Template‐ノート:暴力的

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

なぜ日本のウィキペディアだけが表現に対する検問を行っているのですか?[編集]

ウィキペディアの原則から外れている気がするのですが?--ムッソリーニ 2009年6月5日 (金) 21:29 (UTC)[返信]
ウィキペディアに関しては全くのド素人なので答えになるかも分かりませんし、正しい答えかも分かりませんが、私的意見としてはこのテンプレートは検問を目的として作成されたものではないと思います。
閲覧者が自分の意思に反して暴力的あるいは猟奇的記述を読んでしまい不快な思いになることを事前に予防するための告知として作られたテンプレートだと思います。--114.146.38.47 2009年6月17日 (水) 08:38 (UTC)[返信]

廃止提案[編集]

本テンプレートの廃止を提案します。理由は、
  1. ウィキペディアは検閲をしない方針だが、本テンプレートは検閲に似た効果があり、方針に反している。
    • たとえば暴力的記事を好まない人がいるとして、ふつうのプロレス記事に「暴力的」とのレッテルが貼られていれば、(実際には暴力的ではなくとも)そもそも読まないということになり、そういう人向けには実質検閲も同然である。また、たとえ読むにしても、そのようなレッテル貼りがあれば一定の先入観を持って眺めずにはいられず、検閲類似の効果となってしまう。検閲をしない方針なら、類似の効果のある本テンプレートも使うべきでない。
  2. 対象範囲が明確でない
    • どの記事に免責事項の警告を持たせるべきかを決めるのは困難です(人や文化によって基準に大幅に差異のあるものは線引きが困難です)。いくつかの警告を許容してしまえば、どこで線引きするかの論争によって重大な負担が発生し、編集者からより生産的な作業を奪ってしまうでしょう。
  3. 冗長である
    • 本テンプレートは暴力的と思われる記事すべてという広い範囲で、かつ記事先頭という目立つ位置で、かつ半永久的に告知するものであるが、不要な読者にはただ邪魔であり、そこまで広範な影響を及ぼすに足る必要性はない。(なお、いわゆるお知らせテンプレートは、問題がある記事という限定された範囲でのみ使用され、問題解消後には速やかに除去されるため一時的といえ、これと同列には扱えない)。
なお、Wikipedia:記事に免責事項を載せないも参照してください。--Kurz 2009年12月23日 (水) 11:43 (UTC)[返信]
(反対)なんだかよくわからない理由しか挙げられていないので、とりあえず反対させていただきます。--倫敦橋 (Londonbashi) 2009年12月25日 (金) 23:07 (UTC)[返信]
(コメント)結局議論の場所が再びWikipedia‐ノート:免責事項に戻ってしまっているようですので、とりあえずあちらで結論めいたものがでてくるまでこのご提案については凍結ということでよろしいでしょうか。Kurzさんはおそらくすばらしいご意見をお持ちのようですが、今回の件については少々柔軟性を欠いてしまっているようにも思えます。--倫敦橋 (Londonbashi) 2009年12月29日 (火) 15:45 (UTC)[返信]

この案件については、Wikipedia‐ノート:免責事項#性的および暴力的テンプレートの廃止提案で議論が継続中です。--倫敦橋 (Londonbashi) 2010年1月22日 (金) 17:02 (UTC)[返信]

このテンプレートの目的[編集]

たまたま「経済的虐待」でこのテンプレートが使われているのを見かけたのですが、今の版[1]の一体どこに「暴力的または猟奇的な記述・表現が含まれてい」るのでしょうか? 「Template:暴力的」へリンクしているページ[2]を見ると標準名前空間で200項目ほどがこのテンプレートを使っているそうですが、他にも「ターリバーン」とか、「2012年の中国における反日活動」とか、首を傾げるような使われ方が散見されるのに気付きました。気分を悪くするようなグロい叙述に対して心理的に準備させるのがこのテンプレートの目的ではないでしょうか? 私は「ターリバーン」を読んでも全く平気でしたし、世間一般的にもそうだと思います。ですので、例えばそうですね、「苦痛で泣き叫ぶ被害者の四肢をノコギリで切り落とし、さらに腹を切り裂いて、苦悶にのたうつ様子を楽しみながら血の滴る臓器を引きずり出してむさぼり食った」というレベルの「暴力的または猟奇的な記述・表現」が無いならば、順次テンプレートを剥がしていこうと思うのですが、ご意見ありますでしょうか? --210.170.249.16 2012年11月5日 (月) 03:57 (UTC)[返信]

