコンテストを機に大きくスキルアップできるので、価値があると思います。小粒賞は、審査員が「小粒でもいいものは評価しよう」という認識を持つことでどうにかなるので、不要かと思います。むしろ「調べ物をしていたらどうしても書かないといけない事項が出てきたけど、小粒賞の規定をオーバーするから、やっぱり書くのやめるか……」ということになって記事の質が犠牲になったら本末転倒です。--Avenafatua/ごうだまりこ 2007年5月29日 (火) 14:44 (UTC)[返信]
  • 加筆コンテスト
    • エントリ開始時のbyte数に制限を置かない、加筆分が20kとかを条件にしてみますか? 百科事典として重要な記事で、ほどほどの分量はあるものの…というのも少なくない気もします。--Ks aka 98 2007年5月28日 (月) 17:48 (UTC)[返信]
    • 一番の問題としては、審査が大変だということでしょうね。加筆前と加筆後を両方読み、改善率を考慮しなければならないという意味で。でも面白いコンテストだと思います。--レイキャビク 2007年5月29日 (火) 10:51 (UTC)[返信]

じゃあ、「一般分野」は、「学際」「文化」「総合」「情報」「メディア」「人間」あたりから三つくらい選んでくっつけて分野名とする、とか…。社会学やカルスタあたりや芸術系もここですかね? 文学は? 境界的なのは、審査員によって分野を変更することがあるとかの注記を付けておく。科学史とかだと、哲学に寄ったり、歴史に寄ったり、とはいえ自然科学の知識も必要、ということになりますが、記事を見て適切なところへ移動、人文社会分野になったら、理工系の審査員や執筆者も積極的にコメントして、そっち側からの評価がわかるようにすること推奨、ってことで。--Ks aka 98 2007年5月30日 (水) 19:52 (UTC)[返信]

社会学は、研究史などから考えても人類学とか歴史、民俗、思想などとの接触部分が大きいので、性格的には典型的な人文科学分野系ですが、数量的、統計的手法を行なう研究者も増え、ひとつのディシプリンとして確立されている現在では社会科学として扱われることがおおいですね。ただ、自分は、「人文社会系」、「理工系」、「一般分野」の内容に極度にこだわっているわけではないので、そのあいまい漠然とした性格から一般分野でもかまわないと思います。Ks aka 98さんのおっしゃるように科学史だけでなく歴史的建造物なんかも境界分野なので人文系の人は、歴史的背景とかデザインに目がいくのですが、工学系の人は設計とか力学とかに目がいくので両方からの評価がわかるのは楽しいと思います。Siyajkak 2007年5月31日 (木) 08:54 (UTC)[返信]


ルール叩き台[編集]

審査員の立候補[編集]

  • 審査員は審査する分野を立候補時に宣言する。エントリ項目の主執筆者・推薦者は、自分がエントリする分野の審査員となることができない。
  • 審査員の数は、分野ごとに最大10人とする。
  • ★審査員は原則として立候補順に選出される。ただし審査員のうち最大5人までは、1)過去の執筆コンテスト入選者 2)秀逸な記事の主執筆者 3)月間新記事賞・月間強化記事賞、および写真分野については今月の一枚に選出された利用者を優先する。
変更点、代替案、提案など[編集]
  • 審査員数は適当に。
  • ★審査員の審査能力について、一定水準を求める声があったので、人数制限をしつつ、資格を設けて優先枠を作ってみました。
  • 審査員を「審査員」と「なんちゃって審査員」で分けるという意見もあり。
    • 審査員立候補が10名を超えた場合は、執筆者が抜けねばならない、全執筆者が抜けたあともさらに候補がある場合は運営者が抜けねばならない、という規定があってもいいと思います。--レイキャビク 2007年5月29日 (火) 10:54 (UTC)[返信]
  • う~んなぜ「エントリ項目の主執筆者・推薦者は、自分がエントリする分野の審査員となることができない。」のでしょうか?むしろ
(1)本人が投稿した分野であっても本人の記事には1票かないしはまったく投票できないように定める一方、ほかの方の記事に多くの得点を投票しなければならないことにすれば、まったく審査には問題ない。
(2)当該分野で記事を投稿したということはその分野が得意ということが推定されるので、記事の質を的確に審査できる。

と思いますが...Siyajkak 2007年5月29日 (火) 14:58 (UTC)[返信]

