水越理庸
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水越 理庸(みずこし りよう[1]、1869年(明治2年)10月11日 - 1925年 (大正14年)6月22日)は、愛知県出身の官僚、実業家。
経歴
- 1869年、愛知県丹羽郡岩倉町(現在の岩倉市)にて出生。
- 1894年、明治法律学校入学。
- 1896年、第一回文官高等試験に合格。明治法律学校を中退し、大蔵省入省。愛媛、松本、松江等に赴任後、金沢税務管理局長、熊本税務監督局長などを歴任。大蔵省内に於いては監査官、書記官等を歴任。
- 1909年、韓国銀行(後の朝鮮銀行)設立と同時に理事に就任。
- 1916年11月24日、北海道拓殖銀行頭取に就任。
- 1922年10月、渡欧し、欧米の財界を視察。
- 1924年、札幌税務監督局長の野村盛康らなどと共に、北海道内の酒造業者などをとりまとめ、合同酒精(現在のオエノンホールディングス)の設立に尽力。
- 1924年8月22日、北海道拓殖銀行の頭取を退任。頭取の在任期間は7年9ヶ月に及んだ。
- 1925年6月22日、死去。55歳没。戒名は高德院殿泰譽哲心乾堂大居士。墓所は谷中霊園。
参考文献
- 『進境の人物』(世界公論社、大正6年)
- 『植民地金融政策の史的分析』(御茶の水書房、1972)
- 『財界雙六: 戰線上の實業家』(中外商業新報社、1919)
脚注
- ^ 資料情報>北海道拓殖銀行第三代頭取水越理庸肖像 - 北海道博物館。2022年4月25日閲覧。