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新津義雄

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新津 義雄(にいつ よしお、旧姓:数間、1922年大正11年)6月22日 - 2011年平成23年)12月27日)は、日本実業家。丸新グループ創立者・初代代表、テレビ新潟放送網第2代社長・最高顧問、新津記念館初代館長・理事長。

略歴

新潟県新潟市(現 新潟市中央区)に生まれ、新潟市旭町通1番町(現 新潟市中央区旭町通1番町)の新津石油創業者・新津恒吉の養子になった[1][2]

新潟師範学校附属小学校を経て、1940年昭和15年)3月に新潟中学校を卒業、1942年(昭和17年)9月に新潟高等学校を半年繰り上げ卒業、1946年(昭和21年)9月に東北帝国大学法文学部法科を卒業[3]

1946年(昭和21年)10月に石油販売会社・丸新産業を創立し副社長に就任[4]1949年(昭和24年)5月に丸新石油を創立し社長に就任[5]、同月に昭和石油監査役に就任[6][注 1]1972年(昭和47年)9月に新津石油を創立し社長に就任[8]1984年(昭和59年)5月に全国石油協会副会長に就任[9][注 2]1988年(昭和63年)6月にテレビ新潟放送網第2代社長に就任[11][注 3]1992年平成4年)8月に養父の新津恒吉が建てた迎賓館を新津記念館として開館して初代館長に就任[12][13]

敦井産業取締役、北陸ガス監査役、新潟日産モーター日産サニー新潟販売日産チェリー新潟販売取締役、新潟明訓高等学校理事長、新潟市教育委員会教育委員長オークラホテル新潟取締役、新潟交通取締役、新潟商工会議所参与も歴任[14]

石油販売業のほか、運輸業生活関連、ITなど、事業の多角化を進め、新潟県に根差した現在の丸新グループを作り上げた[11][15][16]

2011年(平成23年)12月27日午前0時12分に新潟市中央区女池神明新潟南病院心不全のため死去[12]

栄典・表彰

友人

親族

脚注

注釈

  1. ^ 1954年昭和29年)5月に退任[7]
  2. ^ 1988年(昭和63年)5月に退任[10]
  3. ^ 1993年平成5年)6月に退任[11]

出典

  1. ^ 交遊抄』36頁。『第十七版 人事興信錄 下』「に」7頁。『第四十五版 人事興信錄 下』「に」13頁。
  2. ^ 新津記念館 - 株式会社 丸新ホールディングス
  3. ^ 「新津社長略歴」『社員と共に 丸新の原点』78頁。「新津義雄社長略歴」『丸新の歩み』109頁。
  4. ^ 「新津義雄社長略歴」『丸新の歩み』109頁。『第十七版 人事興信錄 下』「に」7頁。
  5. ^ 「新津社長略歴」『社員と共に 丸新の原点』78頁。「新津義雄社長略歴」『丸新の歩み』109頁。「新津義雄氏略歴」『交遊抄』125頁。
  6. ^ 昭和石油三十年史』114頁。「新津義雄社長略歴」『丸新の歩み』109頁。『第十七版 人事興信錄 下』「に」7頁。
  7. ^ 昭和石油三十年史』122頁。
  8. ^ 「新津社長略歴」『社員と共に 丸新の原点』80頁。「新津義雄社長略歴」『丸新の歩み』110-111頁。
  9. ^ 「新津義雄氏略歴」『交遊抄』125頁。『第四十五版 人事興信錄 下』「に」13頁。
  10. ^ 第四十五版 人事興信錄 下』「に」13頁。
  11. ^ a b c 現代 物故者事典 2009〜2011』456頁。『新潟県 人物・人材情報リスト 2021 第1巻』255頁。
  12. ^ a b 新潟日報』2011年12月28日付夕刊、1面。
  13. ^ 新津記念館を設立、丸新グループ会長の新津義雄さんが死去 | ニュース | アイエム[インターネットミュージアム]
  14. ^ 「新津社長略歴」『社員と共に 丸新の原点』77-81頁。「新津義雄社長略歴」『丸新の歩み』109-111頁。「新津義雄氏略歴」『交遊抄』125頁。『新潟県年鑑 1987』621頁。
  15. ^ 新潟日報』2011年12月28日付夕刊、1面。『新潟日報』2011年12月29日付朝刊、27面。『新潟日報』2012年1月27日付朝刊、24面。
  16. ^ 歴史・沿革 - 株式会社 丸新ホールディングス
  17. ^ 紺綬褒章下賜」「褒賞」『官報』第5390号、28頁、大蔵省印刷局、 1945年1月6日。
  18. ^ 「褒賞」『官報』第10229号、575頁、大蔵省印刷局、1961年1月27日。
  19. ^ 「新津社長略歴」『社員と共に 丸新の原点』81頁。「新津義雄社長略歴」『丸新の歩み』111頁。「新津義雄氏略歴」『交遊抄』125頁。『第四十五版 人事興信錄 下』「に」13頁。
  20. ^ 「新津義雄氏略歴」『交遊抄』125頁。
  21. ^ 「叙位・叙勲」『官報』号外第51号、14頁、大蔵省印刷局、1985年4月30日。
  22. ^ 「叙位・叙勲」『官報』号外第84号、22頁、大蔵省印刷局、1997年4月30日。
  23. ^ 月刊民放』1989年3月号、4頁。