人肉カプセルは十二分に「猟奇的」だと思いますが、感覚は人それぞれでしょうね。--JapaneseA会話2012年11月12日 (月) 08:19 (UTC)[返信]
210.170.249.16さん、まだ議論もまとまっていないのに、個人的判断で尼崎事件にてテンプレートをはがすのはおやめ下さい。「気分を悪くするようなグロい叙述に対して心理的に準備させるのがこのテンプレートの目的ではないでしょうか?」というのは、個人的な言いがかりとしか思えません。今後尼崎事件にてこのような行為があった場合、管理者伝言板/投稿ブロックに書かせていただきます。--利用者:武王会話 / 投稿記録2012年11月12日 (月) 10:32 (UTC)[返信]
「議論」とは何の議論ですか? このテンプレートの使用目的についての議論ですか? それとも「尼崎事件」にこのテンプレートを貼るかどうかの議論ですか? --210.170.249.16 2012年11月12日 (月) 22:33 (UTC)[返信]
お答え頂けないようですが、私が議論を無視して編集強行した事実は無い、ということでよろしいですね。--210.170.249.16 2012年11月24日 (土) 08:38 (UTC)[返信]
210.170.249.16さんが、ドラム缶女性焼殺事件など残虐な記事を含む数ページで、このテンプレートを除去していたため、Wikipedia:管理者伝言板/投稿ブロック に報告させていただきました。また210.170.249.16さんのコメントにお答えしなかったのは、210.170.249.16さんが11月14日から10日間活動がなかったためです。--利用者:武王会話 / 投稿記録2012年11月29日 (木) 06:42 (UTC)[返信]
インデント戻しました。 2005年の中国における反日活動ターリバーンネグレクト阿部定人間石鹸自爆テロ替え歌については、テンプレートの趣旨とは外れていると思われるので除去しました。しかし、このテンプレートの趣旨を明確にするなり、廃止するなり、何らかの変更は必要だと思います。--Futongrab会話2013年1月18日 (金) 03:57 (UTC)[返信]

解説サブページの改定提案[編集]

