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蝶花楼馬楽 (7代目)

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七代目 蝶花楼ちょうかろう 馬楽ばらく
本名 奥島おくしま 吉隆よしたか
生年月日 1947年11月15日
没年月日 (2019-03-14) 2019年3月14日(71歳没)
出身地 日本の旗 日本広島県
死没地 日本の旗 日本東京都
師匠 六代目蝶花楼馬楽
名跡 1. 蝶花楼楽がん
(1969年 - 1975年)
2. 蝶花楼花蝶
(1975年 - 1991年)
3. 七代目蝶花楼馬楽
(1991年 - 2019年)
出囃子 竹に雀たけす
活動期間 1969年 - 2019年
所属 落語協会
受賞歴
国立演芸場若手花形演芸大賞(1989年)

七代目 蝶花楼 馬楽(ちょうかろう ばらく、1947年11月15日 - 2019年3月13日)は落語家広島県三原市出身。本名∶奥島 吉隆落語協会所属。出囃子∶『竹に雀』。

経歴

広島県立本郷工業高等学校(現・広島県立総合技術高等学校)卒業。

1969年2月に六代目蝶花楼馬楽に入門、前座名は楽がん1975年5月に二ツ目に昇進し、師匠馬楽の兄弟子二代目柳家小満んの前名「蝶花楼花蝶」に改名。

1983年9月に柳家小里ん林家源平林家正雀と共に真打に昇進。1987年6月3日に師匠馬楽が死去。1989年、国立演芸場若手花形演芸大賞受賞。1991年9月、七代目蝶花楼馬楽襲名。

2019年3月13日、東京都内の自宅で死去[1]

芸歴

人物

落語以外にも寄席踊りを得意とする。

弟子

死後

2022年3月、同じ林家彦六一門の春風亭ぴっかり☆が真打昇進に併せて蝶花楼桃花と改名し、馬楽死後三年間途絶えた『蝶花楼』の亭号が復活した。

脚注

  1. ^ “蝶花楼馬楽さん死去、71歳…83年に真打昇進”. デイリースポーツ. 神戸新聞社. (2019年3月14日). https://www.daily.co.jp/gossip/2019/03/14/0012146385.shtml 2019年3月14日閲覧。 

外部リンク