スティーブ・シムズ
スティーブ・シムズ | |
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Steven Symms | |
アメリカ合衆国上院議員 アイダホ州選出 | |
任期 1981年1月3日 – 1993年1月3日 | |
前任者 | フランク・チャーチ |
後任者 | ダーク・ケンプソーン |
アメリカ合衆国下院議員 アイダホアイダホ州1区選出 | |
任期 1973年1月3日 – 1981年1月3日 | |
前任者 | ジム・マクルーア |
後任者 | ラリー・クレイグ |
個人情報 | |
生誕 | Steven Douglas Symms 1938年4月23日(86歳) アメリカ合衆国、アイダホ州、ナンパ |
国籍 | アメリカ合衆国 |
政党 | 共和党 |
配偶者 | ロレッタ・マセス・フラー(1992年 - ) フランシス・ストックデール(1959年 - 1990年) |
子供 | 4人 |
教育 | アイダホ大学 (BA) |
兵役経験 | |
所属国 | アメリカ合衆国 |
所属組織 | アメリカ海兵隊 |
軍歴 | 1960–1963 |
最終階級 | 中尉 |
戦闘 | 冷戦 |
スティーブン・ダグラス・シムズ(Steven Douglas Symms, 1938年4月23日)はアメリカ合衆国の政治家、ロビースト。所属政党は共和党。
1970年代から連邦議会で活躍し、連邦下院議員や連邦上院議員を務め[1]、引退後はワシントンD.C.のロビー団体でロビー活動を行っている[2]。
経歴
シムズはキャニオン郡コールドウェルの高校を卒業後、アイダホ大学で園芸学を学んだ[3]。1960年に大学を卒業後、アメリカ海兵隊に3年間所属した。退役後は自家用機のパイロットやりんご農家として働き、1969年から1972年まで大学新聞「The Idaho Compas」の共同編集者を務めた[4]。
1972年、シムズは連邦下院議員選挙に共和党から出馬した。選挙戦では、「Take a bite out of big government! (直訳:大きな政府を一口かじれ!)」というりんご農家の経歴を活かした選挙スローガンを使用し、新右翼(New Right)としての立場を鮮明にし、当選を果たす[5]。その後、下院議員として3選を果たす。
1980年、シムズは上院議員選挙に出馬した。1980年当時、4期現職のフランク・チャーチ上院議員は、パナマ運河の返還(新パナマ運河条約)やSALT IIで主導的な役割を果たしたこともあり、リベラル系民主党議員として保守政治活動協議会といった保守派からの反発を受けていた。同協議会は1980年選挙で「Anybody But Church committee(通称:ABC)」を組織し、チャーチの落選運動を行なった[6]。保守系だったシムズはABCから資金提供などの支援を受け[7][8]、約4,000票(得票率差約1%)の僅差でチャーチを破った[9]。
1986年選挙ではアイダホ州知事のジョン・エヴァンズを破って当選を果たした[10]。
浮気問題の影響もあり、1992年選挙に出馬せず、議員を辞職[11][12]。政界引退後にコンサルト会社[13]やロビー団体[2]を設立した。
不祥事
大統領選挙におけるデマ
シムズはラジオのインタビューで、1988年選挙の民主党大統領候補マイケル・デュカキスの妻キティが、ベトナム戦争に抗議してアメリカ国旗を燃やしている写真が存在すると主張した。キティは「全くのデマで軽蔑に値する」と否定し、シムズも後に「立証できなかった」と認めた[14][15]。しかし、この告発は全米でニュースとなり[16]、各メディアは証拠となる写真を探した。1988年の選挙戦ではデュカキスに関するデマが共和党議員によって公言されており、シムズのデマもその一つとされる[14]。
不倫問題
妻フランシス・ストックデールは重度の関節炎の影響で人前に出てくることがすくなかった。一方、シムズはパーティーに頻繁に参加していたが、妻以外の女性と一緒にいる姿が目撃されていた。シムズの浮気は公然の事実だったものの、記者は家庭内の問題として捉え、話題にすることはなかった[11]。しかし、1986年に夫婦は別居[17]、1990年に離婚が成立すると[18]、シムズの不倫疑惑が取り沙汰され、世論調査でシムズの支持率が低下した。1992年選挙でシムズは出馬を断念し、議員を引退するが、その決断には浮気問題とそれに伴う支持率低下があったとされる[11]。不倫については後に妻フランによって証言が行われている[19][20]。
親族
- 先妻:フランシス・E・ストックデール - 1959年結婚[21]、1990年離婚[18]。間に1男3女[17]。
- 後妻:ロレッタ・マセス・フラー - 1992年結婚。シムズの事務所の元職員[22]、後に上院副衛視長[23]。
- おじ(母の兄弟):エルモ・スミス - 第27代オレゴン州知事、オレゴン州上院議長。
- いとこ:デニー・スミス - エルモの子。連邦下院議員(オレゴン州選出)[24]
主張・政策
中絶
1973年、ロー対ウェイド事件の判決(ロー判決)により、妊娠中絶がアメリカ合衆国憲法により保障された権利として認められた。そのため、共和党のロナルド・レーガン大統領がポッター・スチュワート連邦最高裁判事の後任に誰を指名するかは、ロー判決の判例変更を求めるプロライフ派にとって重要な問題だった。1981年、レーガン大統領は、サンドラ・デイ・オコナー元アリゾナ州下院議員を指名した。オコナーは中絶問題の賛否を明らかにしなかったが、州下院議員時代の投票傾向からロー判決の判例変更は行わないだろうとみなされた。シムズは、ドン・ニクルス上院議員、ジェシー・ヘルムズ上院議員らとともにオコナーの指名に抗議した[25]。
選挙結果
年 | 民主党 | 票数 | 得票率 | 共和党 | 票数 | 得票率 | |
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1972 | Ed Williams | 68,106 | 44% | スティーブ・シムズ | 85,270 | 56% | |
1974 | J. Ray Cox | 54,001 | 42% | スティーブ・シムズ | 75,404 | 58% | |
1976 | Ken Pursley | 79,662 | 45% | スティーブ・シムズ | 95,833 | 55% | |
1978 | Roy Truby | 57,972 | 40% | スティーブ・シムズ | 86,680 | 60% |
年 | 民主党 | 票数 | 得票率 | 共和党 | 票数 | 得票率 | 第三党 | 政党 | 票数 | 得票率 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1980 | フランク・チャーチ | 214,439 | 49% | スティーブ・シムズ | 218,701 | 50% | Larry Fullmer | リバタリアン党 | 6,507 | 1% | ||