このテンプレートの解説サブページである「Template:暴力的/doc」の
暴力的、あるいは猟奇的な記述の存在を警告するテンプレートです。
を、
暴力的、あるいは猟奇的な記述の存在を警告する免責テンプレートです。読者への事前警告が必要なほど過激な暴力的・猟奇的文章表現・メディア(画像など)が掲載されている記事に使用してください。記事が暴力的・猟奇的事象を扱っているというだけでは、このテンプレートを使用する理由になりません。
に変更することを提案します。--210.170.249.16 2012年12月9日 (日) 23:16 (UTC)[返信]
  • 賛成 原則的に、賛成です。濫用は減りましたがTemplate:ネタバレと言うものもありましたし、Template:性的などもあります。が、ウィキペディアは子供の遊び場ではありませんので、余程のことがない限り、事前警告などは不要であると思います。改訂案は「なんでも貼ってしまえ」から「余程の事が有れば貼る事を検討して下さい」になっており、多くの方に妥当と認められるものでしょう。細かい文言はさておき(これは暫く様子を見てアイディアを募りましょう。表示されるものでなくdocmentですので、無理矢理簡潔にする必要もありません)、濫用を抑制すると言う方向性としては大変結構であると思います。しかるべき所でしかるべきことをしかるべく行いましょう。--Hman会話2012年12月10日 (月) 03:27 (UTC)[返信]
  • 報告 僭越かとも思いましたが、このテンプレートの貼付基準について、例え厳密なものでなくとも一定のものを定めるとの、この提案について、コメント依頼を提出して参りました[3]。師走の折なので皆様もお忙しいかもしれませんが、うまくいけば基準の制定に向けて様々な前向きなコメントが寄せられ、合意形成が期待出来ると思います。--Hman会話2012年12月10日 (月) 12:18 (UTC)[返信]
コメント 会話ページにお呼びがかかったので来ました。6年も前のこととはいえ、私のまいた種(Wikipedia:削除依頼/瓶詰の果実参照)が何かと問題に育ってしまったようで申し訳なく思っています。
作成時に想定していたものは、読んだ人がショックを受けるような、きわめて猟奇的な「表現」が克明にされているケースでした。削除版の閲覧権限がある方は、最初に貼り付けたときの記述(相当エグいので注意)をご覧いただくと感覚が掴めるかもしれません。読まずとも、女子高生コンクリート詰め殺人事件が裸足で逃げ出すくらい、といえばある程度伝わるでしょうか。ですのでたとえばターリバーンなどに貼られているのには私は違和感を覚えます。
実のところ今では、猟奇的な「事象」であろうと百科事典的に抑制的な記述を心がければ、このテンプレートが必要な事態には陥らないのでは、テンプレートを廃止しても差し支えないのでは、とすら思っていたりします。抑制的、というのは検閲とかじゃなくて興味を煽るような書き方をしないということで(その意味では三毛別羆事件なんかは百科事典としては臨場的に過ぎるきらいがありますね。好きですが)。
ただ、なんだかんだで6年も運用されてきたわけで、このテンプレートに必要性を感じている人が一定数いらっしゃることも理解できます。ですので、警告としての機能を残しつつ濫用を避けるというこの提案の方向性には賛成します。--cpro会話2012年12月11日 (火) 01:30 (UTC)[返信]
  • コメント あーこの方・・・この分野では最右翼の方ですね・・・。確かにこの記事には、警告が必要とのご意見には、強い説得力があります。なお、文言の方に「できれば猟奇的な表現を慎みこの様なテンプレートが不要になる様に穏当な表現に書き換えて下さい」と書く手もあるところでしょうが、私はこれには反対します。ウィキペディアではとどのつまり、ものごとを、閲覧者にわかりやすく、正確に、必要十分に伝えなければなりません。それが存在意義です。この文言が濫用され、「○○は犯罪組織に拉致され××、××、××、××、などの過酷な拷問を受け、殺された上に死体は東京湾に沈められた」が片っ端から「○○は犯罪組織に拉致され拷問・殺害の上で東京湾に沈められた」に書き換えられる土壌を作ってはまずい(文言は最悪をも想定して作るものです)。その事件や作品に対する基礎知識が全く無い読者が得られる理解が余りにも異なることは明らかです。その事件や作品がどれほど残虐であったかについても、説明が必要です。必要であれば、必要なことは書くべきです。そしてテンプレートの使用自体は、その猟奇性の程度によって慎重に検討されるべきで、これも決して濫用されるべきではありません。・・・と思うのですが、如何でしょう。--Hman会話2012年12月11日 (火) 05:47 (UTC)[返信]