    • Siyajkakさんの指摘の通り、分野ごと締め出されてしまうのは確かに変ですねぇ。特に(2)の指摘は重要だと思います。単純に、「自分がエントリー(もしくは編集)した記事には投票できない」、って規定があれば、いいように感じます。--Tdk 2007年5月30日 (水) 15:39 (UTC)[返信]
確かにSiyajkakさんの指摘ポイント(2)は的を射ていると思いますが、問題は審査員は審査・投票をするのみならず、コメントもするということです。ライバル記事に対して根も葉もない批判をするようなことはもちろん許されませんが、そのことが逆にマイナス点を指摘しづらくさせ、結果的にコメントもしづらくなるのではないでしょうか。何より審査も執筆も同じ人物というのは、内輪でなぁなぁでやられているような印象をぬぐえないのではないでしょうか?ここは審査の透明性と言う意味においても、やはり分離するのがスジだと思います。--レイキャビク 2007年5月31日 (木) 20:06 (UTC)[返信]
ちょっとずるい言い方をしますが、レイキャビクさんはライバル記事に甘くなったりするんですか?たしかにそういう懸念はもっともだと思います。実は自分も「ぐっ」と言葉に詰まる部分もあります。根も葉もない批判(そこまでいくともう中傷ですよね。)を言うのが許されないけれど甘い評価ならなんとなく許されてしまうというのはわかります。でも自分は執筆コンテストの執筆者の方々を信用したいのです。というのは、今回の執筆記事は前回に比べて非常にレベルアップが感じられ、すこしでもいい記事を書こうという気持ちの伝わる傑作が多かったと思います。そういう気持ちをもってほかの記事をみたり、ほかの記事から学ぼうとしたり、その記事を「味わったとき」においしいと感じるか、つまり知りたいことが過不足なく書かれているか、という態度であれば、おのずから長所や短所が見えてくるものと思います。月間新記事賞の候補記事も続出し激しいデッドヒートを演じたのは記憶に新しいところで、非常に良い効果をもたらしていると思います。
それから、自分は一時期新記事賞を目標にしようと思っていた時期がありましたが、努力しても、自信があっても新しい項目どまりで、一方、鉄道や交通の記事が多くの得票を獲得して新しい項目に選ばれたり、ほかにいい記事があるのにとか自分の記事のほうがいいのにと思っても別の記事が新記事賞に選ばれるようなことを見ていくにつれて、自分が楽しくいいものが書ければいいではないかという気持ちに変わってきました。そうしたら気が楽になりました。また新記事賞で自分の記事に投票するなら、ほかの優れた記事を書いた執筆者の苦労も正当に評価したいし、ほかの方が評価してくれるのだから、自分も純粋にいいものはいいとしたいと思い投票します。
ただ、やっぱり苦労した記事は、評価されたいと思うわけで、執筆コンテストは優秀な記事や優秀な執筆者を選ぶわけですから、やっぱり、特定記事の主執筆者が審査員になる場合は、自負がでてしまうのを避けるために本人が書いた記事には投票できず、他の記事のみに多くの票を投票できるようにすれば、自負が出てくるのを逆手にとって、本人の記事を基準にその記事がいい記事かどうかその質を判断できると思うので、甘い講評やコメントをしてもほかの審査員やコメンテーターに任せればそれほど害はないと思います。どうしても心配であるなら執筆者(推薦者)は全分野にわたって審査員になれないことにしたほうがすっきりすると思います。本来なら自分の記事に対して講評やコメントを受けるわけですからそれへのリプライで精一杯なはずだし、苦手記事にわけのわからないコメントをするよりは、賞で満足せず、その記事の完成度を高めることを考えたほうがよっぽどwikiに貢献すると考えるからです。
それから投票に関してですが、すでに、1次審査において審査員が水準に達しないと判断した場合、1位の記事を選ばないことを提案しましたが、一方で同率2~5位もありと考えています。それが、投票された記事の総合的な評価につながると考えるからです。Siyajkak 2007年6月7日 (木) 17:11 (UTC)[返信]

コメント付けおよび主執筆者への質疑応答期間(10日間)[編集]

