シリア正教会

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シリア正教会の聖職者達

シリア正教会(シリアせいきょうかい、英語: Syriac Orthodox Church[1])は、東方諸教会あるいはオリエンタル・オーソドックス教会[2][3]に分類されるキリスト教教派の一つ。6世紀シリアで成立した[1]。その後シリア、メソポタミアを中心に発展した。インドには庇護下に置く教区・教会組織がある。現在では海外への移民を通じ、欧米にも教会がある。

シリア正教会が正式名称であるが、ヤコブ教会またはヤコブ派とも呼ばれる[1]

キリスト単性説派の教会であるが[1][4]、シリア正教会自身は単性説派の教会と見なされる事を拒否している。451年カルケドン公会議キリスト論を受け入れず、キリスト教のいわゆる正統派から分離した教会である[3]から、キリスト単性説派の教会と呼ぶより非カルケドン派教会と呼ぶほうが中立的である。

呼称

シリア正教会の祭日風景。20世紀初頭、イラク北部:モースルの修道院にて。

シリア正教会はヤコブ教会またはヤコブ派とも呼ばれる[1]。この名称は6世紀エデッサの主教ヤコブ・バラダイオス英語版に由来し[5]第2ニカイア公会議で最初に公式に用いられて[1]以来、カルケドン派キリスト教を国教とする東ローマ帝国内で用いられるようになった。しかしヤコブ派という呼称は、「シリア正教会の教説はヤコブ・バラダイオスがはじめた説であり、シリア正教会は正統教会からみた異端派」という意味合いをもつため、シリア正教会はヤコブ・バラダイオスの果たした役割を高く評価する一方、彼を創始者とする見方を拒否しキリスト教の正統である初代教会からの連続性を主張するため、この名称を不当であるとしている。

概要

トルコ南東・マルディン県にあるシリア正教会の聖ガブリエル修道院
聖ガブリエル修道院の内部

451年カルケドン公会議単性論異端とされた後、かつての五大総主教座のひとつであるアンティオキア総主教座において単性論とされる主張を保持する一派が、東ローマ帝国の国教であるカルケドン派キリスト教の教会であるメルキト教会英語版[6]から分離して設立したキリスト教会である。但しシリア正教会側はこの時から続く自説を単性論とは見なしておらず、単性論の名称をエウテュケス英語版の説に帰し、単性論教会と呼ばれることを拒否している。

ニカイア信条ニカイア・コンスタンティノポリス信条を告白する。

シリア正教会の名目上の総主教座はアンティオキアにあるが、現在の実際の所在地はダマスカスである。しかし総主教庁の名義はアンティオキア総主教庁であり、カルケドン派である東方正教会アンティオキア総主教庁と現代にいたるまで並立する状態になっている。

教義を共有する同じく非カルケドン派であるコプト正教会アルメニア使徒教会エチオピア正教会などとはフル・コミュニオンの関係にある。現在は、東方正教会のアンティオキア総主教庁やローマ・カトリックともエキュメニズムに基づく対話を進めている。

脚注

  1. ^ a b c d e f 「シリア正教会」(「ヤコブ教会」への「見よ項目」 )、久松英二「ヤコブ教会」『新カトリック大事典研究社Online Dictionary、KOD、2020年3月23日閲覧。
  2. ^ Syrian Orthodox Church, The Oxford Dictionary of the Christian Church, Oxford University Press, 2005, 2020年3月23日閲覧。
  3. ^ a b 「シリア正教会」『オックスフォードキリスト教辞典』E. A. リヴィングストン編、木寺廉太訳、教文館、2017年、414-415頁、ISBN 978-4764240414
  4. ^ 大森正樹「シリア正教会」『岩波キリスト教辞典岩波書店、2002年、576頁、ISBN 9784000802024
  5. ^ ヤコブ・バラダイオス - 世界大百科事典 第2版、平凡社コトバンク、2020年3月23日閲覧。
  6. ^ 「メルキト」は「皇帝派」という意味。この皇帝とはカルケドン信条を擁護した東ローマ帝国皇帝のことで、「メルキト」は元々非カルケドン派による蔑称である(石井祥裕「メルキト教会」、久松英二「ヤコブ教会」『新カトリック大事典』研究社Online Dictionary、KOD、2020年3月24日閲覧)。

関連項目

外部リンク