  • コメント wikipediaは子供の遊び場ではないかも知れませんが、子供も閲覧するものです。作成・使用の発端の作品については作品そのものも記事も閲覧したことがあります。題材や表現が猟奇すぎるので削除されたわけではありませんが、確かに特筆性で問題がありました。Hmanさんの意見をついでですが、テンプレートそのものは検閲と違って添付されることで閲覧に何らかの制限が強制されるわけではなく、むしろ210.170.249.16さんが関連議論で持ちだした「言葉狩り」を避けるためのものであって、文言の最悪が想定された場合にも閲覧選択に対応できる免責・警告として使用されるものと理解しています。つまりこのテンプレートは、記事としての成立するための問題があって、改善を要求すすために添付され、改善されれば除去される{{出典の明記}}{{特筆性}}等とは違い、記事内の文言や解説の精度が変更される度に添付したり除去されたりする性質のものではない、と考えます。つまり「文言の最悪」を想定した場合にも対応できる題材、それも主題として扱った記事に限定するという方向での使用で良いのではないでしょうか。
210.170.249.16さんの主張されるような、人によって感受性の違いがでる表現の過激さというような曖昧なものを基準にすることは現実的ではないように思いますし、例えば文言や表現を基準にした場合、フィクション作品などでは、実際には社会的に検閲がかけられないレベルの内容であっても、設定説明などで基準の文言や表現にした記事に添付されるような逆転した事態が生じることもなりかねません。
ターリバーンなどは主題に関してはCproさんのご指摘のとおり、違和感がありますが、例えば将来的に「ターリバーンが国際公的機関から警告・糾弾・審問された残虐行為」といった節が作成された場合、節対応できるようにするような選択もありえると思います。--ジャムリン会話2012年12月11日 (火) 07:15 (UTC)[返信]
  • コメント 題材に応じて貼り付けの可否を決める場合も、評価の個人差という問題からは逃げられないと思います。作品なり主題の受け止め方は、人それぞれではないでしょうか。仮に予防的にこのテンプレートをつけるとしても、いつ、どの程度ショッキングな加筆がされるか事前に予測するのは不可能であり、場合によっては「読まされ損」の警告文を何年も読者に読ませることになりかねないと思われます。猟奇的表現の存在に気づいたらテンプレートをつける、無くなったら外す、という具合にあくまで現状を基準にするのが、記事を読む側にも警告の意味を理解されやすいのでは。--210.170.249.16 2012年12月15日 (土) 05:48 (UTC)[返信]
外す付けるが個人基準として、個別議論で合意形成するのであれば今でもやっていることで、現行で構わないと思います。表現基準は題材基準以上の曖昧さで、提議された210.170.249.16さんからして表現の基準とやらの提案が無いので、問題以前の話ではありますが。--ジャムリン会話2012年12月15日 (土) 08:02 (UTC)[返信]
今一度申し上げますが、濫用される危険性を少しでも減らす意味でも(これは私と210.170.249.16さんだけでなくcproさんもご指摘です)、私は210.170.249.16さんの改訂案に原則的に賛成です。変更しても尚曖昧かもしれませんが、変更前は曖昧どころの話ではないのですから、圧倒的に、前進はしているのです。よりベストな文言は将来の宿題としても、取り敢えず、一歩前進させることにしましょう。--Hman会話2012年12月15日 (土) 08:20 (UTC)[返信]
 今、曖昧でも基準たる基準が示されていない状態です。濫用が収まってきたことはcproさんもご指摘で、私としても濫用されても良いとは、ただの一言も言っていませんし、題材でも暴力的・猟奇的主題に限定してはどうかと提案したわけですが。--ジャムリン会話) 2012年12月15日 (土) 11:57 (UTC)取り消し線使用の修正--ジャムリン会話2012年12月17日 (月) 05:36 (UTC)[返信]
