Portal:アフリカ/特集記事

今月の人物記事[編集]

フランク・チパスラ(Frank M. Chipasula、1949年10月16日 - )は、マラウイ人の作家編集者、大学教員である。チパスラは1949年にマラウイに生まれた。当初、マラウイ大学のチャンセラー・カレッジに学んでいたが、1973年にヘイスティングズ・カムズ・バンダ政権によって亡命を余儀なくされ、タンザニアを経てザンビアに移住。1976年にザンビア大学から文学士の学位を受けた。……




今月の文化記事[編集]

カスビのブガンダ歴代国王の墓(カスビのブガンダれきだいこくおうのはか)は、ウガンダカンパラ県内にあるユネスコ世界遺産登録物件。19世紀後半以降のブガンダ王国の歴代国王4人が葬られている墓所を中心としている。この墓所は、ガンダ族にとっての伝統的な拠り所となっている。19世紀半ばにブガンダ王国の王(カバカ、Kabaka)であったムテサ1世 (Mutesa I) は、1882年に現在のウガンダの首都カンパラの北西3kmに位置するカスビの丘に、木、レンガ、ヨシなどで造営された茅葺屋根の宮殿を建てた。2年後に彼が歿すると、宮殿はそのまま彼の墓所となった。……

今月の歴史記事[編集]

ルワンダ紛争(ルワンダふんそう)は、アフリカ中央部にあるルワンダにおいて、1990年から1993年にかけ、フツ系の政府軍及びインテラハムウェと、ツチ系のルワンダ愛国戦線 (英語:Rwandan Patriotic Front,RPF、仏語:Front Patriotique Ewandais,FPR)との間で行われた武力衝突・ルワンダ内戦と、和平協定後も続いたツチとフツ等の対立、虐殺を指す場合もある。ルワンダは第一次世界大戦まではドイツ、第一次世界大戦以降はベルギー植民地であった。植民地下では、少数派であるツチを君主及び首長等の支配層とする間接支配体制が築かれ、多数派のフツとごく少数のトゥワは差別的な扱いを受けていた。こうしたなかで、1962年の独立の前にツチとベルギー当局との関係が悪化し、ベルギー当局は国連からの関係改善の勧告を無視して社会革命としてフツによる体制転覆を支援した。この結果、ツチは報復を恐れて近隣諸国、特にウガンダに脱出した。……

今月の地理記事[編集]

アスワン・ハイ・ダム (アラビア語: سد أسوان العاليsadd ’aswān al-‘ālī, 英語: Aswan High Dam)は、エジプトの南部、アスワン地区のナイル川に作られたダム。アスワンダムは2つあるが、現在ではアスワンダムと言うとアスワン・ハイ・ダムを指すことが多い。古いアスワンダムは、アスワン・ロウ・ダムとも呼ばれる。1901年に完成し、以降数度にわたって拡張された。アスワン・ハイ・ダムは、アスワン・ダムの6.4km上流に建設され、1970年に完成した。建設目的は、ナイル川の氾濫防止と灌漑用水の確保であるが、ロウ・ダムだけでは力不足であったために、当時のエジプトのナセル大統領がソ連の支援を受けてアスワン・ハイ・ダムを国家的事業として計画を立てた。高さ111m、全長3,600mの巨大ロックフィルダムである。……

今月の経済記事[編集]

ロイヤル・エア・モロッコ(Royal Air Maroc, アラビア語: الخطوط الملكية المغربية‎)はモロッコ航空会社1957年に創業。以後、モロッコのいわゆる「フラッグ・キャリア」である。カサブランカムハンマド5世国際空港がハブ空港。アラブ航空会社機構(Arab Air Carriers Organization)の一員。ロイヤル・エア・モロッコ・ホールディング社傘下に、アトラス・ブルー(Atlas Blue)、アトラス・カーゴ(Atlas Cargo)がある。かつてはセネガル国際航空(Air Senegal International)も有ったが、2009年4月に運航を停止した。……




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