太田公秀
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太田 公秀 | |
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生誕 |
1899年2月10日 日本 東京府 |
死没 | 1987年3月19日(88歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1920年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
太田 公秀(おおた ただひで[1]、1899年(明治32年)2月10日[2] - 1987年(昭和62年)3月19日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[1]
経歴
[編集]1899年(明治32年)に東京府で生まれた[2]。陸軍士官学校第32期[2]、陸軍大学校第39期[2]、東京帝国大学政治学科卒業[1]。1939年(昭和14年)8月に第27師団参謀長に就任し[1]、日中戦争に出動[2]。1940年(昭和15年)8月1日に陸軍歩兵大佐に進級[1]。同年10月22日に第6軍高級参謀に転じ[1]、1941年(昭和16年)9月に陸軍大学校教官[1]、1942年(昭和17年)10月に留守第3師団参謀長と歴任[1]。1943年(昭和18年)6月10日に第43師団参謀長に転じ[1]、10月15日に陸軍燃料廠廠員[1]、1944年(昭和19年)3月1日に北スマトラ燃料工廠長を歴任し[1]、太平洋戦争に出征。
1945年(昭和20年)3月1日に陸軍少将進級[1]。東部軍管区司令部附を経て、5月5日に陸軍歩兵学校附となる[3]。6月1日には第50軍参謀長に着任し[2]、青森県で本土決戦に備える中で終戦を迎えた[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。