少々妙なことを申し上げてしまいました様で、すいません。実は私は上で提案されております210.170.249.16さんの案が、かなりしっくりきているのです。かなり明確だとも思います。これ以上明確化するのは困難なのかな、と言うほど。もしかしてこの辺り、私一人がズレていたりするのでしょうか?--Hman会話2012年12月15日 (土) 12:32 (UTC)[返信]
 基準を以って濫用をさけるという主旨には私も賛成するところですが、残虐な記述の基準が不明確で、こういうところだろうか?というラインは自分なりに検討を付けましたが、210.170.249.16さんのテンプレートの除去した記事を並べてみると、不明瞭であると言わざるを得ません。--ジャムリン会話2012年12月15日 (土) 18:06 (UTC)[返信]
最後は主観ですから、完璧な文書はそりゃ無理です。しかしながらさし当たり、「読者への事前警告が必要なほど過激な暴力的・猟奇的文章表現・メディア(画像など)が掲載されている記事に使用」より的確な文章が、思い浮かびません。妙案がございましたら是非、ご提案下さい。思いつきレベルでも結構です。案外、知恵を出し合えばまとまっていくものかもしれません。--Hman会話2012年12月15日 (土) 18:13 (UTC)[返信]
「閲覧者への事前警告が適当なレベルの過激な暴力的・猟奇的文章表現・メディア(画像など)が掲載、または主題として扱われている記事に使用」を提案します。--ジャムリン会話2012年12月15日 (土) 18:31 (UTC)[返信]
話を戻すようで申し訳ないのですが、暴力的・猟奇的主題が扱われていることを記事冒頭で知らせることに意味はあるのでしょうか? その「警告」により読者はどのような害やデメリットから守られますか? --210.170.249.16 2012年12月17日 (月) 03:42 (UTC)[返信]
(ジャムリンさん2012年12月15日 (土) 11:57 (UTC)へ)ええとすみません、私は「濫用が収まってきた」とは一言も申し上げていないんですがどこから出てきたんでしょう……。--cpro会話2012年12月17日 (月) 04:19 (UTC)[返信]
cproさん申し訳ありません。私の勘違いでした。お詫びしていたします。そして該当部分を取り消します。
ある利用者の方が猟奇的主題の記事を、最悪の文言での編集に変更がされた場合に、そのような編集とテンプレートの掲示が必ずしもセットになっていない現状で、猟奇的主題かどうか、了解せずにNETで調べ物をして、まずwikipediaに行き当たるという事態は、今の検索の上位具合からして容易に想定できるものと思いますが、そこで警告や免責にメリットがないとでもお思いなのでしょうか? 主題である記事に限れば、記事項目の一部に残虐なことも含まれるからという理由で、猟奇的表現がなされていない状態である場合などに濫用される事態は避けられると思います。--ジャムリン会話) 2012年12月17日 (月) 04:59 (UTC)修正--ジャムリン会話2012年12月17日 (月) 05:36 (UTC)[返信]
予防的にテンプレートを貼り付けた場合、それが「読まされ損」の警告として長期間残るかもしれないという話を上でしましたが、この点については如何でしょうか。「警告があるけどそれらしい描写はないよ?」という読者に対して「いや、そういう加筆があるかもしれないのです。何年先か分かりませんが。」もないのでは…。警告対象があっての警告文だと思います。--210.170.249.16 2012年12月17日 (月) 08:50 (UTC)[返信]
ジャムリンさんの新たなご提案は、基準のひとつに、「極端に暴力的・猟奇的な主題を扱った記事」には貼付すると言うものでございますか。ですが・・・確かにこれは予防的に使われ、210.170.249.16さんの仰る通り、「杞憂」に終わる場合もあります。ただし反面、「予防」も予防で効果もあるかもしれません。分別有る大人であれば誰も信じるはずもない似非医療記事にTemplate:Medicalが貼られる場合もあることも事実です。確かに「暴力的・猟奇的な主題を扱った記事」には、極端に暴力的・猟奇的な表現或いは事実やメディアが混入する可能性が高い、と言う事は言えるのですから。例えばです。「○○県人肉肉まん猟奇殺人事件」と言う事件が発生したとします。現時点では報道された事実を淡々と列挙しただけで、積極的に貼付するには値しません。ここで我々は、予防的に念のため現時点では過度かもしれない警告を貼付しておくべきでしょうか。それとも実際に過度に暴力・猟奇的な表現の加筆が確認され、かつそれが妥当である場合(取り除かれることももちろんあるわけで)を確認してから貼り付けるべきでしょうか。--Hman会話2012年12月17日 (月) 09:18 (UTC)[返信]