参考文献

  • 「新津義雄」『現代 物故者事典 2009〜2011』456頁、日外アソシエーツ[編]、日外アソシエーツ、2012年。
  • 「新津義雄」『新潟県 人物・人材情報リスト 2021 第1巻』255頁、日外アソシエーツ[編]、日外アソシエーツ、2020年。
  • 「新津義雄」『第十七版 人事興信錄 下』「に」7頁、人事興信所[編]、人事興信所、1953年。
  • 「新津義雄」『第四十五版 人事興信錄 下』「に」13頁、興信データ[編]、興信データ、2009年。
  • 「「丸新」グループ設立 新津義雄氏が死去 89歳」『新潟日報』2011年12月28日付夕刊、1面、新潟日報社、2011年。
  • 「新津義雄さん死去 県内各界 悼む声」『新潟日報』2011年12月29日付朝刊、27面、新潟日報社、2011年。
  • 「事業の多角化を進めた丸新グループ会長 新津義雄さん 12月27日 89歳で死去」「追想 メモリアル」『新潟日報』2012年1月27日付朝刊、24面、新潟日報社、2012年。
  • 『社員と共に 丸新の原点』丸新石油企画室、1979年。
  • 『丸新の歩み』丸新石油企画室、1980年。
  • 『交遊抄』丸新経営、1985年。
  • 『昭和石油三十年史』昭和石油[編]、昭和石油、1974年。
  • 『新潟県年鑑 1987』新潟日報社[編]、新潟日報社、1986年。
  • 『月刊民放』1989年3月号、日本民間放送連盟[編]、日本民間放送連盟、1989年。

関連文献

  • 「新津義雄」『新潟の財界』91-92頁、文信堂書店[発売]、新潟日報事業社〈新潟シリーズ 第4集〉、1968年。
  • 「進駐軍の命により 新津義雄」『新・県民聞き書き帳 世相模様・18人の自画像』377・389-397頁、新潟日報社[編]、新潟日報事業社、1979年。
  • 『経営読本』丸新・新津グループ、1975年。
  • 『明日へ向かって』丸新石油企画室、1976年。
  • 『人間尊重 明日へ向かってを読んで』丸新石油企画室、1976年。
  • 『全員経営を考える 新津社長への手紙』丸新・新津グループ、1981年。
  • 『この一言 新津義雄の随想』丸新経営、1983年。
  • 「児童合唱団支えた新津氏悼む」「窓」『新潟日報』2012年1月6日付朝刊、5面、山田勇男[著]、新潟日報社、2012年。

外部リンク

先代
等々力英男
テレビ新潟放送網社長
第2代:1988年 - 1993年
次代
常盤恭一