池田正介
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池田 正介(いけだ しょうすけ、1855年8月19日〈安政2年7月7日〉[1] - 1914年〈大正3年〉9月5日)は、日本の軍人。陸軍少将。
人物
山口県防府市三田尻の出身。父は池田新之丞。子は四男二女に恵まれる。長男の忠篤は東京慈恵会医科大学を卒業して医師となった。正介の墓所は山口県防府市三田尻の正福寺。
日露戦争の時に北関大捷碑を発見し、朝鮮半島から同碑を日本へ持ち帰り靖国神社に奉納した。
官歴
- 1868年(明治元年)
- 1869年(明治2年)5月 - 更に進軍して江刺・函館の各地に転戦する[2]。
- 1872年(明治5年) - 兵学研究のためフランスに留学[2]。
- 1880年(明治13年) - 帰国。陸軍士官学校にて将校教育に従事する[2]。
- 1886年(明治19年)
- 1890年(明治23年)
- 1894年(明治27年)2月21日 - 免 フランス公使館付、補 陸軍大学校兵学教官[7]
- 1896年(明治29年)
- 1897年(明治30年)9月7日 - 免 歩兵第20連隊連隊長、補 台湾守備歩兵第2連隊長[11]
- 1898年(明治31年)12月23日 - 免 第4師団司令部付、補 歩兵第10連隊連隊長[12]
- 1900年(明治33年)3月7日 - 休職[13]
- 1904年(明治37年)
- 1905年(明治38年)
- 1906年(明治39年)
- 1907年(明治40年)3月2日 - 予備役[19][16]
栄典・授章・授賞
- 位階
- 1892年(明治25年)3月11日 - 正六位[20]
- 1895年(明治28年)7月15日 - 従五位[21]
- 1904年(明治37年)7月15日 - 正五位[22]
- 1907年(明治40年)5月31日 - 従四位[23]
- 1914年(大正3年)9月5日 - 正四位[24]
- 勲章等
- 1887年(明治20年)5月27日 - 勲六等単光旭日章[25]
- 1889年(明治22年)11月29日 - 大日本帝国憲法発布記念章[26]
- 1893年(明治26年)5月26日 - 勲五等瑞宝章[27]
- 1895年(明治28年)10月18日 - 勲四等旭日小綬章[28]
- 1895年(明治28年)11月18日 - 明治二十七八年従軍記章[29]
- 1900年(明治33年)3月31日 - 勲三等瑞宝章[30]
- 1906年(明治39年)4月1日 - 功三級金鵄勲章、勲二等旭日重光章、明治三十七八年従軍記章[31]
- 外国勲章佩用允許
- 1888年(明治21年)5月1日 - 大南帝国:ドラゴン勲章オフィシエ[32]
- 1894年(明治27年)10月17日 - カンボジア王国:ロワヤルデュカンボージュ勲章コマンドール[33]
- 1894年(明治27年)10月17日 - フランス共和国:レジオンドヌール勲章オフィシエ[33]
- 1894年(明治27年)10月17日 - フランス共和国:トンキン安南従軍記章[33]
- 1896年(明治29年)2月12日 - ロシア帝国:神聖アンナ第二等勲章[34]
- 1896年(明治29年)11月29日 - ロシア帝国:神聖スタニスラス星章付第二等勲章[35]
- 1907年(明治40年)4月16日 - 大韓帝国:勲二等太極章[36]
- 1907年(明治40年)4月16日 - スペイン王国:ロアイヤルジュメリットミリテールルージュ勲章グランクロア[36]
- 1907年(明治40年)7月1日 - バイエルン王国:星章付武功剣付第二等勲章[37]
脚注
- ^ 『幕末維新大人名事典』上巻(新人物往来社、2010年)p.98
- ^ a b c d e 『アジア歴史資料センター』「陸軍少将池田正介特旨叙位ノ件」(レファレンスコード A12090212200)。
- ^ 『官報』第796号「官庁事項 - 辞令」1886年3月2日。
- ^ 『官報』第1026号「官庁事項」1886年11月30日。
- ^ 『官報』第1984号「叙任及辞令」1890年2月13日。
- ^ 『官報』第1991号「叙任及辞令」1890年2月21日。
- ^ 『官報』第3194号「叙任及辞令」1894年2月23日。
- ^ 『官報』第3769号「叙任及辞令」1896年1月24日。
- ^ 『官報』第3795号「叙任及辞令」1896年2月26日。
- ^ 『官報』第3976号「叙任及辞令」1896年9月28日。
- ^ 『官報』第4258号「叙任及辞令」1897年9月9日。
- ^ 『官報』第4647号「叙任及辞令」1898年12月24日。
- ^ 『官報』第5002号「叙任及辞令」1900年3月8日。
- ^ a b c d 『アジア歴史資料センター』「歩兵大佐 池田正介 勲績明細書」(レファレンスコード C06041126000)
- ^ 『官報』第6462号「叙任及辞令」1905年1月17日。
- ^ a b c d 『日本陸軍将官総覧』152項
- ^ 『官報』第6804号「叙任及辞令」1906年3月8日。
- ^ 『官報』第6906号「叙任及辞令」1906年7月7日。
- ^ 『官報』第7100号「叙任及辞令」1907年3月4日。
- ^ 『官報』第2607号「叙任及辞令」1892年3月12日。
- ^ 『官報』第3613号「叙任及辞令」1895年7月16日。
- ^ 『官報』第6315号「叙任及辞令」1904年7月19日。
- ^ 『官報』第7175号「叙任及辞令」1907年6月1日。
- ^ 『官報』第632号「叙任及辞令」1914年9月8日。
- ^ 『官報』第1174号「叙任及辞令」1887年5月31日。
- ^ 『官報』第1938号「叙任及辞令」1889年12月12日。
- ^ 『官報』第2974号「叙任及辞令」1893年5月31日。
- ^ 『官報』第3693号「叙任及辞令」1895年10月19日。
- ^ 『官報』第3824号・付録「辞令」1896年4月1日。
- ^ 『官報』第5046号「叙任及辞令」1900年5月1日。
- ^ 『官報』号外、「叙任及辞令」1906年12月30日。
- ^ 『官報』第1464号「叙任及辞令」1888年5月19日。
- ^ a b c 『官報』第3404号「叙任及辞令」1894年10月31日
- ^ 『官報』第3786号「叙任及辞令」1896年2月15日。
- ^ 『官報』第4038号「叙任及辞令」1896年12月12日。
- ^ a b 『官報』第7200号「叙任及辞令」1907年7月1日。
- ^ 『官報』第7210号「叙任及辞令」1907年7月12日。
参考文献
- 『官報』
- 『日本陸軍将官総覧』新人物往来社