里脇浅次郎
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枢機卿 ヨゼフ 里脇浅次郎 Iosephus Asajirō Satowaki | |
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カトリック長崎大司教 | |
教会 | カトリック教会 |
大司教区 | カトリック長崎大司教区 |
着座 | 1969年3月16日 |
離任 | 1990年2月8日 |
前任 | 山口愛次郎 |
後任 | 島本要 |
他の役職 |
カトリック鹿児島司教 (1955年 - 1968年) |
聖職 | |
司祭叙階 | 1932年12月17日 |
司教叙階 | 1955年5月3日 |
枢機卿任命 | 1979年6月30日 |
個人情報 | |
出生 |
1904年2月1日 長崎県西彼杵郡黒崎村 |
死去 |
1996年8月8日 (92歳没) 長崎県長崎市 |
紋章 |
里脇 浅次郎(さとわき あさじろう、1904年2月1日 - 1996年8月8日)は、カトリック教会の枢機卿、長崎大司教(第7代)、鹿児島司教(初代)。洗礼名は「ヨゼフ」。
来歴
[編集]1904年、長崎県西彼杵郡黒崎村出津(現長崎市)に生まれる。長崎公教神学校を経て、1930年ローマで司祭叙階。里脇枢機卿はローマ留学中に、聖マキシミリアノ・コルベ神父から東洋布教の相談を持ちかけられ、日本へ布教することを薦めた事で知られている。
その後、長崎市の中町教会主任司祭、台湾知牧などを経て、1955年初代鹿児島司教に任命、叙階された。
1968年12月19日に長崎大司教に任命され、翌年に着座。1979年には、日本人として3人目の枢機卿に親任される。1981年に教皇ヨハネ・パウロ2世が来日した際は、日本司教協議会会長として教皇の傍で活躍した。
1990年、長崎大司教を辞任し、1996年に病気のため帰天(死去)。
なお、里脇枢機卿の出身教会である出津教会は、他にも田口芳五郎枢機卿(元大阪大司教)をはじめ、司祭・修道者など聖職者を多数輩出している。また、実兄の里脇福市(1901年 - 2007年)は、マリア会修道士として、主に教育分野で活動した。
著書
[編集]- 『カトリックの終末論』聖母の騎士社(聖母文庫) ISBN 4882161079
- 要理教育 : 教皇ヨハネ・パウロ二世使徒的勧告ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)著(翻訳) カトリック中央協議会2002年 ISBN 4877500103
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]先代 |
カトリック鹿児島司教区 教区長 1955年 – 1966年 |
次代 糸永真一 |
先代 山口愛次郎 |
カトリック長崎大司教区 教区長 1969年 – 1990年 |
次代 島本要 |