インデント戻します)210.170.249.16ドリーム・トレイン・インターネットIPさんのコメントですが、「読まされ損」について明瞭にしておきたいのですが、「読まされ損」とはこのテンプレートがあるから読まずにいたけど、テンプレートを受諾して読まなかったことに対する「この内容であれば読んでも構わなかったのに」という未読に対する損でしょうか?それともテンプレートによって期待した猟奇的好奇心が充たされなかったことによる失望のことでしょうか?後者であれば、ここで問題にされていることは免責と、それに付随する警告ですから問題が違うと思いますし、前者であれば個人の選択の余地を残せる正に「免責」の意味があると思います。
捜査や裁判やその信頼しうる報道、事件総括が未了な刑事事件の場合は、立項や存続そのものも問題になる事例が昨今のwikipediaでは多いわけですが、Hmanさんのあげられた例ですと、その名称での立項が妥当であると確認され、存続合意がなされているような事件であれば、貼付しても良いかと思われます。結果、その名称に値する内容が事件そのものになかった場合は、報道で定着しきっている場合でもなければ記事名称変更になるでしょうし、除去という形で良いのではないでしょうか。--ジャムリン会話2012年12月17日 (月) 09:55 (UTC)[返信]
「読まされ損」とは「読むまでもなかった警告」のことです。富士山の山頂に「高潮注意」の看板を立てるのは無意味です。高潮は来ないのだから、その看板はただ邪魔なだけです。同じく、猟奇的な描写が無いにも関わらず「猟奇的な描写に注意」と警告されたら、「それらしい描写はないのに、何でわざわざ警告を読まされたんだ?」という疑問は当然出てくるでしょう。(少なくとも私には疑問であり、実際こうして問題提起しているわけです。)で、それへの返し方として「いや、そういう加筆があるかもしれないのです。何年先か分かりませんが。」という一例を上で出しましたが、実際のところジャムリンさんもこの「何でわざわざ」にそう返すおつもりですか? --210.170.249.16 2012年12月17日 (月) 23:31 (UTC)[返信]
猟奇的主題記事には「高潮(猟奇的記述)」が来る可能性は大変に高いので「注意報」は必要ということになりますね。「主題」とあれば「記述」が読んだ時点になくても、この記事はそういう事項に対しての解説記事ということには間違いがないのですから。「三毛別羆事件」のように暴力的臨場感のある記事のテンプレートまで除去された210.170.249.16ドリーム・トレイン・インターネットIPさんのように、「個人的感覚」というものに大いなる疑問を差し挟まぜるを得ない実例を間近に見ましたので、主題まで含めた方が良いと思ったわけです。--ジャムリン会話2012年12月18日 (火) 05:00 (UTC)[返信]
そう言った意味ではむしろ「一見して猟奇的とわかるタイトルなら不要」かもしれませんね。猟奇的でないところに級に、過度に、警告が必要なほど猟奇的なものが来るケースがまずい。まあ、濫用がいけない点、濫用がなされない様になんらかの但し書きは必要だと言う点では合意に至っている様で、あとは「主題が猟奇的かというだけで判断すべきか」の部分ですか。・・・まあ、本当は、無くてもいいのかもしれませんけどね。冒頭の何行かで、適切に主題が説明されているなら、後の予想は付きますから。ただし必ずしも適切な冒頭部が配された記事ばかりでないからまたややこしいと言う。--Hman会話2012年12月18日 (火) 12:52 (UTC)[返信]
「主題が猟奇的かどうか」という判断自体、主観的評価を免れないと先日も申しました。「作品なり主題の受け止め方は、人それぞれ」です。そして、仮に主題の猟奇性をテンプレートの貼り付け基準に含めたとしても、それで描写の猟奇性を評価せずに済むことにはなりません。つまりジャムリンさんの案は、1つだった問題を単に、2つに増やしているだけです。また「a + b > a」(a, b > 0)は「a > b」だろうと「a < b」だろうと成り立ちます。従って「表現基準 (a) と主題基準 (b) のどちらが優れているだろうか?」と論じるのは問題の捉えかたとして誤っており、ここで論点となるのは「主題基準を加えることのメリット・デメリットはどちらが大きいだろうか?」です。メリットとして、予防的効果をジャムリンさんは挙げられました。一方デメリットとして、「読まされ損」を私は挙げました。で、繰り返しで申し訳ないのですが、敢えて伺います。「それらしい猟奇描写はないのに、何でわざわざ警告を読まされたんだ?」と読者から会話ページで突っ込まれたら、ジャムリンさんはどう答えますか? この案件の根源となる質問です。--210.170.249.16 2012年12月19日 (水) 03:48 (UTC)[返信]