  • 執筆者・推薦者は、自分がエントリした分野についてはコメント、質問などに参加できない。
  • それ以外のログイン・ユーザーは、誰でもエントリ項目にコメントを残したり、質問を投げかけたりすることができる。
  • コメントをつけようとする者は、コメンテーターの節に署名し、簡単な自己紹介やコメントする上での視点などを書くことが推奨される。
  • エントリ項目の執筆に参加した者は、できるだけこれに応える。
  • ★期間中、ある分野のエントリ項目の2/3を越える項目にコメントを残したコメンテーターは、審査コメンテーターとして、以後の審査に参加できる。
変更点、代替案、提案など[編集]
  • コンテスト開催期間中随時受付となると、「誰でも」と同等なので、表現を変えました。
  • ★について。コメンテーターとして、気軽に参加したいという人の障害とならないようにしつつ、エントリに間に合わなかったり、審査員数の制限で漏れたりした、優秀な執筆者が精力的にコメントを付けることで、いくらかの差別化を図りながらも審査資格を得れるように考えてみました。
  • コメンテータと審査員の立場の明確化
    • それならもう思い切って、全員が最初はコメンテータ、2/3以上のコメント上梓記録を持って審査員にクラスチェンジ、と言うくらいの方がいいかもしれませんね。気軽な参加者は気軽にコメントして、気軽なりの得点をもち、本気の参加者は本気でコメントして、本気なりの得点をもつ、という感じ。なんにせよコメンテータの存在はとてもいいことだと思うのですが、一方でさほど機能しているコメンテータさんも少なかったというのが正直な感想です。--レイキャビク 2007年5月29日 (火) 11:00 (UTC)[返信]

コメンテーターより」にも書きましたが、ダイジェストで再掲します。審査員さんの負担を減らすために

1.審査員は、1分野につき最低8つの記事について講評しなければならない。エントリーされた記事が8に満たない場合はすべての記事とする。また、審査員の講評が3人未満の記事については、8記事分に追加して調整するものとする。
2.1.の記事の選択は、講評すべき記事の末尾に署名することによって意思表示するものとする。

とします。これは1~4位までの投票を前提としているので、1~3位までの投票ということにして、すべての記事に最低3人の審査員の講評があることを条件に、最低5記事の講評をすることとし、もし、3人未満しか講評されないような記事がないようにする場合に、5以上の記事の講評を義務づけることにすればよいと思います。そうしないと審査員の負担が現実には減りません。ねらいは、審査員の負担をへらしつつ、余裕を持って講評できる条件を整えることで、講評の質を担保したいということです。

それから文字数の制限の話がありましたが、わたしは、wikiは、紙媒体では実現できない類のない優れた百科事典を目標にすべきだと考えていますので、無制限に充実できるというwikiのメリットをつぶすような、記事の文字数やbyte数の制限は本末転倒で絶対に反対です。もちろん、ただ長ければいいというわけではないのはいうまでもありません。Siyajkak 2007年5月29日 (火) 15:21 (UTC)[返信]


レイキャビクさんのご意見を拝読しながら、確かに審査員とコメンテーターの区別があいまいになるなあとあらためて実感しました。おっしゃることはごもっともだし、投稿記事に対して講評、コメントするという行為自体はそっくり同じで審査員だからコメンテーターだからといって講評やコメントの質が変わるわけではないわけです。でも、自分は審査員の講評、投票行為は、コメンテーターとは異なって執筆コンテストの主催者であり、決定権者である義務の面があると思います。ですからそれを自覚して、承知して望める方が立候補してほしいし、最後までやってほしいと思うのです。審査員を1度やって中途半端にした方は、切り捨てるのではなく1回は「みそぎ」(爆)立候補を認めてもいいと思います。もしやる気があるなら必死になると思います。

また、わたしが前レスで審査員の講評、コメントする記事数の下限を設定しているのは、コメンテーターの講評やコメントを参考にして審査にいかせるなら全部の記事に講評、コメントする必要を減らせるとも思ったのです。つまり講評、コメントが審査員の本務ではなく、あくまでも優れた記事を審査で選ぶことから必ず記事本文には目を通すべきなのはいうまでもありませんがコメンテーターの講評やコメントを参考にして審査に生かすのもありかなあ、と思ったのです。審査員にとって苦手記事をコメントする負担もなくなると思います。

コメンテーターのコメントとか票はあくまでもmiya.mさんほか幾人かの利用者の方々(名前を列挙できずすみません。)がおっしゃるように「お祭り」で、コメンテーター票の提案は、1票も投票できないのはさびしいから1票くらいは入れる楽しみがあってもいいかなあ、と思ったのです。1票であってもどの記事に入れるかは読んで判断しなければなりません。審査員はどれかの記事に投票しなければならない義務があるので「コメンテーターより」のsiyajkakの項にも書きましたが点数の配分を重くする提案をしています。コメンテーターの票はあくまでも楽しみで、楽しみに過ぎず義務ではないから1票とか2票とか、投票しないこともありえるということなのです。それにコメンテーターの票がたまたまなんらかの拍子でこれと思った記事に集中するのもお祭りだと思うからです。よっぽどふざけた人でない限り票が集中するのは考えられないし、そのような悪質な行為があった場合にはすべてのコメンテーター票を無効にすることを条件にしておけばそんな無駄なことをするのが意味があるのか正常な人なら考えられるはずであること、多くの利用者に執筆コンテストに関心を持ってもらい参加したという実感と自分の執筆に生かしてほしいと願うことから、コメンテーター票を提案するものです。Siyajkak 2007年5月30日 (水) 09:53 (UTC)[返信]

