コンテンツにスキップ

ダン本多

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。中村和哉 (会話 | 投稿記録) による 2022年10月29日 (土) 17:34個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎来歴・人物)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ダン本多(ダンほんだ、1960年3月7日 - )は、日本のキーボーディストミュージシャンレコーディング・エンジニア。本名である本多たけし名義での活動も多い。母娘音楽ユニット「CO906.」の活動もしている女優の佐々木心音は本多の長女である[1]

来歴・人物

1960年、北海道生まれ、東京都世田谷区出身。世田谷区立富士中学校東京都立駒場高校を経て中央大学理工学部電気電子情報工学科(旧・電気工学科)に進学。その後、音楽学校メーザー・ハウスにて音楽を学ぶ。メジャーデビュー前の仕事ではザ・ぼんちのバックバンドとしてワンクールを経験[要出典]

1978年から音楽家として活動を始める。 ドリカム、池田政典、大江千里、とんねるずのサポート活動後、1980年代後半、爆風スランプのサポートメンバーとしてキーボードを担当。同バンドでの活動名としてダン本多を名乗る。これは本多の名字を活かし、上から呼んでも下から読んでも「ダンホンダ」となるようサンプラザ中野くんが命名した[2]。爆風スランプの楽曲「それから」(シングル「月光」c/w)「ハイランダー」(アルバム「HIGH LANDER」収録曲)の作曲も手掛けている。爆風スランプが一番売れていた頃のサポートメンバーであったため、テレビへの出演も多く、私設ファンクラブもあった。ステージ上のキーボードシステムがYAMAHA KX76と88であったため、当時同じシステムで演奏していたカシオペア向谷実が爆風スランプのアルバム『I.B.W.』に関わっている。

1990年、IBWツアー代々木公演を最後に爆風のサポートから外れプレイヤーを引退。

2000年、レコーディングエンジニアとして「Galva Studio」に籍を置く。2012年に設立された「Master Mix Studios」[3]に移籍。

脚注

  1. ^ 佐々木心音Twitter 2019年10月9日付
  2. ^ ダン本多さん(お天気希望)19年3月29日(金)”. YOUTV (2019年3月29日). 2020年11月26日閲覧。
  3. ^ “Master Mix Studios”は1999年アメリカ、ミネアポリスに、プリンス所有のPaisley Park Studioで専属エンジニアでもあったTom Tuckeらが設立したスタジオ。2012年、彼らの協力を得て東京に同名のスタジオを設立した。

関連項目

外部リンク