「猟奇的主題」だからです、と答えます。前にも言いましたが、あとは個人としての選択でしかありませんし、警告面にばかり気になっているご様子ですが、元々は「免責」テンプレートであることをお忘れなく。「主題が猟奇的かどうか」は「個人的感覚」よりは明瞭であることがメリットであると思います。既に210.170.249.16ドリーム・トレイン・インターネットIPさんのテンプレート除去過程でご自分で証明されております。「個人的感覚としては『過激』に猟奇的描写はないかも知れないが、猟奇的な主題」の方が明確でしょう。--ジャムリン会話2012年12月19日 (水) 03:57 (UTC)[返信]
「猟奇的主題」だから、ですか。しかしテンプレートは「猟奇的表現」を警告しているのです。記事に猟奇的表現が無いならば、猟奇的表現に注意する必要は無いのに、読者は何故その不必要な警告をわざわざ読まねばならなかったのでしょうか? --210.170.249.16 2012年12月19日 (水) 09:09 (UTC)[返信]
なるほど、「暴力的、あるいは猟奇的な記述の存在を警告する」テンプレートとされている内は、210.170.249.16さんの仰ることはごもっともです。ですが、この部分は必ずしも固定したものではありません。「暴力的、あるいは猟奇的な記述の存在を警告するテンプレートであり、また主題が誰の目にも明らかに過度に暴力的・猟奇的である場合にも予防的に使用できる場合もあります」と変更できる可能性も、あります。ですが色々考えましたが、私としては、予防的な貼付にはどうも、賛成できない感じです(個人的に各種テンプレートの濫用に辟易していると言う部分もあるのかもしれません)。原則的には、実際に警告が必要なほど猟奇的・暴力的な表現・メディアが確認された時点で貼付するか、貼付を検討すべきと思います。濫用していては読まされ損以前に、議論損になりかねません。明らかに存在が確認された後であれば、議論する値打ちもあるでしょう。ただし方針は文言の揚げ足取りで運用すべきであり、その精神を尊重して運用すべきであることは申し上げるまでもありません。先日私の申し上げました「○○県人肉ミンチカツ殺人事件」などでは、ある程度・若干フライング気味で貼付なされることも当然あり得、またもちろん210.170.249.16さんが機械的にこれを剥がして回られる様なことも発生しないと考えますが、如何でしょう。なんでしたら、但し書きを加えることもできるのです。「ただし発生した直後の事件・事故などにおいて、その主題の性質上、どうしても警告が必要なほど過度に暴力的・あるいは猟奇的な表現またはメディア等が実際に掲載される可能性が強く想定される時は、予防的に貼付される場合があります。」・・・と。もちろん不要になれば剥がされることは申し上げるまでもありません。--Hman会話2012年12月19日 (水) 09:44 (UTC)[返信]
確認された時点ですと、先にも指摘がありましたように「猟奇的・暴力的な表現・メディア」を変更してテンプレートを除去するという、検閲を避けるためにもある免責のはずが、事実上の検閲的行為を招く恐れもありますが、これもまた予防になってしまうのでしょうか。あと細かいところでは「過激」という文言はテンプレート文としては、やや軽薄にも思いますのでHmanさんの「過度」が相応しいと思います。--ジャムリン会話2012年12月19日 (水) 14:43 (UTC)[返信]
そういうケースですと、ノートでの対話で解決する問題で有ると思いますよ。検閲しようとする利用者が現れたら貼り込む方向で舵を取ることになるんでしょう。限られた分量の文章で何から何までのケースにまで対応はしきれませんから、ある程度幅を持たせた想像を行わねばなりません。強く予想されるケースでしたら、先刻申し上げました通り、フライングで貼り付けても許される場合は多い、っていうことになるんでしょうし。「過激」より「過度」の方が、公式文章らしい、確かにそうですね。--Hman会話2012年12月19日 (水) 14:55 (UTC)[返信]