  • 上に書いた審査員の資格とも関連するんですが、「執筆者・推薦者は、自分がエントリした分野についてはコメント、質問などに参加できない」というのも、なんか変な気がします。あくまでコメントや質問ですし。むしろ、エントリーした分野は執筆者の得意分野にも近いでしょうから、的確なコメントができる可能性があるので奨励されてもいいくらいだと。エントリーしているからといって、他の記事を貶めるような質問をしても恥をかくだけですし、そもそもエントリー云々以前の問題として、そのようなコメントはなされるべきではありませんから…。
で、文字数や容量の上限は現状では設ける必要はないと思います。確かに、大項目主義だとかどうだ、という相違はあるとは思いますが、一応それすらある種自由なのがウィキペディアでしょうし、「でかけりゃいいってもんではない」ということが確認できていれば(あまりにも長い記事は可読性が悪くなりますし)いいんじゃないでしょうか。
審査員とコメンテータの分離ですが、「コメントをメインにする」とすればレイキャビクさんの提案ぐらい思い切ってやってよいように思います。ただ、ひとつだけこの方式で心配なのは、「規定コメント数」に達する人間が極端に少ないか、該当ナシになった場合です。ま、そしたらそれまで、という考え方もあります。
個人的には、その「審査資格の取得」と、「一次審査」の位置づけ、「コメンテータだって投票したい!」という意見を鑑みて、そしてなるべくルールはシンプルな方がいいという感じなので
  1. 一次審査時は、事前登録した全員がコメンテータ。推薦者(執筆者)も質疑応答・コメントができる(むしろ推奨)。
  2. 一次審査の投票は、月間新記事賞のように複数投票+1記事1票でがんがんいく。推薦者は、自分の記事は投票できない。上位5記事が最終審査進出。
  3. コメンテータは一次審査時、当該分野の2/3以上のコメント上梓記録を持って審査資格を得る。
  4. 審査資格を得たコメンテータ(審査員)の投票か合議で分野別の優勝と次点を決める。
思い切って、こんくらいの流れでもいいかもしれません。もちろん、コメンテータから来る審査員のほかに、コンテスト運営などの面から事前登録の審査員がいてもいいかもしれませんが、「審査員」としての仕事は最終審査のみで十分かなと。また、審査資格を得た人物がいないなどの事態があれば、無理に最終審査をする必要もないかもしれません(あくまでコメントと「お祭り」に主眼があるならば、一次審査の投票結果で決定してもよい)。そして、最終審査は、投票でもいいのですが、少人数なら合議という手もあるかなと。「優勝は該当ナシ」みたいな結論でもいいですし、最高裁判事のように「少数意見」(笑)もあってもいいかもしれません…ただ、投票より実は手間がかかるので、合議のリアリティはあまりないんですが。--Tdk 2007年5月30日 (水) 16:23 (UTC)[返信]

レイキャビクさんとTdkさんのご意見を拝読して考え方が変わってきました。

  • 1.審査員立候補枠を先着各5~7名とし、あとはコメンテーターの立候補を一定期間内無制限で受け付ける。
  • 2.審査員は、2/3以上の記事にコメントを上梓しなければ失格する(コメンテーター扱い)。一方、コメンテーターは2/3以上のコメント上梓記録で審査員にクラスチェンジする。
  • 3.1次審査は、審査員複数票、コメンテーター1記事のみ1票のみで投票する。

あとはTdkさんのおっしゃられるようにすすめればいいかなあと思いました。こうすれば、審査員をやる気のある人材が自ずから残るので審査員が決戦投票に参加しない、というようなことが防げると思います。Siyajkak 2007年5月31日 (木) 09:51 (UTC)[返信]

1/2でもいいかもしれません。むやみに無意味なコメントを防ぐ、またコメントしまくらなきゃいけない負担の軽減、コメントそのものが膨大な数になって執筆者がパンクしないように、などなどの理由で。また一次審査はそんな調子でいいとおもいますが、最終審査はどうするか、となるとまた別ですね。ここは審査員資格を得た審査員のみでするのが妥当だと思いますが。--レイキャビク 2007年5月31日 (木) 14:20 (UTC)[返信]

