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キンブリ・テウトニ戦争の勝者ガイウス・マリウス1863年

紀元前509年、ローマ王タルクィニウス・スペルブスの追放によって共和政ローマが成立し、王の権能ケントゥリア民会によって選出される一年任期の2人の執政官に受け継がれることになった。しかしこの執政官職や、国政のほぼ全てに関わる鳥卜権パトリキ(貴族)が独占していたため、プレプス(平民)と度々衝突することになる。

プレプスは護民官の設置、十二表法の成立、プレプスのみで開催されるプレブス民会や、執政官の代わりに平民でも就任可能なトリブヌス・ミリトゥム・コンスラリ・ポテスタテ(執政武官)職の設置などを長い闘争を経てを勝ち取り、紀元前367年リキニウス・セクスティウス法によって執政官職、紀元前300年オグルニウス法によって神官職への就任を認められるようになった。

こうして法的にパトリキと同様の地位を勝ち取ったプレプスからは、マニウス・クリウス・デンタトゥスのような英雄も現れ、第二次ポエニ戦争期にはガイウス・フラミニウスガイウス・テレンティウス・ウァロのような敗将も生まれたが、力をつけていった氏族は、徐々に体制に取り込まれていき、プレプスの権利を守るために創設された護民官の性格も変わっていく。執政官を出した氏族は、パトリキとプレプスを合わせて「名を知られたものたち」という意味のノビレスと呼ばれるようになり、共和政の後期にはノビレス同士に加え、主に地方出身のノウス・ホモ(新人)との生き残りをかけた熾烈な選挙戦を展開するようになる……続きを読む