勝守すみ

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勝守 すみ(かつもり すみ、1916年4月16日[1] - 1982年3月17日[2])は、日本歴史学者。専門は日本中世史。

経歴

富山県富山市生まれ。富山県立富山高等女学校[3]を経て、1937年奈良女子高等師範学校文科を卒業[3][4]し、金蘭会高等女学校教諭[3]1938年に富山市立富山高等女学校教諭となる。1942年東京文理科大学史学科卒業[5]1943年群馬師範学校助教授を経て、1946年同校教授1951年群馬大学学芸学部講師となり、1953年助教授、1972年に同大学教育学部教授[1]

勤務地である群馬県の地域史研究に務め、関東長尾氏太田道灌の研究を進めた。

脚注

参考資料

  • 杉山博「勝守すみ氏を偲んで―弔辞より」『歴史手帖』第10巻第5号、名著出版、1982年、56-58頁、NCID AN00338842 
  • 群馬大学附属図書館 編『勝守すみ文庫目録 : 群馬大学附属図書館所蔵』群馬大学附属図書館〈群馬大学附属図書館所蔵資料シリーズ〉、1985年。全国書誌番号:85062351