提案 「猟奇的な主題」も含めるかどうかについてはまだ合意が得られていませんが(そして当面得られる気もしませんが)、現状で合意が得られている部分、すなわち

このテンプレートは暴力的、あるいは猟奇的な記述の存在を警告する免責テンプレートです。読者への事前警告が必要なほど過度な暴力的・猟奇的文章表現・メディア(画像など)が掲載されている記事に使用してください。

に、一旦更改しませんか。この段階で既に、現状よりは優れていると思います。まずは、一歩です。この後に現案通り「記事が暴力的・猟奇的事象を扱っているというだけでは、このテンプレートを使用する理由になりません。」とするのか、例えば「記事の主題が誰が見ても明らかに過度に暴力的、猟奇的な場合、このテンプレートが予防的に貼付される場合もあります。この場合、やはり不要であったと判明すればその時点でこのテンプレートは剥離してください」などと加えるべきかどうかは、今後またコメント依頼からお越し頂ける方もいらっしゃるかもしれませんし、ゆっくり考えてみませんか。もちろんこれはジャムリン氏に「多数決なら2対1だからいい加減に納得しろ」と迫っている訳ではありません。ウィキペディアの議論は比較的のんびり行われるものですから、最終的な結論は、先延ばしでいいと思います。取り敢えず、合意の得られている部分まで如何ですか、との提案です。なお、「このテンプレートは」は独断で付けてみました。私からの提案です。いかがでしょう。細かいところで改良の余地がございましたら、お申し付け下さい。--Hman会話2013年1月8日 (火) 18:34 (UTC)[返信]

Hmanさんご提案の「このテンプレートは暴力的、あるいは猟奇的な記述の存在を警告する免責テンプレートです。読者への事前警告が必要なほど過度な暴力的・猟奇的文章表現・メディア(画像など)が掲載されている記事に使用してください。」までの文面訂正に、一応同意します。--ジャムリン会話2013年1月9日 (水) 04:13 (UTC)[返信]
{{性的}}廃止のコメント依頼を出した際に、この議論を知りました。いわゆる「ショッキングな」記事に限定して読者様に警告するという、大筋の合意に私も賛同します。文言についてはIP殿案でよいとは思いますが、議論の一区切りとしてHman殿の案で更新してよいと思います。--伏儀会話2013年1月12日 (土) 05:22 (UTC)[返信]

関連する議論[編集]

他にもあったら追加してください。--210.170.249.16 2012年12月9日 (日) 23:16 (UTC)[返信]
これほど多くのページを作るなんて、210.170.249.16さんは一体何者ですか?何が目的なのですか?(失礼ですが、私は210.170.249.16さんはブロックされたアカウントのブロック破りに見えます)それと私は暴力テンプレートをはがすのは反対です。--利用者:武王会話 / 投稿記録2012年12月10日 (月) 09:44 (UTC)[返信]
「これほど多くのページ」が何を指すのかよく分からないのですが…。また、私はブロック破りではありません。ともあれ、単に「反対」ではなく、上のセクションで私が出した文案を踏まえてコメントして頂けると議論が進むと思います。このテンプレートの使い方について、武王さんと私の認識の隔たりを順に埋めていきましょう。--210.170.249.16 2012年12月10日 (月) 10:26 (UTC)[返信]
意見を述べるだけなら自由ですが、議論と関係ない話は慎んでください。--Bbcs会話2013年1月8日 (火) 10:22 (UTC)[返信]

Template:性的 の廃止議論[編集]

Template:性的の廃止を同ノートにて議論中です。ちょっと「関連する議論」と言えるのか自信がないのですが、一応こちらでもお知らせしておきます。--伏儀会話2013年1月12日 (土) 05:26 (UTC)[返信]

画像について[編集]

死体が映る画像がある記事にこれをつけるべきですか? 有り得るれば会話2022年3月27日 (日) 07:00 (UTC)[返信]