コンテンツにスキップ

西五辻家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2023年1月14日 (土) 20:12; Omaemona1982 (会話 | 投稿記録) による版 (新しいページ: 「{{日本の氏族 |家名= 西五辻家 |家紋= |家紋名称= |本姓= 宇多源氏五辻家庶流 |家祖= 西五辻文仲 |種別= 公家<br/>華族男爵) |出身地= 山城国 |根拠地= 山城国<br/>兵庫県武庫郡 |人物= |支流= }} '''西五辻家'''(にしいつつじけ{{Sfn|太田|1934|p=4440}})は、宇多源氏五辻家庶流にあたる華族の…」)(日時は個人設定で未設定ならUTC

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
西五辻家
本姓 宇多源氏五辻家庶流
家祖 西五辻文仲
種別 公家
華族男爵
出身地 山城国
主な根拠地 山城国
兵庫県武庫郡
凡例 / Category:日本の氏族

西五辻家(にしいつつじけ[1])は、宇多源氏五辻家庶流にあたる華族男爵家。いわゆる「奈良華族」の一つ[2]

歴史

[編集]

五辻高仲の次男西五辻文仲は幼少期に興福寺に入れられ明王院住職となっていたが、維新の際に勅命により復飾し、堂上格を与えられて一家を起こし西五辻を家号とした[3][4]。その後華族に列し[3]、明治17年(1884年)7月7日の華族令施行で華族が五爵制になると、翌8日に男爵に叙された[2]

文仲は宮内省官僚として勤務する一方、貴族院の男爵議員に当選して務めた[3]。その子光仲の代に西五辻男爵家の住居は兵庫県武庫郡本庄村深江字西休家にあった[3]

脚注

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ 太田 1934, p. 4440.
  2. ^ a b 小田部雄次 2006, p. 341.
  3. ^ a b c d 華族大鑑刊行会 1990, p. 685.
  4. ^ 小田部雄次 2006, p. 35.

参考文献

[編集]
  • オープンアクセス太田, 亮 著「国立国会図書館デジタルコレクション 西五辻 ニシイツツジ」、上田, 萬年三上, 参次 監修 編『姓氏家系大辞典』 第1巻、姓氏家系大辞典刊行会、1934年、4440頁。 NCID BN05000207OCLC 673726070全国書誌番号:47004572https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123910/532 国立国会図書館デジタルコレクション 
  • 小田部雄次『華族 近代日本貴族の虚像と実像』中央公論新社中公新書1836〉、2006年(平成18年)。ISBN 978-4121018366 
  • 華族大鑑刊行会『華族大鑑』日本図書センター〈日本人物誌叢書7〉、1990年(平成2年)。ISBN 978-4820540342