1986 | ジョン・エヴァンズ | 185,066 | 48% | スティーブ・シムズ | 196,958 | 52% |
関連項目
参考文献
- ^ “Idaho teachers attack Symms' voting record”. Spokane Chronicle. (October 14, 1986) August 6, 2014閲覧。
- ^ a b “Parry, Romani, DeConcini & Symms”. www.lobbycongress.com. 2022年1月2日閲覧。
- ^ Seniors. Gem of the Mountains, University of Idaho yearbook. (1960). p. 318
- ^ “SYMMS, Steven Douglas” (英語). US House of Representatives: History, Art & Archives. 2022年1月2日閲覧。
- ^ Marc C. Johnson (2021年2月25日). Tuesday Night Massacre. University of Oklahoma Press. p. 50
- ^ “Endangered Liberals”. Newsweek (1980年6月30日). 2022年1月2日閲覧。
- ^ “Anti-Church committee goes national”. Lewiston Morning Tribune. Associated Press: p. 5C. (July 13, 1979)
- ^ “Broadside fired at Symms”. Spokesman-Review. Associated Press: p. 8. (August 8, 1980)
- ^ “Symms basks in the glow of hard-won Senate victory”. Lewiston Morning Tribune. Associated Press: p. 6A. (November 6, 1980)
- ^ Kenyon, Quane (October 28, 1986). “No political truce in Idaho”. Spokane Chronicle. Associated Press: p. A4
- ^ a b c Neiwert, David (September 1, 1998) "Lives of the Republicans: Part Two." Salon.com. (Retrieved September 29, 2010.)
- ^ MARK WARBIS (July 4, 1991). “Idaho’s Steve Symms Ponders Senate Retirement as Personal Troubles Mount”. AP通信
- ^ “SYMMS, Steven Douglas - Biographical Information”. bioguide.congress.gov. 2019年12月17日閲覧。
- ^ a b “Story on Mrs. Dukakis Is Denied by Campaign”. New York Times. (1988年8月26日) 2016年5月27日閲覧。
- ^ Susan Estrich (2004年9月4日). “Lies move Democrats to dig up dirt”. Myrtle Beach Sun. オリジナルの2004年9月17日時点におけるアーカイブ。 2016年5月27日閲覧。
- ^ E.J. Dionne (1988年8月29日). “Political Memo; Accentuating the Positive Can Lead to Nasty Campaign”. New York Times 2016年5月27日閲覧。
- ^ a b Tribune, Elaine S. Povich, Chicago. “SUMMER IS HERE, AND THE CAPITAL IS EMPTYING” (英語). chicagotribune.com 2018年11月20日閲覧。
- ^ a b Dennis, Anita (June 13, 1991). “Fran Symms picks up pieces after divorce”. Idahonian. Twin Falls Tribune (Moscow): p. 1A
- ^ Tribune, Elaine S. Povich, Chicago. “SUMMER IS HERE, AND THE CAPITAL IS EMPTYING” (英語). chicagotribune.com. 2020年9月29日閲覧。
- ^ News, Deseret (1991年7月7日). “SYMMS WEIGHS SENATE RETIREMENT AS HIS PERSONAL TROUBLES MOUNT” (英語). Deseret News. 2020年9月29日閲覧。
- ^ “Symms wants to divorce estranged wife”. Idahonian. Associated Press (Moscow): p. 12A. (December 6, 1989)
- ^ “Mathes Family in America, 538: Loretta Aileen Mathes Fuller”. Genealogy.com. March 1, 2013閲覧。
- ^ Official Congressional Directory, Volume 103. United States. Congress. (1993). pp. 614
- ^ “SMITH, Dennis Alan (Denny) - Biographical Information”. bioguide.congress.gov. 2019年12月17日閲覧。
- ^ Greenburg, Jan Crawford. Supreme Conflict: The Inside Story of the Struggle for Control of the United States Supreme Court.2007. Penguin Books. p. 222.
外部リンク
- United States Congress. "スティーブ・シムズ (id: S001138)". Biographical Directory of the United States Congress (英語).
- Lobby Congress.com – biography from Parry, Romani DeConcini & Symms
- Steve Symms at SourceWatch
- スティーブ・シムズ - C-SPAN
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