マリオ・コルナ
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1969年のコルナ | ||||||
名前 | ||||||
本名 | マリオ・エステヴェス・コルナ | |||||
愛称 | O Monstro Sagrado | |||||
ラテン文字 | Mário Coluna | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
ポルトガル モザンビーク | |||||
生年月日 | 1935年8月6日 | |||||
出身地 |
ポルトガル領東アフリカ (現: モザンビーク) マプト州イニャカ | |||||
没年月日 | 2014年2月25日(78歳没) | |||||
身長 | 173cm[1] | |||||
体重 | 76kg[1] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF(LH,IL) | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
1945-1954[1] 1954-1970 1970-1972 |
ロレンソ・マルケス SLベンフィカ オリンピック・リヨン |
677 (150) 19 (2) | ||||
代表歴 | ||||||
1955-1968 | ポルトガル | 57 (8) | ||||
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マリオ・エステヴェス・コルナ(Mário Esteves Coluna、1935年8月6日 - 2014年2月25日)は、モザンビーク出身の元ポルトガル代表サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(インサイドレフト)[1]。愛称はオ・モンストロ・サグラード(O Monstro Sagrado、聖なる怪物)。
経歴
[編集]ポルトガル領東アフリカ(現モザンビーク)出身のコルナは、地元のデスポルティーヴォ・ロレンソ・マルケスでのプレーを認められ、1954-55シーズンにポルトガルのベンフィカに加入した。ベンフィカには1969-70シーズンまで在籍し、リーグ優勝10回、カップ優勝6回に貢献した。ヨーロピアンカップでは2度優勝(1960-1961、1961-1962)の後、さらに主将として3度準優勝(1962-1963、1964-1965、1967-1968)した。引退直前の1970-1971シーズンから1971-1972シーズンまではフランスのオリンピック・リヨンに在籍した。
ポルトガル代表としては57試合に出場し8ゴールを挙げる。デビュー戦は1955年5月4日の親善試合スコットランド戦、代表最後の試合は1968年12月11日のFIFAワールドカップ・予選のギリシャ戦である。1966年ワールドカップで3位入賞を果たし「マグリッソス」(en:Magriços)の愛称で知られたチームで主将を務めた。
1975年にモザンビークが独立した後はモザンビークサッカー連盟会長やモザンビーク代表監督を歴任、1994年から1999年まで同国スポーツ相を務めた。
2014年2月25日、呼吸器系の病気のためモザンビークで死去。78歳没[2]。
プレースタイル
[編集]エレガントで効率的なスタイルのゲームメーカーだったコルナは卓越したキック力でも知られ、1960-61シーズンのヨーロピアンカップ決勝のFCバルセロナ戦では、彼が決めた40メートルのロングシュートが決勝点になった。身体能力も非常に高く、モザンビークでの走り幅跳び記録を持つほどだった[1]。
タイトル
[編集]- ベンフィカ
- UEFAチャンピオンズリーグ: 1961, 1962
- ポルトガルリーグ: 1955, 1957, 1960, 1961, 1963, 1964, 1965, 1967, 1968, 1969
- ポルトガルカップ: 1955, 1957, 1959, 1962, 1964, 1969