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性空

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性空(しょうくう、延喜10年(910年) - 寛弘4年3月10日1007年3月31日))は、平安時代中期の天台宗。父は従四位下橘善根。俗名は橘善行京都の生まれ。書写上人とも呼ばれる。

36歳の時、慈恵大師(元三大師)良源に指示して出家霧島山筑前国脊振山で修行し、966年康保3年)播磨国書写山に入山し、国司藤原季孝の帰依を受けて圓教寺西国三十三所霊場の一つ)を創建、花山法皇源信(恵心僧都)・慶滋保胤の参詣を受けた。980年天元3年)には蔵賀とともに比叡山根本中堂の落慶法要に参列している。早くから山岳仏教を背景とする聖(ひじり)の系統に属する法華経持経者として知られ、存命中から多くの霊験があったことが伝えられている。1007年(寛弘4年)、播磨国弥勒寺で98歳(80歳)で亡くなった。

圓教寺には肖像彫刻・性空像(重要文化財)があり、東京大学史料編纂所は性空像の模本(画像)を所蔵している。

関連項目

  • 湯原温泉
  • 徒然草(第69段に「書写の上人」として、性空の言葉を伝えている。)