十七条城
表示
十七条城 (岐阜県) | |
---|---|
別名 | 特になし |
城郭構造 | 平山城 |
築城主 | 舟木頼胤 |
築城年 | 南北朝時代 |
主な改修者 | 林正長 |
主な城主 | 舟木氏、二階堂氏、仙石氏、林氏 |
廃城年 | 1675年 |
遺構 | 土塁、堀 |
指定文化財 | 瑞穂市指定史跡[1] |
位置 | 北緯35度24分6.48秒 東経136度39分33.2秒 / 北緯35.4018000度 東経136.659222度座標: 北緯35度24分6.48秒 東経136度39分33.2秒 / 北緯35.4018000度 東経136.659222度 |
地図 |
十七条城(じゅうしちじょうじょう)は岐阜県瑞穂市にかつて存在した日本の城(平山城)。瑞穂市指定史跡[1]。西浦の城山と呼ばれる低い丘にあった。
概要
『新撰美濃志』によれば、南北朝時代初頭に土岐頼貞の子・舟木頼胤(土岐頼員の弟・船木頼重と同一人物とも言われる)によって築城された。その後、二階堂氏や仙石秀豊、和田利詮が居城とした時期を経て、享禄年間には林正長が城を改築している。正長の子・林玄蕃は1562年(永禄5年)に織田信長と斎藤龍興の間で起きた軽海の戦いで戦死したため、弟の林正三が後を継ぎ、1578年(天正6年)に逝去するまで城主を務めた。正三の子は稲葉重通の養子になって稲葉正成と名乗り、十七条城で十七条藩・一万石を治めた。その子・稲葉正定は尾張藩へ仕え、やはり十七条村で一千石を治めたが、孫に嗣子がなく1675年(延宝3年)に家が断絶、城は廃城となった。
所在地
アクセス
脚注
参考文献
- 『日本歴史地名大系』(オンライン版)小学館
- 『船木城古事記』高橋正昭
- 瑞穂市 2021「瑞穂市指定文化財」『DATABOOK2021-市勢要覧資料編-』p.38