ウイリアム・ハーベー
ウイリアム・ハーベー(William Harvey [ˈhɑːvi]、1578年4月1日 - 1657年6月3日)は、イングランドの解剖学者、医師。苗字はハーベイ、ハーヴィー、ハーヴェーとも表記される。血液循環説を唱えた。
生涯
ケンブリッジ大学に学んだのち、イタリアのパドヴァ大学で解剖学者ファブリキウスに師事して医学の学位を取得する。イギリスに帰国後、名医としての評判を確立し、1618年、当時のステュアート朝の国王であったジェームズ1世の侍医となる。ジェームズ1世の死後は、後に清教徒革命(イングランド内戦)で処刑されるチャールズ1世に仕えた。1645年からオックスフォード大学マートン・カレッジの学長 (Warden) を務めた(1648年まで)
1628年、血液循環説を発表した。これは、激しい反論を呼んだ。特に、アリストテレスの説を信じる学者からの否定意見が多かった。
1642年に勃発した清教徒革命に際し、ハーヴェーはステュアート朝(王党派)を支持した。そのため、王党派の敗北が決定的になるとロンドン郊外に退いた。
反論への再反論は、1649年に冊子の形で行なった。
ハーベーは発生学でも大きな足跡を残した。彼はシカの交尾前後からの発生の段階を観察し、アリストテレスの『胎児は月経血から生じる』という説を否定した。哺乳類の卵を発見することはできなかったが、他の動物との比較からその存在を確信し、「すべては卵から」との言葉を残した。
日本語訳著作
- 『血液循環の原理』ハァヴェイ 暉峻義等訳 岩波文庫 1936年
- 『動物の心臓ならびに血液の運動に関する解剖学的研究』ハーヴェイ 暉峻義等訳 岩波文庫 1961年
- 『心臓の動きと血液の流れ』ウィリアム・ハーヴィ 岩間吉也訳 講談社学術文庫 2005年
伝記
関連項目
- 解剖学
- 血液循環説
- ハーバード・クラシクス - 第38巻に血液循環説が収められる。