おっしゃるとおりかもしれませんね。コメンテーターから審査員に適任な人材を選抜するのが目的ですから。コメンテーターでいたいなら1/2未満に抑えて(爆)、1/2を超えたら意思確認をしたらいいのかなと思いました。Siyajkak 2007年6月7日 (木) 17:17 (UTC)[返信]


決選投票へのノミネート投票(1週間)[編集]

  • エントリされた項目全体から、分野ごとに審査員は3項目、審査コメンテーターは2項目、当該分野の執筆者は自分が加筆した項目以外の1項目、を推薦することができる。
  • 票が多い順に5位までを決選投票のノミネート項目とする。票数が同じ場合など、5を越える項目がノミネートされることを妨げない。
変更点、代替案、提案など[編集]
  • 個々の審査員が選出する項目数をどうするか、決選投票へのノミネート総数はどうするか。
  • 中立票
  • 審査基準を「絶対評価」として明確化
    • 5項目なら5項目、きちんと推薦することが大事だと思います。5項目分票を持ってるけど、めんどくさいから2つだけ、とかいう審査員が出てこないようにするためです。そのような気分で審査する人は、きっと記事もキチンと読まないでしょうから。ポイント制にするか項目制にするかはまだ議論の余地があると思いますが、ポイント制なら絶対評価をするのはいい考えだと思います。--レイキャビク 2007年5月29日 (火) 11:03 (UTC)[返信]

決選投票(1週間)[編集]

  • ノミネート投票に参加しなかった審査員は審査資格を持たない。
  • 審査員は、分野ごとに3位までを選出する。
  • 点数は、順に1位:8点,2位:5点,3位:3点。
  • ノミネート投票に参加したが、決選投票に来なかった審査員がいた場合、1次審査で投票した項目を1位(8点)、2位以下は無効とする。
  • ノミネート投票の結果は決選投票に加算しない。
  • 最終順位は、投票による点数を集計することによって決定する。
  • 最終順位確定後、1位以外の記事で審査員が個別に審査員賞を付与する。
変更点、代替案、提案など[編集]

全体的な提案の有効性[編集]

    • 私もそう思います。ここは反省会ですので、個人的には「今回はこの点に不満だった、次回はなんとか良くしたい」の議論の場と心得ています。執筆コンテストは日本語版Wikipedia内のローカルイベントで、恒久的な開催が公式に決まっているものではありません。執筆コンテストのあり方についてもいろいろな考え方があるように思います。そこで次回のルールは、次回の参加者が決めていただくべきと考えます。今話し合っているのは「次回はこうしてはいかがですか」の提言と捉えています。Miya.m 2007年6月2日 (土) 11:24 (UTC)[返信]
もちろん次回の事は次回の参加者が決めるべきことでよいですが、ここで積極的に議論している方はおそらく、次回も中心となって参加するでしょうから、次回ルール策定もここでの議論を踏まえたものになっていくだろうと思います。ただもちろん、新規参加委員の方にここのやり取りを押し付けることになってはいかんと思いますが、ある程度のコンセンサス扱いになってしまう可能性は高いかな?--レイキャビク 2007年6月3日 (日) 16:17 (UTC)[返信]
個人的には、Miya.mさんと同じスタンスだと思いますが、ここの記録そのものは一種の参考資料となるかなと考えています。「第参回」で適用されたルールで実際にやってみたらこうした感想・反省が出た、というのはひとつの客観的な事実ですし(その意味で、ここで語られているものは、そもそも「決定事項」と考える性質のものでもない気がします)。「第肆回」に携わる人がどのような人であろうとも、ここでの議論は教訓とか参考としての材料になるはずです。それをある種のコンセンサスとして扱うかどうかを含め、結果として「第肆回」がどんなものになるのかは、改めて次回の参加者が議論すればよいと思います。--Tdk 2007年6月3日 (日) 17:04 (UTC)[返信]

秋の加筆コンクール[編集]

私の提案がある程度、皆さん、賛成の方が多いので、こっちは、第4回コンテストよりも先に、スケジュール的にやってくるので、こっちのほうは、今回参加された方が中心となって、運営委員、審査員、審査方法、審査分野、コメンテーター、審査期間、審査ルールを作成してもいいかもしれませんね。意見があちこち分散しても可読性に問題が生じるので、加筆コンクールに関しては、ここから下に記入していただければ幸いです。--Tantal 2007年6月2日 (土) 22:23 (UTC)[返信]

すいません、その秋の加筆コンクールはどこかで話し合われていたのでしょうか、どうも発見できないのですが。
ルールはWikipedia:月間強化記事賞に準ずる形で良いのでしょうか?分割も可と言うことなら参加出来るかなぁ。らりた 2007年6月3日 (日) 12:22 (UTC)[返信]